痛みの訴えを受け止める

強い痛みを抱えている人の家族は、どのように痛みの訴えを受け止めているのでしょうか? このインタビューでは5人の家族がその体験を語ってくださいました。

痛みに気づく

多くの場合、家族は本人の痛みの訴えを耳にして気にかけてはいても、はじめのうちは治療を受けていれば治るだろうと様子を見ています。しかし、そのうちに、はっきりとこれは尋常ではない、と意識する瞬間があるようです。

痛みの訴えを疑わない

そうして本人の尋常ではない痛みに気づいたあと、家族はどのように対応しているでしょうか? 上述した頚髄損傷の女性の、足が「焦げているのではないか?」という訴えは、最初は医療者に受け止めてもらえませんでした。女性の夫はその訴えを疑わず、医療者が信じてくれないことにショックを受けたと話しています。

次の女性も幼い子どもを抱える娘の痛みの訴えが周囲に受け入れられない中、親である自分と夫だけは全面的に娘の言葉を受け入れようと決めていたと話しています。

痛みを理解する難しさ

訴え自体を疑わなくても、理解するのは難しいと感じている家族は少なくありません。また、痛みに苦しむ姿を見ているのも家族にとってはつらいものです。次の女性は腰痛を患う夫が痛みを我慢している様子をそばで見ていて、ひょっとしたら認知症になって記憶をなくしても痛みを感じないで済むのならその方が楽ではないかと思ってしまう、と話しています。

当初は尋常ではない痛みに苦しむ本人を心配していた家族でも、痛みが慢性化するとともに、痛みに対する慣れや諦めが生まれてきます。特に「治らないかもしれない」ということに対する思いは、本人と家族の間でかなりの温度差があることに気づいた家族もいました。

家族の気遣い、本人の気遣い

家族が痛みを抱えている本人を気遣う一方で、本人の気遣いを感じている家族もいます。治療の効果が得られないときに自分が無力感を感じないですんだのは、母親があえて距離をとってくれたからかもしれない、と語る人がいました。

痛みのせいで感情がとげとげしくなって、家族の中に不和が生まれることもありますが、次の男性は自分の妻は痛いときには逆に明るく振る舞うと話しています。その気遣いを男性も娘さんも気づいていて、本人と家族が互いに気遣う様子が伝わってきます。

本人と家族同士がこうして気遣いあう中でも、「母のほうから距離を取ってくれた」と話す女性のように、「べったり寄り添うよりも一定の距離を保つほうがいい」と考える人は少なくありません。次の女性は、子どもを産んで1年ほどで慢性の痛みに襲われた娘を支えるために、まだ幼い孫を引き取って育てる決意をしましたが、その時に親子を一緒に預かるということはあえてしなかったと言います。それは娘を夫の元に残すことで、自立を促そうという考えからでした。

「一定の距離」というのは、こうした物理的な距離だけでなく、心理的な距離もあります。ハイテンションになっているときの妻の痛みをおもんばかるという男性は「妻の痛みには共感しても、自分の心の中にその苦しみを一定以上は入れないように」という表現をしています。

家族としては「痛がる姿より我慢しているのを見る方が辛い」と言っていた女性は、痛みを抱える人と向き合う心の葛藤について、「神頼みみたいな世界」に追い込まれかねないと言いながらも、痛みの当事者に対しては「痛がる姿は見せたほうがいい、甘えていい」と言っています。そして、それを受け止める家族としてできることは「笑っていてあげること」と話しています。これも寄り添いながら心理的距離を保つための一つの方法かもしれません。

2018年7月公開

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