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インタビュー時:65歳(2014年12月)
疼痛期間:23年
診断名:腰椎椎間板ヘルニア(術後腰椎癒着性クモ膜炎)および右下肢末梢神経症。
北海道在住の女性。椎間板ヘルニアの手術後3年目に突然両足に激痛が出て歩けなくなった。各種のブロック治療を受けたが効果がなく、14年前から医師と相談・調整しながら塩酸モルヒネを使い始め、5~6年ぐらい前より日常生活を何とか送れる状態を維持している。患者会では痛みを仲間と分かち合うことができ、上手に時間を使って楽しむことを学ぶことができた。
語りの内容
―― 医療者の対応とか言葉とか、そういう中ですごく困惑した体験とか経験とかがあったら、お話しいただけますか?
本当にあり過ぎてね、先生に対してはね。……うん。手術したところがまずそうですよね。知らぬ存ぜぬで、もう病名すらもわかりません。「診断書を書いてほしいんです」って言ったら、「病名がわからないから診断書は書けません」って言うんですね。でも、こっちも診断書をもらわなかったら職場に出さなきゃいけないのに、うー、書けないって言われても困るなと思って。で、「もし、ほかに病院にかかってたら、そっちのほうからもらってくれ」って言うんですよね。そんな(笑)馬鹿な話ないよなと思って。もうそれで結局、知らぬ存ぜぬで、「あなたみたいな患者には出会ったことがないから」って、結局、診察拒否されて。で、ほかへ行っても、もうよくわからない、よくわからないで、ずっと来て。で、あの、「あんまりね、いろいろ医者を転々とするのはやめなさい」って言う先生もいてね。転々とするのをやめなさいって、い、言われても…、病名すら付かないのにね、それでわからない、わからないで、先生たちからも断られ続けているのに、と思いながら、なんかもうすごくこう…、あのころやっぱり一番つらかったですね。病名が付かない。「精神的なものなんじゃないの?」なんて言われたときには、いや、本当に、精神的なわけがないだろうと思うんだけれども。…もう、本当にどうしようもなかったですね。エヘン。みんな拒否されるから。わからない。で、経過観察しましょうとかね、まあそんな感じだったので。ウウン。
でも、実際に歩けてないし、痛いし。痛みは止まらないし、何もできないしという状態の中でずっと来てたので。普通、普通の生活が自分でできるのかなっていう、すごく不安もあったし。で、あの、前の日まで歩けてたのに、次の日、目が覚めたら歩けなかったっていう、そんな感じだったので。なんか自分の中でもこう、受け入れられない、病気に対して。歩けなくなったということに対して受け入れられなかった、自分自身がね。
インタビュー07
- 最初の2年くらいはただ恨み節で泣いていたが、これが私の普通の日常生活と思うようになって、痛みも全部ひっくるめて、今の私があるんだと思えるようになった
- 硬膜外、仙骨、くも膜下、神経根と様々なブロック療法を試したが、入院が必要なものもあるのでそんなにはできないし、効かなくなってきたのでモルヒネを増やしてもらった
- 主治医に「普通の生活がしたい」といったら「もうモルヒネしかない」と言われた。アヘン患者のイメージがあって踏み切れなかったが、痛みには勝てず飲み始めたら楽になった
- モルヒネに対する医療者の考え方が異なり、処方してくれていた医師がいなくなると診察を拒否されたり、強引に減薬されたりして、普通の生活ができなくなってしまった
- 病名がわからず、医者を転々として、時に断られたり、精神的なものではないかと言われたりした頃が一番辛かった。「間違いなく腰が悪い」と言われ、涙が出そうになった
- 手術をした病院では「病名がわからないから診断書を書けない」と言われ診察を拒否され、よそにいっても「医者を転々とするな」「精神的なもの」と言われすごく不安だった
- 自分は治るんだという気持ちで、鍼灸、整体、アロマ、骨盤矯正、健康ドリンクなど、いいといわれることはほとんどやり尽くしたが、お金がかかっただけで状況は変わらなかった