インタビュ一時:55 歳(2017 年2月)女性
疼痛期間:24 年以上
診断名:オーバーラップ症候群*(全身性強皮症、シェーグレン症候群)。
近畿地方在住の女性。29 歳から全身の痛みがあり、大手の臨床検査専門会社で 14 年間(2年間は休職)働いていたが、腰椎圧迫骨折を機に40歳で退職した。ステロイド治療を受けるが効果はなく、現在も痛みは続いている。認知症の実母と二人で、在宅支援を受け生活している。病老介護で経済的に不安定な状況である。絵本や詩集を楽しみ、人との交流を持つなど、ポジティプに過ごすことで、痛みを受け入れている。
*オーバーラップ症候群:複数の膠原病が重複して発症する状態
プロフィール詳細
蔵本さん(仮名)は29歳から、24年以上にわたりオーバーラップ症候群(全身性強皮症、シェーグレン症候群)により、全身に痛みがある。特に全身の関節は、油の切れたロボットのようにギシ ギシと動く感じで痛みがあり、手首、手指の関節、足は動かすのもつらい痛みがある。「皮下脂肪が壊れる」時は、刃物で切られたような痛みがあり、納豆粒ぐらいのしこり が、皮膚の下に触れる。そこを触られると、飛び上がる程の痛みが生じる。現在は特に 背中の痛みが強く、仰向けで寝ることができない。
シェーグレン症候群では、涙が出ないため目が乾燥し、角膜が傷つき痛い。唾液が出ないため口が乾燥し舌が割れて、動かすだけでも痛みがある。ステロイドの大量療法や免疫抑制剤を使った治療を受けたが効果がない。ステロイドの副作用で起った腰椎の圧迫骨折後の痛みもある。貼る鎮痛剤を使用するが、全身の痛みは変わらず続いている。
痛みが強くなった原因は、臨床検査専門の会社で管理者となり、精神時な負担が増し、また、夜間の緊急検査に対応するため長時間勤務、重量ある物も運ぶことが一因となった。現在は認知症の母を介護しているため、移動する機会が多く身体的な負担から痛みが増すことがある。痛みを減らす方法は、湯たんぼを使う、衣類を工夫して体を冷やさないようにしたり、音楽を聴いたり、「膠原病友の会県支部」の立ち上げにも参加し、病気以外の世間話をするなど、人との交流で効果を実感している。電動車いすを積んで自家用車で外出し、気分転換していることも良い影響がある。
痛みを無くすことはできないので、受け入れるしかないと考えている。最先端の科学に携わった者が言うことではないが、痛みは神や仏が与えた試練だと思う。書籍や難病をテーマにしたドラマを見て「ポジティプにとらえること」が痛みを減らす方法だと自ら気づき、痛みをどのようにとらえていくか自問している。病気を経験した後は、臨床検査技師として、医療者目線で上から患者さんを見ていたのが、今は同じ苦しみを持つ人として、同一の立場と考えるようなった。人との接し方では、今まで以上に感謝の気持ちが生まれ、それを言葉にして伝えるようにしている。
医療者との関係は、リハビリ担当の理学療法士が交代したことが原因で、歩けなくなり、病院の対応も納得いく対応をしてもらえず、医療、病院に対して不信感が積もって 爆発したことがあった。しかし、理学療法士に自分に合う方法を積極的に伝えていかないといけないことを、セカンドオピニオンを求めた医師から教わり、今となってはストレッチの強さ、筋肉トレーニングの強さや量を伝えていかなければいけないということを学習する機会となったと思っている。
医師や医療関係者には、痛みは数値化されないので分かってもらえないが、苦しんでいることを理解してもらいたい。検査データに異常として結果がでないから、仮病や大げさに言っているだけと思われて、診断が遅れないようにしてほしい。
大手臨床検査専門会社の臨床検査技師として、14年間働き、退職前4年間は管理者をしていた。腰椎圧迫骨折を機に、2年間休職し、その後退職となった。現在、自分の障害者年金と母の年金で生活しているが、かなり経済的に不安定である。生活保護を受けるには制限があり、自家用車を手放すと生活ができなくなるため、厳しい状況で生活している。
慢性の痛みをもつ人には、自分の好きなことをやり、痛みを感じない、楽しい生活を 送る方が、充実した人生を送ることができることを伝えたい。自分は、「絵本100万回生きたねこ」や、詩集など書籍や、きれいな風景写真集に出会い、自らに与えられた命をどのように考えるか、深く考えるきっかけとなり、少しずつ生き方を変える努力をしてみようと思うようになった。他者から勧められるのでは意味はなく、自分に合うものを見つけることができれば、痛みと向き合う転機となることも伝えたい。
