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インタビュー時:46歳(2015年8月)
関係:慢性の痛みを持つ76歳女性(本人インタビューなし)の娘
関東地方在住。大学講師。母親が2004年から外陰部に膀胱炎のような痛みを訴えるようになった。徐々に痛みが強くなり、日常生活に支障が出る状況になった。泌尿器科を受診しても原因が分からず、間質性膀胱炎の疑いで先端治療も試したが全く効果がなかった。2010年、精神科の薬剤を内服してから、昼間も寝てしまうような生活が続いたため、薬剤が強すぎると医師に伝え、2011年より薬剤を中止。その後、痛みの訴えはなくなったが、認知症を発症していることが分かった。
語りの内容
あの、もう私ができることはもう、ぜん、何もないという非常に空しい感じですよね。何もできなくてどうしようと思ったんですけれど、あの、そのいとこが、えーと、母のためにいすを買ってくれたんですね。最初、母は自分で買ったいすがありまして、それは固定式のいすだったんですけれど、やはり固定式ですと、あの、家事をするときに、あの、それこそ台所にちょこっと、あの、移動したいときとか、固定式なのでもちろん動けないわけですよね。で、いとこが、あの、そんな母を見かねて、あの、車が付いたいすを買ってくれまして、そのことが非常に、あの、母はうれしかったし、私にとっても非常に、あの、うれしく思いました。だから、そういう、こう思いやりが一番、母にとって一番の励みだったと思います。
というのは、薬を飲んでも、あの、治療を受けても何1つ良くならない中で、唯一のこう励みというのがそういう励ましだと思うんですよね。だから、あの、まあ私は、あの、いとこがそのように気をつけて――気を使ってくれたのが非常にうれしかったし。あと親戚が、あの、また、えーと、旅行に誘ってくれたことがありまして、で、あの、歩けない。痛みで歩けませんけれど、車の移動だったら何とかなるよねということで、あの、まあ親戚のおじが運転してくれて、車で旅行にちょろっと行ったことがあったんですけれど、そういうときも非常にうれしく思いました。
というのは、本当にこう精神的に励ますことしかできませんので、まあそれが、本当に気晴らしなんだと思いますね。で、あの、楽しい瞬間、ずっと痛いので、その楽しい瞬間というの、もちろんずっと続くわけではないんですけれども、まあでも一瞬でもこう気晴らしをできるということが母にとっての励みだったんだと思いますし、まあ私も少し精神的な重圧から、まあ一瞬でも、まああの、逃れられたという気はしています。
家族インタビュー03
- 母が痛みを訴え始めた頃、自分は国内にいなかったが、一時帰国した時に台所に椅子が置いてあるのを見て「いよいよ痛みがひどくなったんだな」と思った
- 認知症になった父は、痛みのために寝ている母をひどく叱責するようになった。母にしてあげられたことで一番よかったのは、父がデイケアに通うきっかけを作ったことだった
- 3種類の薬を処方されていた母が昼間も寝てしまうようになったので、母とかかりつけの総合病院に行き、薬が強すぎるようなのでやめさせてほしいと伝え、経過観察となった
- 母は睡眠導入剤がないと寝られないと言い、必要以上に飲むこともあったが、ワインを飲んで寝るといいと親戚に聞いたのをきっかけに、薬を飲まなくても寝られるようになった
- 母のために自分にできることがないと空しく感じていたが、いとこが移動式のいすを買ってくれたり、おじが車で旅行に連れていってくれたりして、精神的な重圧が軽減された
- ひどい痛みに苦しむ母を心配した妹がハンドパワーの祈祷師のもとに連れていったと聞きショックを受けた。3-4回通ったが効き目はなかった