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インタビュー時:49歳(2017年5月)
疼痛期間42年
診断名:線維筋痛症、未分化型結合組織病 他。
九州在住の女性。自営業(講師)と、公務員(非常勤職員)として就業。
母親・弟と3人暮らし。小学生の頃より激しい肩こりと頭痛を自覚し、20代より痛みが全身に広がり、30代では自力で体を動かせなくなり、離婚を経験した。32歳で線維筋痛症という確定診断がつき、ステロイド治療を始め投薬治療を受けたが副作用が強く、現在は頓用薬で痛みを抑えるのみで、全身の痛みは継続している。闘病体験を書籍化したり、医学部生向けに講義したりすることを通して自分の役割を見出した。
語りの内容
まあよくいろいろ言われるのが、「患者らしくない」っていうことを言われるんです。で、「どっこも悪くなさそうだ」と。「そんなに痛みがあるようには見えない」っていうふうに言われる今があるんです。
でも、それはその本当に寝たきりだったころからすると、全く想定できない現状なんですけれど、痛みがありながら社会復帰をする中でそれは身につけたものだと思うんですね。で、まあ何度かお話ししてますが、笑って最期を迎えたいっていうところに向かっていく中で、やっぱり、まあその社会復帰してからも、その、うん、――社会復帰してからじゃないな。それまでもですね、人に不快な思いをさせちゃいけないんだっていうのもあって。
私が、具合が悪いことで人が不快になるっていうのはわかりきっていることなんですけど、うーん、まあ日常もそうですし、社会生活していく中で、まあそれは良くない。人に不快、その病気のことで、「あの人、今、具合が悪いんだな」とか「痛いんだな」っていうところを悟られないようにっていうのも正直あったんですね。
で、何よりその、前に進んでいくためには私自身が笑顔でいるっていうことは大切だなっていうのもあって、まあ相反する、そのいろんなものもあるんですけれど、前に進んでいく、うーん、ためには、その、まあ人前に出るときもその、笑顔でいたほうがいいなとか。とはいえ、痛いのに笑顔ってなかなかできないので、その、まずは口角を上げるっていうところを意識してみたりとか。だから、そこはちょっと正直うまく今は説明できないんですけれど。だんだんそこ、まあそういったことを意識したり、まあ私の中でのいろんなことの葛藤の中で、うーん、本当は痛いんだけど、笑顔でいるっていうことができるようになったというのもあるし…。
インタビュー21
- 毎日、朝昼晩と痛みの変化の記録をつけていると、逆に痛みから離れられなくなってしまうので、痛みがあってもどうすれば楽に過ごせるかを考えたほうがいい (音声のみ)
- 小学生のときから激しい肩こりと頭痛があり、20代でその痛みが全身に広がり、手の指先、足先、関節の痛み、内臓の痛みまで出て、30代で痛くて寝たきりとなってしまった
- 線維筋痛症の診断後ステロイドパルス療法を受けた。びっくりするくらい痛みが楽になったが、ステロイドを減らしていくと痛みが元に戻ってしまった
- ペンタジン*の注射も感動的に痛みが消え幸せになる治療だったが、使えば使うほど副作用が出たので、薬に頼るだけでなく痛みとうまくやっていくことを考えるようになった
- 人間の命は単純ではない。病名が付かないと病気扱いされないが、そういったことに振り回されず、自分の中で感じている異常はまず自分がわかってあげるのが大事(音声のみ)
- NLP※を学び、試行錯誤して専用のカリキュラムを作り、人にも伝えるなかで体調コントロールが出来るようになり、寝たきりだったところから社会復帰した(テキストのみ)
- NLPで痛みは楽になっていったが、今は線維筋痛症以外の病気もあって、気持ちや考え方だけではどうしようもないと感じることがある(テキストのみ)
- 医学部の学生に患者体験を話す講義を担当した。その間は痛みを感じなかったことを発見し、自分のやりたいことに対しては自分が味方してくれるんだと気付いた (音声のみ)
- 自分が具合が悪いことで人に不快な思いをさせないようにするためだけでなく自分が前に進む ためにも痛くても笑顔でいることを意識するようになった(音声のみ)
- 痛みの専門医ではない医師に出会い、痛みについてではなく日常生活ややりたいことについて話すうちに、痛みと向き合うというより自分自身と向き合うようになって成長できた