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インタビュー時:30歳(2016年7月)
疼痛期間:15年以上
診断名:不明。
関西地方在住の男性。15歳のころ、まず手のしびれが、次に足の痛みが現れ、耐え難いものに変わった。現在は、両手の激しいしびれ、背中の激痛、太ももの灼熱痛がある。鍼治療、各種内科、外科にかかり、後縦靭帯骨化症、脳脊髄液減少症、線維筋痛症、など様々な疾患が疑われたが、どれも最終的には否定され確たる病名はなく、いかなる投薬・手術によっても改善はしなかった。大学に進学したが授業が受けられないことが続き退学。接客業や工場勤務などを経て、現在は不動産関係の仕事に従事している。
語りの内容
発症したのが、えー、高校1年生のときでして、それまでは、えー、普通に、えー、まあ友達もたくさんいたし、いろんな人とかと、まあ、まあ普通に遊んでたりもしてました。ただ、やっぱりまあ…、病気になってから…、まあ高校生のときは、まあ…、まあただのストレスだろうと思ってたので、まあいつか絶対治るだろうと思ってたので、それほど気にしなく、まあ中学生のときほどではないですが、普通に、まあ友達と遊んでたりとかもしてたんですが。やっぱり高校2年生の後半あたりから、いつになってもやっぱりこの、マシにならないというふうな現状がだんだん精神的にものしかかってきて、そういう人間関係とか友人とか、だんだん希薄になってきましたね。それはやっぱりこう、痛みによって、こう精神が蝕まれて、こう、本当は笑いたいけど、笑える気力がないというか。そういう気力、まあ精神的なそういう気力がだんだんこう奪われていった感じですので。やっぱり高校生、高校生活の後半あたりから、だんだん、あの、人とうまく話すっていうことができなくなってきました。本当は、すごく苦しい症状があるんだけれども、それを言えないっていう現実。言ったら、逆に白い目で見られる。
やっぱり発症当時だったり、10年前、8年ぐらい前というのは…、「そんなに苦しい体の痛みがあるんだったら、病院に行ったら何とかなるんじゃないの?」って、やっぱり社会の人は思っているんですよね、一般人の方は。僕だってそう思って、絶対良くなるだろうと思って、ひたすらいろんな病院に通院してきましたし、病院に行ったら絶対、まあ原因とか病名もわかって、まあ絶対治るだろうと信じてたし。でも、それとは全く真逆の現実っていうのを突き付けられていたので。まさか相手も、そ、そんな現状だということは想像もつかないわけなんですね。だから、こっちとしても言いたくても言えないですね。なので、僕自身も、その、そういったことからだんだんその、人に対してこう距離を置くようになってきて、誰にも話せなくなる時期っていうのも何年間も続いたときもありました。
インタビュー26
- いろんな薬や治療を試しても効果がない難治性の慢性疼痛患者は、病名ではなく痛みの症状として一つにまとまって、原因や治療の研究を進めるよう訴えていくことが必要だ
- 10年間に70にも上る医療機関でさまざまな検査を受けたが、原因も病名も明らかにならなかった。現代医学で解明するのは難しいと言われた
- 接客業や工場勤務など様々な仕事をしてきた。痛みは変わらないが、今の仕事は一人でやる作業が多く、周りに気を遣わないでいいところが精神的に楽である
- 治ると思っていた痛みが改善せず笑う気力もなくなり友人関係も希薄になった。治らないとい う現状は誰も想像もできないだろうと考え、誰にも話せず人と距離をおくようになった
- 自分の病気を社会に認知してもらうために地元や海外で署名活動をした。その活動を通して自分が思っている以上に話を聞いてくれる人やサポートしてくれる人がいることを知った
- 病名に振り回されてドクターショッピングに陥り、ひどい対応をされたこともあった。多額のお金を投資しても治らなかったので、他の疼痛患者に病院を紹介する気にはなれない