インタビュー時:57歳(2017年5月)
疼痛期間:4年
診断名:線維筋痛症の疑い
首都圏在住の女性。2013年1月頃から、両方の手が石のようにこわばって痛みとしびれを感じるようになった。最初に受診した整形外科では骨などの異常はなく、線維筋痛症の疑いで大学病院の精神科を紹介された。検査でリウマチなどの他の病気の可能性は否定されたが、3度目の受診で突然治験参加を打診されたことに不信感を抱いて通院をやめ、以来医療機関は受診していない。鍼灸や整体でも改善は見られなかったが、今は痛みと折り合いをつけながらやっていこうと思っている。
プロフィール詳細
松川さん(仮名)は首都圏で翻訳や通訳の仕事をしているシングルマザーである。20年間海外生活を送った後、離婚して帰国。高校生と小学生の2人の娘たちと暮らしていた(長男は海外在住)2013年1月ごろ、ある朝目覚めると、突然両手が石のようにこわばり、痛みとしびれが混ざったような感覚に驚いた。
生活環境の大きな変化と精神的なストレスが重なっていた時期だったので、疲れがたまったのかと思ったが、次第に肘の上の方や膝にも痛みが拡がっていったので、スポーツトレーナーをやっている知人に相談して、鍼灸師を紹介してもらった。しばらく通っても改善が見られなかったので、今度は整形外科を紹介してもらって検査を受けたが、骨の異常などは見つからず、線維筋痛症の可能性もなくはないということで、大学病院の精神科を紹介された。
最初の受診で、痛みがいつ頃から出始めたのか、生活に大きな変化があったのかといったことを聞かれ、当時抱えていた個人的な問題についてすべて医師に話した。からだじゅうに痛む場所(圧痛点)が何か所あるかを調べる検査では、かなりの部分が痛いと感じられた。さらに検査でリウマチや膠原病などほかの病気の可能性はないことがわかり、「線維筋痛症の可能性がある」と診断された。しかし、痛みで日常生活が送れない、夜も眠れない、という状態ではなかったため、服薬の指示はなく、ストレスの少ない生活をし、適度な運動をするように、ということが書かれた線維筋痛症のパンフレットを渡されただけだった。
もともと薬を飲むことは嫌いだったので、以前からやっていたヨガを続け、鍼灸にも通ったが、数か月たっても痛みが治まる気配はなく、大学病院の3回目の受診では「時間をかけて診ていくしかない」と言われた。自分でもそれを受け入れる気持ちでいたが、診察が終わったあと、治験コーディネーターと思われる看護師がやってきて、いきなり治験の説明を始めた。医師から薬物療法の話は全く出ていなかったにもかかわらず、唐突に話が出たことに不信感を抱き、治験参加はその場で断った。4回目の受診日に用事が出来て予約をキャンセルしたのをきっかけに、遠かったこともあり、大学病院に通うのは辞めてしまった。
その後は別の鍼灸院に行ったり、整体に行ったりしたが、症状は良くならない。朝起きた時は、両手の手首から先が固くこわばって、自分の手ではないように感じる。症状が出るときは必ず左右両方に出て、どちらが強いということもない。こわばりは朝が一番ひどいが、日中も痛みとしびれは続いていて、お風呂に入って温めると症状が緩和されるが、また翌朝になると同じようにこわばることを繰り返している。
痛みが出るとビンのふたが開けられず、子どもたちに頼んで開けてもらうこともあるが、家事はもともと家族で分担していたので、痛みが出たことで大きな支障はない。一方、翻訳の仕事は締切があるので、痛みで集中できなかったり、夜寝られずに疲れが出たりすると、仕事に影響することもある。
初めのうちは生活が落ち着き、精神的なストレスが軽減すれば、痛みがなくなるはずだと思っていた。しかし、実際に生活の状況が改善しているにもかかわらず痛みがなくならない、ということに気づいたとき、痛みやしびれを生活の中から追い出そうとするのではなく、それらと折り合いをつけながら一緒に暮らしていこうというような発想が生まれてきた。少なくとも今ぐらいの痛みならば、痛みも自分の一部として、心と体のバランスをうまくとりながら、痛みがあっても生活を楽しむことができるようになることを当面のゴールと考えている。
