ここでは慢性の痛みを抱える人たちと、医療関係者(医師や看護師、理学療法士などの医療専門職だけでなく鍼灸・マッサージや民間療法の施術者も含む)との関わりについて紹介します。
「ドクターショッピング」に至る理由
慢性の痛みの原因はさまざまで,医学的な病名(診断名)がなかなかつかないことがあります。私たちのインタビューでも、多くの人が様々な検査をしても異常がみつからず、痛みが慢性化する中で医療者に不信感を抱き、あるいは医療者にさじを投げられ、わらにもすがる思いで、次々に医療機関を受診した経験を語っていました。70カ所以上の医療機関にかかって、未だに確定診断が得られていないという男性は、さまざまな医療者との出会いを次のように話しています。
椎間板ヘルニアの術後の痛みで苦しむ女性は、手術した病院で診療を拒否され、転院した先では「医者を転々とするのはやめなさい」と言われたと話しています。診断がつかないがゆえに「ドクターショッピング」せざるを得ないのに、そのことが逆に医療者の側の患者に対する不信感を生み、「痛いはずがない」「精神的なものだろう」といった言葉につながり、患者が精神的にも深く傷つくという悪循環を生んでいるように見えます。
診断がついてもつかなくても、何らかの対症療法で痛みが軽減されればよいのですが、それすらもうまく行かない場合、医療者の側が「さじを投げる」こともあります。インタビューでも「さじを投げられた」ことで、不安や絶望感に襲われたことを語っている人がいました。
「さじを投げる」ことは医師や理学療法士ばかりでなく、民間療法の施術者でもあるようです。次の女性は内科、麻酔科、心療内科・精神科など様々な診療科にかかりましたが、治療の成果がなく、かかっていた医師に「もうやめようよ」と言われて、民間療法に切り替えたと言います。しかし、民間療法も半年やっても効果が見られないと、治療家に「もう僕にはできない」と言われたり「まじめにやる気があるのか」と怒られたりしたそうです。
痛みの訴えを信じてもらえるか?
痛みは目には見えない主観的なものですから、検査データに異常が見つからなくても、患者の訴えを医療者が信じて、痛みの原因を探ろうとする姿勢があるかないかが、診断や治療の選択を左右し、患者の病気に向き合う姿勢や予後にまで大きな影響を及ぼします。不慮の事故で骨折後、CRPSと診断された60代男性は、医師は痛みがあることを信じ、長期化する痛みを見逃さないようにしてほしいと忠告しています。
「患者の訴えを信じない」中には、「そんなに痛いはずがない」「おおげさ」と痛みの程度を信じない場合と、痛みや症状そのものの存在を信じず、経済的・社会的な利益のためにウソの訴えをしている「詐病」と捉える場合があります。いずれの場合も言われた患者は深く傷ついています。
なかなか痛みを理解してもらえないことを経験している人たちは、医療者に痛みが本当にあると認めてもらえたときに、本当に救われた気持ちになったと語っています。
治療困難な中で信頼関係を築く
痛みが慢性化するということは、痛みを一時的に緩和する対症療法はあっても、根本的に痛みを取り除くことが極めて難しい状態にあるということです。その結果、医療者に対する期待とその期待が裏切られることへの失望が患者側にはあり、医療者側にも期待に応えられない無力感があります。そのような閉塞的な状況でも、患者が痛みを感じていることに理解を示し、真摯に患者に向き合う医療者にはありがたみを感じ、たとえ痛みが取れなくても信頼を寄せることができると話している人たちがいました。
この女性の夫で、慢性疼痛に苦しむ患者を支援する活動をしている男性は、活動の仲間の自死を経験して、痛みに立ち向かおうとする気持ちを萎えさせるような医療者の態度を変えたいと話しています。
「痛みをなくしてほしい」という強い期待に対して、率直に自分が提供できる医療の限界を伝えてくれた医師に、信頼を寄せた患者さんもいます。
一方、患者も医療に期待するばかりでなく、痛みと向き合いながら医師と協力していくことの重要性に気づいたと語る人もいます。
治療法の選択をめぐって
慢性の痛みは原因も症状も多様で、個人差も大きいことから、ガイドライン等で推奨されている治療でも単一の治療法で症状が改善するとは限りません。そのため、多分野・多職種の専門家が協働して治療に当たる集学的なアプローチ(集学的治療)が有効とされています。インタビューでも、自ら情報を収集して自分に合った治療法を探す努力をしたと話す人が少なくありませんでした。線維筋痛症で薬を最大量飲んでも痛みがコントロールできず、「これが日本の医療の限界」と匙を投げられてしまった女性は、「それならば」と自ら海外の文献を調べ、その治療をした経験を持つ医師を探し出し、改善のきっかけをつかんだと話しています(こちらもご覧ください)。
一方、積極的に情報を集めて主治医に様々な治療を要望したものの、取り合ってもらえなかったという女性は、そのときは腹が立ったが、結果的にはやらなくてよかったので、希望通りの治療をしてくれる医師がいい医師ではないのだと悟ったと話していました。しかし、中には自分で薬の飲み方を変えたり、別の薬を出してほしいと要求したりしたことが原因で医療者との関係がぎくしゃくしてしまったと話す人もいました。
一方、リハビリテーションにおいては患者の個別性が尊重されるためか、患者の側からの働きかけに対して柔軟に対応してもらえた、という語りがありました。「自分で選ばずに医療者の言う通りにしていれば、良くならない時に相手のせいにできるが、それはフェアではないと思う」と話す人もいました。
「痛みをとる」以外のことにも目を向ける
痛みがあっても痛みと向き合いながら生きていく勇気を得られた理由の一つに、医療者とのやりとりを通じて「痛みをとる以外にもやれることがある」と気づいたことを挙げる人が複数いました。
東洋医学や民間療法を利用している人たちも、痛みだけに目を向けるのではなく、日常生活を見直したり、子育ての悩みを聞いてもらったりしたことが良かったと話していました。
自身が医師である男性は、たまたま研修医時代を過ごした病院を受診したことで、担当医にその時に経験していた痛みとは直接関係のない、これまでの人生について語ることになりました。診察の結果、痛みについては特に治療をせず様子を見ることになったのですが、その後は痛みがあっても「だからどうした」と思えるようになったと話しています。
2018年11月公開
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