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インタビュー時:30歳(2016年7月)
疼痛期間:15年以上
診断名:不明。
関西地方在住の男性。15歳のころ、まず手のしびれが、次に足の痛みが現れ、耐え難いものに変わった。現在は、両手の激しいしびれ、背中の激痛、太ももの灼熱痛がある。鍼治療、各種内科、外科にかかり、後縦靭帯骨化症、脳脊髄液減少症、線維筋痛症、など様々な疾患が疑われたが、どれも最終的には否定され確たる病名はなく、いかなる投薬・手術によっても改善はしなかった。大学に進学したが授業が受けられないことが続き退学。接客業や工場勤務などを経て、現在は不動産関係の仕事に従事している。
語りの内容
その時点で発症してから、まあ10年が経過して、まあ日本各地の病院に行っても、あの、原因も病名もわからないし、えー、いろんな治療法を施しても全く効果がないということだったので、えっと、これはもう自分で、あの、訴えていかなきゃいけないと思って、えー、自分の病気の署名活動を行いました。まずは、えっと、自分の地元でビラ配りとか署名活動を行って…。あ、あ、えっと、はい。地元で行いました。で、2012年にちょっと海外で署名活動をしてみようと思って、海外に飛びました。
今は、えーと…、えーと、そうですね、ここ、まあ……、3年ぐらいの間に、まあ自分が、えー、海外に行って、自分の病気の原因とか病名は何なのかと、そういった署名活動を始めたことをきっかけに、いろんな人と出会いました。で、自分の現状をさらけ出すことによって、自分が思ってないような人だったりとか、自分が思っている以上に、あの、結構聞いてくれる。聞いてくれるんだなっていうところもあったんですね。そういう人たちにも何人か会って、そう、まあそういう経験もあったし。で、帰国してから、えっと、やっぱり同じ、私と同じような境遇の患者さんだったりとか、まあいろんなそういうNPO法人、患者会の人たちのそういうサポート、そういう存在を知って、自らその、まあ接触して、まあそういった方々のサポートが徐々にあの、出てきたっていうのが、あの、何ていうんでしょう。
まあ、全く人との関わりを絶ってた昔よりかは、徐々にまあ改善されつつある……、あることかなと思っています。
インタビュー26
- いろんな薬や治療を試しても効果がない難治性の慢性疼痛患者は、病名ではなく痛みの症状として一つにまとまって、原因や治療の研究を進めるよう訴えていくことが必要だ
- 10年間に70にも上る医療機関でさまざまな検査を受けたが、原因も病名も明らかにならなかった。現代医学で解明するのは難しいと言われた
- 接客業や工場勤務など様々な仕事をしてきた。痛みは変わらないが、今の仕事は一人でやる作業が多く、周りに気を遣わないでいいところが精神的に楽である
- 治ると思っていた痛みが改善せず笑う気力もなくなり友人関係も希薄になった。治らないとい う現状は誰も想像もできないだろうと考え、誰にも話せず人と距離をおくようになった
- 自分の病気を社会に認知してもらうために地元や海外で署名活動をした。その活動を通して自分が思っている以上に話を聞いてくれる人やサポートしてくれる人がいることを知った
- 病名に振り回されてドクターショッピングに陥り、ひどい対応をされたこともあった。多額のお金を投資しても治らなかったので、他の疼痛患者に病院を紹介する気にはなれない