生活環境の大きな変化と精神的なストレスが重なっていた時期だったので、疲れがたまったのかと思ったが、次第に肘の上の方や膝にも痛みが拡がっていったので、スポーツトレーナーをやっている知人に相談して、鍼灸師を紹介してもらった。しばらく通っても改善が見られなかったので、今度は整形外科を紹介してもらって検査を受けたが、骨の異常などは見つからず、線維筋痛症の可能性もなくはないということで、大学病院の精神科を紹介された。
最初の受診で、痛みがいつ頃から出始めたのか、生活に大きな変化があったのかといったことを聞かれ、当時抱えていた個人的な問題についてすべて医師に話した。からだじゅうに痛む場所(圧痛点)が何か所あるかを調べる検査では、かなりの部分が痛いと感じられた。さらに検査でリウマチや膠原病などほかの病気の可能性はないことがわかり、「線維筋痛症の可能性がある」と診断された。しかし、痛みで日常生活が送れない、夜も眠れない、という状態ではなかったため、服薬の指示はなく、ストレスの少ない生活をし、適度な運動をするように、ということが書かれた線維筋痛症のパンフレットを渡されただけだった。
もともと薬を飲むことは嫌いだったので、以前からやっていたヨガを続け、鍼灸にも通ったが、数か月たっても痛みが治まる気配はなく、大学病院の3回目の受診では「時間をかけて診ていくしかない」と言われた。自分でもそれを受け入れる気持ちでいたが、診察が終わったあと、治験コーディネーターと思われる看護師がやってきて、いきなり治験の説明を始めた。医師から薬物療法の話は全く出ていなかったにもかかわらず、唐突に話が出たことに不信感を抱き、治験参加はその場で断った。4回目の受診日に用事が出来て予約をキャンセルしたのをきっかけに、遠かったこともあり、大学病院に通うのは辞めてしまった。
その後は別の鍼灸院に行ったり、整体に行ったりしたが、症状は良くならない。朝起きた時は、両手の手首から先が固くこわばって、自分の手ではないように感じる。症状が出るときは必ず左右両方に出て、どちらが強いということもない。こわばりは朝が一番ひどいが、日中も痛みとしびれは続いていて、お風呂に入って温めると症状が緩和されるが、また翌朝になると同じようにこわばることを繰り返している。
痛みが出るとビンのふたが開けられず、子どもたちに頼んで開けてもらうこともあるが、家事はもともと家族で分担していたので、痛みが出たことで大きな支障はない。一方、翻訳の仕事は締切があるので、痛みで集中できなかったり、夜寝られずに疲れが出たりすると、仕事に影響することもある。
初めのうちは生活が落ち着き、精神的なストレスが軽減すれば、痛みがなくなるはずだと思っていた。しかし、実際に生活の状況が改善しているにもかかわらず痛みがなくならない、ということに気づいたとき、痛みやしびれを生活の中から追い出そうとするのではなく、それらと折り合いをつけながら一緒に暮らしていこうというような発想が生まれてきた。少なくとも今ぐらいの痛みならば、痛みも自分の一部として、心と体のバランスをうまくとりながら、痛みがあっても生活を楽しむことができるようになることを当面のゴールと考えている。
インタビュー41
- この痛みはすぐになくなるものではないとわかるまで2年位かかった。それからは痛みを追い出すのではなく、痛みと一緒に暮らすような発想に変わってきた
- 完全に痛みが無くなったら嬉しいがそれをゴールとするのではなく、どこかで折り合いをつけて、痛みがあっても生活を楽しめるようにしていきたい
- 痛みの感覚は自分にしか分からないので、線維筋痛症という病名にアイデンティティを見いだしておらず、患者会に行くよりも自分で生活の仕方を考えることにしている
- 知らず知らずのうちにストレスが溜まり、ある朝、手が石のように硬く痛くなった。検査で異常なく、線維筋痛症の疑いと言われたが、生活が落ち着いても痛みはあるのはなぜか
- 線維筋痛症の可能性がある。ただ怠けているわけではないとわかったのはよかったが、現状では病名にこだわる必要はないし、こだわらない方がいいかなと思う
- 痛みのため集中できなかったり、疲れで自分のリズムで翻訳の仕事ができないということがある