インタビュー時:51歳(2015年7月)
関係:慢性の痛みを持つ72歳男性(本人インタビュー14)の妻
首都圏在住。老人ホーム勤務。2011年から夫(当時60代後半)が腰の強い痛みを訴えるようになり、2013年にはパーキンソン病の診断を受け、自宅で療養している。子ども2人は既に独立し、夫婦で暮らしている。約20年前から有料老人ホームに勤めており、朝早くに出勤し夕方に帰宅している。夫とは、食事の時や車いすでの2-3時間の長い散歩の時によく話をする。入浴や着替えの際に手を貸している。職場やテレビ・本などから夫の病気に関係する情報を得て、夫に伝えている。
プロフィール詳細
瀬戸さん(仮名)は、関東地方で夫(本人インタビュー14)と2人で暮らしながら老人ホームの栄養サービスの仕事に就いており、朝早くに出勤し夕方に帰宅している。2人の子どもは既に独立した。
夫は、2011年の震災の頃から腰の痛みを訴えるようになった。当初夫が一人で通院していた病院では「脊柱管狭窄症」と診断されたようだが、薬を飲んでも痛みが改善せず、仕事にも通えなくなったので、一緒に別の総合病院を受診した。そこでは腰痛は年齢によるものだろうとのことで、以前からあった血尿について相談したところ膀胱がんが見つかったので、そちらの治療を優先することになった。がんは手術によって回復したが、依然背中の痛みが続き、MRIやCTで検査したり痛み止めの薬を飲んだりしたものの、原因はわからず回復しなかった。
2013年に入ってから、近所のかかりつけの整形外科の医師に、「歩き方がパーキンソン病の人のようだ」と言われ神経内科の受診を勧められた。そこで、膀胱がんの手術をした病院の神経内科で検査を受け、パーキンソン病と診断され、服薬治療を始めた。骨や脊柱管の状態は年齢相応で異常とは言えないとのことで、リリカやトラムセットなど痛み止めの薬をいろいろ試したが、効果がなかった。さらに、パーキンソン病の人は普通の人の何倍も痛みを感じやすいということで、ドパコール(パーキンソン病の薬)を増やしたものの、現在に至るまで依然として痛みがなくなるということはない。ただ、車椅子に乗っているときは全く痛みを感じなかったり、自分が介助するときには体重がかからないようにしてくれたりするので、精神的なこともあるのではないかと思う。
「脊柱管狭窄症」や「パーキンソン病」のように病名を聞いたときには、本を読んだり職場の医療従事者に薬の情報を聞いたりして、夫のために情報を集めている。職場で、終末期ケアに携わる宗教者とも話をしたことがある。また、痛みを抱えた人が出るテレビ番組は片っ端から見た。他の人の痛みについての情報を夫に伝えることで、夫が痛みについて別の角度から考えられるようにという気持ちからである。また、夫は、携帯電話すら重くて持ち歩くことができない。一人で出かけたときに不測の事態があっても電話で助けを呼べないため、マンションの管理人さんには、夫にもし何かあったら自分に連絡してくれるように頼んである。
痛みが出る前は夫は毎日10数時間外で働き、自分も子育てで忙しかったため、二人で散歩に出かけるときくらいしか会話ができなかった。今は、並んで歩くのではなく車椅子で前後に分かれるが、天候が穏やかな日には2-3時間散歩することもあり、楽しみに思っている。仕事で悩むことがある際にも、夫は以前と変わらず相談に乗ってくれ、話をすることはむしろ増えた。夫は若干気難しいところはあったが、その気難しさも、痛みを経て少し穏やかになったように感じられる。最近では、先のことを考えて霊園に申し込んだり、葬送の方法について話あったりすることもある。
「慢性」という言葉は、人から言われるときに、「慢性だから仕方ない、我慢しなくてはいけない」というニュアンスが入っているように思える。自分自身も、夫から「痛い」と聞くことに慣れてしまっているときがあることに気づいている。瀬戸さんが今もっとも望んでいることは、「全く痛くない」という日を1日でいいから作って欲しいということである。
