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インタビュー時:55歳(2014年12月)
関係:慢性の痛みをもつ86歳の女性(本人インタビューなし)の娘(三女)。
北海道在住。大学講師。同居する母親が、リウマチ性多発筋痛症、脊柱管狭窄症と診断されてから5年経過している。3年前に大腸がんで手術を受けた。腰から両足、ひどい時は全身の痛みを感じ、神経ブロックや、痛み止めの薬は効果が無い。「この痛みは一生なくならないのかね」という本人の言葉で、痛みがなくなることを望んでいたことを家族として初めて意識した。
語りの内容
「この痛みはなくならないんだ」っていうのもあり、自分がどうかしたから、どうにかなるっていうものでもないっていうのがだんだん見えてきたときに、無力感というよりは、それでも何ていうの、あ、母がその痛みがあっても何かしようとしてる姿があったので、それを私、見てたんだと思うんですね。痛みをなくそうとして、あの、自分で何かパンパン叩いたり。まあ叩くという痛みのほうに気が紛れるというのがあったかもしれないですけど。それは本当に見てて、あの、切ないなっていうのがありますが、それでも何かしようとしてる母というほうに目が行ったんだと思うんです。なので、何かしようとしてるほうだったら、何か、あの、力添えはできるかもしれないというか、おかしいんですけども。あの、何かしたいと思うほうだったら、あの、できるような環境をつくっていくというか、条件をつくっていくというか。それだったら少しできるかもって。痛みだけを見てると本当に何もできないですね。
もし母がそれで痛いって嘆き悲しむだけで何もしようとしなかったら、一緒に巻き込まれたのかもしれないです。そういう意味では、痛くても何かしようとする母というのに助けられてるのかもしれないですよね、私がね。
だけど、ああ、そっか。私から距離を取るというより、母のほうから距離を取ったのかな。あの、何もしないでくれみたいな形で、ちょっと突き放しというか。それでも何とかしようと……しなかったのは、もうあの、べったりそばにいられなかったというのもあると思うんですけど。……うーん。…痛みの治療というのは確かにあるけど、ペインクリニックを目指して、まあ神経ブロックもお願いしたけど、一時的に良くてもまた戻っちゃうっていう。それが神経ブロック何種類かやったとき、そういう状況だったんですよね。
…そうですね。無力感、無力感になったかもしれない。それから救ってくれたのが、あまりべったりと私に訴えなかった母の気遣いもあったかもしれないですね。
家族インタビュー01
- リウマチ性多発筋痛症と診断されていた母が、ある日深夜にトイレに起きた時手足が動かせなくなり、「歩けなくなるー!」と叫んだので、自分もびっくりして飛び起きた
- 自分はずっと母の痛みと付き合うと思っていたが、「この痛みは一生なくならないのかね」という言葉に、母が痛みがなくなることを期待していたと知ってはっとした
- 母が痛いと嘆き悲しむだけだったら巻き込まれていたかもしれないが、痛くても何かしようとする母に助けられていた。距離を取ってくれたのは母の気遣いだったと思う
- 母は痛みのため四つん這いになってトイレに行っていたが、それに対して自分が何をしたらいいのかわからず、行く先に障害物がないようにする程度のことしかできなかった
- 母は私が作る料理が薄味だったのが気に入らず、「私のことは私がやる。構わないで」と強い口調で言われた。風呂掃除は私がやるが、洗濯は少量ずつ本人がやっている