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インタビュー時:47歳(2017年4月)
疼痛期間:約40年
診断名:家族性地中海熱
首都圏在住の女性。夫と二人暮らし。小学校2年生頃から発熱を伴う腹痛、関節痛などが周期的におこり、原因不明のまま経過していた。40代でやっと遺伝子検査の結果、家族性地中海熱と診断される。現在は、家族性地中海熱の治療により痛みをある程度コントロールすることができ、痛みと折り合いをつけながら生活している。
語りの内容
小さいときは、いわゆる頭痛持ちの子どもでした。本当にひっきりなしに頭痛が起こるので、子どもながらにノーシンとか、そういった、今でいうロキソニンとか、そういうお薬を本当に頻繁に飲まなくちゃならないという頭痛持ちの子どもでした。と同時に、足首だとかそういったところの関節に捻挫のような痛みがすごく伴うので、疲れてくると、すぐ痛みが出てしまうという。なので、小学校ときの遠足などの写真で、集合写真とか、あの、それぞれのスナップとかあると私はいつも疲れた顔をしていて(笑)、とても、あの、しょんぼり1人で足を引きずるように歩いている写真が多いので、なかなかな面白いなと今は笑ってしまうんですが。えー、小学校のときはそんなわけで、一般の元気なお子さんのように体育ができて、快活に縄跳びとか球技ができるような子どもではなかったので、どうしても1人、あの、みんなと外れていることの多い子どもでした。
中学・高校は、まあいじめだとかいろんなこともあったんですけど、やっぱり専ら、いじめの中心なのはやっぱり体が弱いということに一番あったように思います。あの、やはり先生方がすごくひいきしてくださったりとか、心配してくださったりというようなことと、みんなと同じようには生活、まあできないというのがあったので。ちょっとしょんぼり寂しい学生時代でしたが、まあ、でも、あの、音楽の仕事にその後進んだことで、随分あの、その後は明るく性格も変わりました。
インタビュー40
- 子どもの頃から頭痛がずっとあるので髪を伸ばしたおしゃれをしたことがないのがなんか寂しい。また体を締め付ける服装は避け、楽な洋服を着て負担がかからないようにしている
- 当初は患者会には参加したくないと思っていたが、自分の病気(家族性地中海熱)は非常に珍しいので、同病の人は同じ苦しみを経験する大事な「戦友」のように思えてきた
- 自分の病気の患者会をネットで知った。チャットでは互いの話したいことが話せるし、自分が外出できないときの情報収集にも役立っている(音声のみ)
- ブロック注射で体がリセットされ、家族性地中海熱の頭痛や関節痛が劇的に楽になった。毎週打てるといいが今は月に1回なので、モルヒネ系の貼り薬を増やして対処している
- 物を作ったり、絵をかいたり一生懸命に集中してできることを見つけて過ごすようにしている
- 東洋医学や精神科での自費診療で膨大にお金がかかり、生まれ育った家を売却するまでにいたり、一時期、親族との関係も悪化した
- 約30年原因不明だったがやっと家族性地中海熱と診断された。難病に指定されて医療費は本当に楽になった
- 小学2年から続いた痛みが家族性地中海熱と診断されたのは40歳を超えてからだった。周りから精神的なものなどと疑われ、原因不明で苦しんできたのは何だったのかと涙が出た
- 痛みと疲れやすさがあったため活発な子どもではなく、一人でいることが多かった。中学・高校では教員から心配されることがひいきととらえられ、いじめられることもあった
- SNSで病気と闘っている姿を見てくれ、ありのままの自分を認め友達としてつきあってくれることがわかってうれしかった