夫は、2011年の震災の頃から腰の痛みを訴えるようになった。当初夫が一人で通院していた病院では「脊柱管狭窄症」と診断されたようだが、薬を飲んでも痛みが改善せず、仕事にも通えなくなったので、一緒に別の総合病院を受診した。そこでは腰痛は年齢によるものだろうとのことで、以前からあった血尿について相談したところ膀胱がんが見つかったので、そちらの治療を優先することになった。がんは手術によって回復したが、依然背中の痛みが続き、MRIやCTで検査したり痛み止めの薬を飲んだりしたものの、原因はわからず回復しなかった。
2013年に入ってから、近所のかかりつけの整形外科の医師に、「歩き方がパーキンソン病の人のようだ」と言われ神経内科の受診を勧められた。そこで、膀胱がんの手術をした病院の神経内科で検査を受け、パーキンソン病と診断され、服薬治療を始めた。骨や脊柱管の状態は年齢相応で異常とは言えないとのことで、リリカやトラムセットなど痛み止めの薬をいろいろ試したが、効果がなかった。さらに、パーキンソン病の人は普通の人の何倍も痛みを感じやすいということで、ドパコール(パーキンソン病の薬)を増やしたものの、現在に至るまで依然として痛みがなくなるということはない。ただ、車椅子に乗っているときは全く痛みを感じなかったり、自分が介助するときには体重がかからないようにしてくれたりするので、精神的なこともあるのではないかと思う。
「脊柱管狭窄症」や「パーキンソン病」のように病名を聞いたときには、本を読んだり職場の医療従事者に薬の情報を聞いたりして、夫のために情報を集めている。職場で、終末期ケアに携わる宗教者とも話をしたことがある。また、痛みを抱えた人が出るテレビ番組は片っ端から見た。他の人の痛みについての情報を夫に伝えることで、夫が痛みについて別の角度から考えられるようにという気持ちからである。また、夫は、携帯電話すら重くて持ち歩くことができない。一人で出かけたときに不測の事態があっても電話で助けを呼べないため、マンションの管理人さんには、夫にもし何かあったら自分に連絡してくれるように頼んである。
痛みが出る前は夫は毎日10数時間外で働き、自分も子育てで忙しかったため、二人で散歩に出かけるときくらいしか会話ができなかった。今は、並んで歩くのではなく車椅子で前後に分かれるが、天候が穏やかな日には2-3時間散歩することもあり、楽しみに思っている。仕事で悩むことがある際にも、夫は以前と変わらず相談に乗ってくれ、話をすることはむしろ増えた。夫は若干気難しいところはあったが、その気難しさも、痛みを経て少し穏やかになったように感じられる。最近では、先のことを考えて霊園に申し込んだり、葬送の方法について話あったりすることもある。
「慢性」という言葉は、人から言われるときに、「慢性だから仕方ない、我慢しなくてはいけない」というニュアンスが入っているように思える。自分自身も、夫から「痛い」と聞くことに慣れてしまっているときがあることに気づいている。瀬戸さんが今もっとも望んでいることは、「全く痛くない」という日を1日でいいから作って欲しいということである。
家族インタビュー02
- もうちょっとうまく痛みと付き合えばいいんじゃないか、と思うときもあるが、痛いのは本当につらいと思う。痛がる姿より我慢している姿のほうが見ている方はきつい
- 認知症になって脳の神経が麻痺して痛みを感じなくなる方が幸せかと思ってしまうくらい、慢性の痛みはきつい。たぶん本人が一番付き合い切れないと思っていると思う
- 「慢性」という言葉には「だから仕方がない」というニュアンスがある。本人は痛いから忘れるわけないが、家族は忘れたくなって「いつものことでしょ」と受け取ってしまう
- 痛みは本人しかわからないが、家族に痛がる姿は見せたほうがいいと思う。痛みを受け入れるために家族のできることは、ただただ笑っていてあげることしかない
- 床に座っていて立ちあがるとき、息子は父親を抱え上げて起こすが、自分(妻)が介助するときはかなり自分の力で立ってくれるので力が要らない
- 毎日ただ「痛くない?」と言っているだけではしょうがないので、違った角度から夫のアンテナに届くようにと、本やテレビから情報を集めている
- 夫が脊柱管狭窄症と診断されたが、湿布を貼っても薬飲んでも痛くて仕事に行けなくなった。病気について調べたら、何かちょっと違うような気がしてほかの病院に行くことにした