※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時:49歳(2014年11月)
疼痛期間:16年
診断名:関節リウマチ
首都圏在住の女性。子育て中の33歳の時に初めて足の痛みと腫れ、手のこわばりを自覚。複数の医療機関を受診してようやく確定診断がつき、プレドニンの内服治療を受けるが強烈な痛みが続く。2002年以降、いくつかの新薬を試して自分に合うものが見つかった。現在は代替療法も活用しながら、ある程度痛みをコントロールして、大学教員として通常の業務をこなすことができている。
語りの内容
例えばヨガだとか。例えば瞑想とか。あの、そういうのって私はすごく助けになってたのですね。で、あの、例えばヨガなんかでも、私も本当になんか性格がせっかちなので、あの、もう走りたがるんですよ、人生。それでヨガっていうの、こう、ゆっくり、ゆっくりなんです。最初ゆっくり。で、私の中では、「私は忙しいのよ。こんなゆっくりやってられるんじゃないのよ」って一瞬思うんです。ところが、やってるうちに、「ちょっと待て待て待て待て待て。そうだ。このペースを忘れてた」って思い出させたりとか。
例えば、あの、瞑想、を少しやりに行った時期もあって、あの、全然仏教徒でもないのに。阿字観(アジカン)って知ってますか、フフフ(笑)。あの、そういう瞑想をしたりとか。あとは、あの、まあもともと、うちがクリスチャンなので、やっぱり、あの、なんかそういう別に宗教ではなくて、なんかこう自分に対話をするってことが自分の中ではもう、昔からそれはそんなに嫌なことではなかったので、こう自分と向き合う時間…、ヨガだったり、瞑想だったり。
あの、例えばそうですね、もう1つはやっぱり、病気になってすごく、あの、自分がこういう病気を抱えたり、痛みを抱えることで何か人生観変わったっていうのは、自分が生物なんだっていうことをあらためて、何ていうのかな、こう感じる。何ていうの。人間って何となくこう、あの、動物とは違うっていうか、もっとこう高尚なものだと自分の中ですごく思っていたのが、「何だ、自分も死んでいく存在じゃない?」っていう、生物としての自分っていうこととか。あとは、だから自然の中で自分も生きているんだから、いつかは死ぬんだなっていうふうに思ったりするので。なら、なんか、どうせ死ぬ…生物であれば、なんか毎日平和なほうがいいなと思うので、そういう対話をすることが痛みをコントロールにつながったり、あの、自分が病気に向き合うっていうものの、なんかこう、1つあったんじゃないかなというふうに思います。だから、それがなかったら、私、もっと苦しんでたような気がするんですよ。何で私がこんな病気にならなきゃいけないのとか、何悪いことしたのとか、たぶんそういうふうになってたんじゃないかなと。
インタビュー01
- 病気が治らなくても、それと一緒に歩んでいける自信を今持てているのは、こんな状況の中でも、夢をあきらめずに博士号を取ったことがきっかけになったと思う
- 痛みで生活や人生のコントロールができなくなる感じがあるが、痛みをバロメーターにして生活やメンタル面のコントロールが付くようになり、敗北感から少し這い上がった
- 関節リウマチの痛みは慢性的な関節の炎症によるもので、くるぶしの腫れと痛みから始まった。痛い時は死ぬほど痛くて立ち上がることができず、包丁も握れなかった
- 自己負担は3割だが実際にはもっと多くの医療費がかかっている。高額な医療費をかけてまで自分に生きる価値があるのかと思った
- 漢方や整体など東洋医学の先生たちから、痛みが出た時に心の部分とか生活などを見つめ直す視点を学んだ
- ヨガや瞑想を通して自分と向き合う時間を持つことがせっかちな自分に助けになった。自分との対話が痛みのコントロールにもつながったのではないかと思う