シェーグレン症候群では、涙が出ないため目が乾燥し、角膜が傷つき痛い。唾液が出ないため口が乾燥し舌が割れて、動かすだけでも痛みがある。ステロイドの大量療法や免疫抑制剤を使った治療を受けたが効果がない。ステロイドの副作用で起った腰椎の圧迫骨折後の痛みもある。貼る鎮痛剤を使用するが、全身の痛みは変わらず続いている。
痛みが強くなった原因は、臨床検査専門の会社で管理者となり、精神時な負担が増し、また、夜間の緊急検査に対応するため長時間勤務、重量ある物も運ぶことが一因となった。現在は認知症の母を介護しているため、移動する機会が多く身体的な負担から痛みが増すことがある。痛みを減らす方法は、湯たんぼを使う、衣類を工夫して体を冷やさないようにしたり、音楽を聴いたり、「膠原病友の会県支部」の立ち上げにも参加し、病気以外の世間話をするなど、人との交流で効果を実感している。電動車いすを積んで自家用車で外出し、気分転換していることも良い影響がある。
痛みを無くすことはできないので、受け入れるしかないと考えている。最先端の科学に携わった者が言うことではないが、痛みは神や仏が与えた試練だと思う。書籍や難病をテーマにしたドラマを見て「ポジティプにとらえること」が痛みを減らす方法だと自ら気づき、痛みをどのようにとらえていくか自問している。病気を経験した後は、臨床検査技師として、医療者目線で上から患者さんを見ていたのが、今は同じ苦しみを持つ人として、同一の立場と考えるようなった。人との接し方では、今まで以上に感謝の気持ちが生まれ、それを言葉にして伝えるようにしている。
医療者との関係は、リハビリ担当の理学療法士が交代したことが原因で、歩けなくなり、病院の対応も納得いく対応をしてもらえず、医療、病院に対して不信感が積もって 爆発したことがあった。しかし、理学療法士に自分に合う方法を積極的に伝えていかないといけないことを、セカンドオピニオンを求めた医師から教わり、今となってはストレッチの強さ、筋肉トレーニングの強さや量を伝えていかなければいけないということを学習する機会となったと思っている。
医師や医療関係者には、痛みは数値化されないので分かってもらえないが、苦しんでいることを理解してもらいたい。検査データに異常として結果がでないから、仮病や大げさに言っているだけと思われて、診断が遅れないようにしてほしい。
大手臨床検査専門会社の臨床検査技師として、14年間働き、退職前4年間は管理者をしていた。腰椎圧迫骨折を機に、2年間休職し、その後退職となった。現在、自分の障害者年金と母の年金で生活しているが、かなり経済的に不安定である。生活保護を受けるには制限があり、自家用車を手放すと生活ができなくなるため、厳しい状況で生活している。
慢性の痛みをもつ人には、自分の好きなことをやり、痛みを感じない、楽しい生活を 送る方が、充実した人生を送ることができることを伝えたい。自分は、「絵本100万回生きたねこ」や、詩集など書籍や、きれいな風景写真集に出会い、自らに与えられた命をどのように考えるか、深く考えるきっかけとなり、少しずつ生き方を変える努力をしてみようと思うようになった。他者から勧められるのでは意味はなく、自分に合うものを見つけることができれば、痛みと向き合う転機となることも伝えたい。
インタビュー39
- 痛みが続いていることについては受け入れるしかない。神様、仏様が痛みに耐えられる人間だと思ったから与えられた試練だと思うしかない(音声のみ)
- 冷えないように温かい恰好をするようにしている。医師も服装を細かく見て注意してくれる
- 「痛い」と常に言っているのではなく、「痛い」と言うのを休憩させて、小さなことでも楽しいことに挑戦してみることで、痛みを少しずつ減らす方法を自分で見つけていく
- 放送大学の講義を参考にして、脳の中の痛みを感じる箇所が働かないように、自分でも音楽を聞くなどして、脳の違うところを活動させるようにしようと考えた
- そのときの気分にあわせた音楽に集中していると痛みも和らぎ、痛くても眠ることができる
- 見た目は普通だが怠けているのではなく本当に動けない。理解してもらうには、自分に乗り移って感じてもらうしか、わからないような関節の痛み、筋肉のだるさがある
- 圧迫骨折で動けなくなったことの証明として治療で使用したステロイドの量を全部チェックし2回目の申請で障害年金をもらうことができた
- 痛みのために休職・復職を繰り返した後、しっかり2年間休んだ。復職するつもりだったが会社からもう雇い続けることはできないと告げられ退職となった
- 周囲の人から反対されても痛みがある自分との旅行につきあってくれた人や、その人の生き方の糧として自分を手助けしてくれる人がいる