インタビュー時年齢:76歳(2012年11月)
関節リウマチ治療薬の治験(第何相試験かは不明・プラセボ対照ではない)に参加。
北関東在住。1987年に関節リウマチと診断され対症療法を受けていたが、次第に悪化。1997年、夫が見つけてきた新薬開発の新聞記事を頼りに、大阪の大学病院を受診。1年半待って1999年に大阪の総合病院で新薬の治験に参加。最初は入院して点滴を受けたが、1か月ほどで痛みや浮腫が消えた。その後は4週間に1回、大阪まで新幹線で通院した。2008年4月に薬が承認され、地元の病院でも治療を受けられるようになった。
プロフィール詳細
竹渕さんは、1987年、顎の痛みをきっかけに近くの整形外科を受診したところ、リウマチの診断を受けた。その後、対症療法をしていたがよくならずにいたところ、関西の大学病院でリウマチ新薬が開発されるという小さな新聞記事を夫が見つけてきた。しかし、北関東から大阪は遠いし、通いきれないと考え、2~3年は記事をお守り代わりに持っていた。1997年、症状がひどくなってきたため、思い切って記事に載っていた医師にコンタクトをとった。その時点ではまだ治験は始まっていなかったが、治験参加を前提に2週に1度、新幹線で大学病院まで通うことになった。
治験参加には家族のうち母親だけが反対していたが、先に治験に参加していた患者と会って勇気づけられ、自分も絶対にやろうと決意した。1999年11月にようやく治験に参加できることになり、大学病院の提携先の総合病院に2か月間入院して、最初の点滴を受けた。投与が始まってから1か月ほどで、痛みや手の腫れが引いて効果が感じられ、この薬には一生お世話になると思った。
その後は、4週間に1回、1泊2日で北関東から関西の総合病院まで通っていた。送り迎えなどで家族に迷惑をかけたのがストレスだったが、病院ではスタッフに恵まれた。医師や看護師は自分のことをすごく気にかけてくれたし、何かあればすぐに相談できた。特にコーディネーターには子どものことなどを相談したこともあった。治験仲間とは互いに頑張ろうと声をかけあって協力してがんばった。
新聞記事を見る前は治験というものがあることなど全く知らなかった。治験に参加して、薬の開発に協力させてもらったという自負もあるが、そのために細かくチェックしてもらったのは感謝している。治験に至るまではいろいろな研究をしてきているので、むやみに怖がらないで挑戦した方がよいと考えている。もしまた治験に協力する機会があれば、参加してもよいと思う。
治験参加には家族のうち母親だけが反対していたが、先に治験に参加していた患者と会って勇気づけられ、自分も絶対にやろうと決意した。1999年11月にようやく治験に参加できることになり、大学病院の提携先の総合病院に2か月間入院して、最初の点滴を受けた。投与が始まってから1か月ほどで、痛みや手の腫れが引いて効果が感じられ、この薬には一生お世話になると思った。
その後は、4週間に1回、1泊2日で北関東から関西の総合病院まで通っていた。送り迎えなどで家族に迷惑をかけたのがストレスだったが、病院ではスタッフに恵まれた。医師や看護師は自分のことをすごく気にかけてくれたし、何かあればすぐに相談できた。特にコーディネーターには子どものことなどを相談したこともあった。治験仲間とは互いに頑張ろうと声をかけあって協力してがんばった。
新聞記事を見る前は治験というものがあることなど全く知らなかった。治験に参加して、薬の開発に協力させてもらったという自負もあるが、そのために細かくチェックしてもらったのは感謝している。治験に至るまではいろいろな研究をしてきているので、むやみに怖がらないで挑戦した方がよいと考えている。もしまた治験に協力する機会があれば、参加してもよいと思う。