※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュ一時:55 歳(2017 年2月)女性
疼痛期間:24 年以上
診断名:オーバーラップ症候群*(全身性強皮症、シェーグレン症候群)。
近畿地方在住の女性。29 歳から全身の痛みがあり、大手の臨床検査専門会社で 14 年間(2年間は休職)働いていたが、腰椎圧迫骨折を機に40歳で退職した。ステロイド治療を受けるが効果はなく、現在も痛みは続いている。認知症の実母と二人で、在宅支援を受け生活している。病老介護で経済的に不安定な状況である。絵本や詩集を楽しみ、人との交流を持つなど、ポジティプに過ごすことで、痛みを受け入れている。
*オーバーラップ症候群:複数の膠原病が重複して発症する状態
語りの内容
――先ほど、お仕事を今はしていらっしゃらないっていうことだったんですけど、痛みが出始めたときはお仕事をされていたということでよろしかったでしょうか。
はい。あの、仕事してました。で、あの、だいぶ、うん、ちょっと何年までしたというのは……、あの、ちゃんと見ないとわからないんですけども、かなりの年数働きました。会社のほうも結構その配慮してくれて、2年間休んだら退社ということなんですけど、その2年というのがきちっと決めてなかったので、ばらばらの2年間ということで休んでも、書いてないから。あの、続けて休んで2年間なのか、ちょくちょく休んで2年間なのかという決まりが決めてなかったので、ちょくちょく休んでもうトータルとして2年間は休んでいたんだろうけども、決まりが決めてなかったので、そのことは、もうあの、なかったことにしてくれて働けてたんですけども。腰椎の圧迫骨折(38歳)をしたときに、えーと、もう、「2年間しっかり休んで治してから出てきてください」というふうに言われて、しっかり2年間休んだら、「はい、退職してください」っていうふうに言われたので、うまくあの、会社のほうも考えたんだなっていう。でも、今までこう、2カ月休んだりとかが多かったのに働かせてもらったので、しようがないな。でも、ずっと働きたいな。そのときは生活ができるか、すごい不安だったので、もうどうしても働きたいというふうに言ったんですけども、会社としても、もう雇い続けることはできないと言われたので、もうしようがなく退職はしました。
ショックでした。それ、聞いた(とき)。もう本当に、えーと、1回目来たときは、あの、「退職ですよね?」っていうふうに。もう本人も退職するって考えてるだろうなっていうふうに人事の人が思ったみたいで、「退職ですよね?」というふうに言われたんですけども、私としてはもう働くつもりでいたので、「働きます」っていうのをかなり言ったので、そのときは、「いったん、じゃあ、社のほうに戻って、上司と相談してきます」ということで帰られました。2回目来たときに、「もういろいろと上司と相談したけれども、今までのその働いた状況、何度も入退院を繰り返してたりするので、その、会社として雇っていくのはちょっと困る」ということを言われて、「もう辞めてください」って言われて。その人たちがもう帰った後というのは、もうショックが大きくて、もう今まで堪えていたものが大爆発して大泣きをしました。
インタビュー39
- 痛みが続いていることについては受け入れるしかない。神様、仏様が痛みに耐えられる人間だと思ったから与えられた試練だと思うしかない(音声のみ)
- 冷えないように温かい恰好をするようにしている。医師も服装を細かく見て注意してくれる
- 「痛い」と常に言っているのではなく、「痛い」と言うのを休憩させて、小さなことでも楽しいことに挑戦してみることで、痛みを少しずつ減らす方法を自分で見つけていく
- 放送大学の講義を参考にして、脳の中の痛みを感じる箇所が働かないように、自分でも音楽を聞くなどして、脳の違うところを活動させるようにしようと考えた
- そのときの気分にあわせた音楽に集中していると痛みも和らぎ、痛くても眠ることができる
- 見た目は普通だが怠けているのではなく本当に動けない。理解してもらうには、自分に乗り移って感じてもらうしか、わからないような関節の痛み、筋肉のだるさがある
- 圧迫骨折で動けなくなったことの証明として治療で使用したステロイドの量を全部チェックし2回目の申請で障害年金をもらうことができた
- 痛みのために休職・復職を繰り返した後、しっかり2年間休んだ。復職するつもりだったが会社からもう雇い続けることはできないと告げられ退職となった
- 周囲の人から反対されても痛みがある自分との旅行につきあってくれた人や、その人の生き方の糧として自分を手助けしてくれる人がいる