※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時:51歳(2015年7月)
関係:慢性の痛みを持つ72歳男性(本人インタビュー14)の妻
首都圏在住。老人ホーム勤務。2011年から夫(当時60代後半)が腰の強い痛みを訴えるようになり、2013年にはパーキンソン病の診断を受け、自宅で療養している。子ども2人は既に独立し、夫婦で暮らしている。約20年前から有料老人ホームに勤めており、朝早くに出勤し夕方に帰宅している。夫とは、食事の時や車いすでの2-3時間の長い散歩の時によく話をする。入浴や着替えの際に手を貸している。職場やテレビ・本などから夫の病気に関係する情報を得て、夫に伝えている。
語りの内容
あとはもう「慢性」っていう言葉が、「慢性的」って言ってしまうと、痛いのはつらいのは本人だと思うんですけど、ちょっと周りから見ると、「慢性的だから仕方ないじゃない」みたいな、そういう日本語のニュアンスってありますよね。急性だと「ああ、大変、大変」ってなって、「何とかしてあげなきゃ」って思うのに、慢性っていう言葉を聞いてしまうと、「いつものことでしょ」と。こう、自分が楽になるためにそういう受け取り方をしてしまうから、たぶんそういうところが、あの、本人には、あの、やっぱりしちゃいけない態度なんだと思うんですけど、やっぱりいつもいつも一緒にいると、「大したことないよ、気のせいだよ」みたいな言い方はしてしまいますね。
娘が、あの、実はアトピーなので、慢性的なかゆみがあるわけです。そうすると、よくアトピーのすごいひどいときに、「かゆいっていうのは痛いっていうよりもつらいんだよ」みたいな表現をされるんですけど、やっぱりそれも私からすると、いつも「かゆい、かゆい」って言ってるから、だんだん、だんだん、「かゆい」っていう言葉に私が反応しなくなってきちゃうんですね。でも、本人はかゆいわけですよ、もう、人前でも。
でも、そういうのが今回の主人の痛みもその慢性的な痛みだから、こっちが忘れたくなってしまうっていうか。本人は痛いから忘れるわけないんですけど、端からすると、「もうお薬飲んだから大丈夫でしょう」とか、「今は大丈夫でしょう」っていうことはだんだん声かけで出てきてしまう。最初のうちよりは、もしかしたら声かけのかけ方が違ってきちゃってるんじゃないかなっていう、そういうのは出てきますね。
家族インタビュー02
- もうちょっとうまく痛みと付き合えばいいんじゃないか、と思うときもあるが、痛いのは本当につらいと思う。痛がる姿より我慢している姿のほうが見ている方はきつい
- 認知症になって脳の神経が麻痺して痛みを感じなくなる方が幸せかと思ってしまうくらい、慢性の痛みはきつい。たぶん本人が一番付き合い切れないと思っていると思う
- 「慢性」という言葉には「だから仕方がない」というニュアンスがある。本人は痛いから忘れるわけないが、家族は忘れたくなって「いつものことでしょ」と受け取ってしまう
- 痛みは本人しかわからないが、家族に痛がる姿は見せたほうがいいと思う。痛みを受け入れるために家族のできることは、ただただ笑っていてあげることしかない
- 床に座っていて立ちあがるとき、息子は父親を抱え上げて起こすが、自分(妻)が介助するときはかなり自分の力で立ってくれるので力が要らない
- 毎日ただ「痛くない?」と言っているだけではしょうがないので、違った角度から夫のアンテナに届くようにと、本やテレビから情報を集めている
- 夫が脊柱管狭窄症と診断されたが、湿布を貼っても薬飲んでも痛くて仕事に行けなくなった。病気について調べたら、何かちょっと違うような気がしてほかの病院に行くことにした