インタビュー時年齢:43歳(2014年3月)/男性(患者の息子)
母親(インタビュー時77歳)がすい臓がん治療のため、【1】がんペプチドワクチンの治験(第3相・プラセボ対照)と【2】漢方薬の治験(第2相)に参加したが、いずれも効果が見られず中止。
首都圏在住。母親がすい臓がんで、薬が効かなくなってきたところ、2013年に主治医から治験【1】を紹介された。母親の病状から時間的余裕もなく、ほぼ即決して、週1回注射を受けるために通院したが、効果が見られず1ヶ月で中止。母親ともども落胆したが、さらに治験【2】を紹介されて参加した。治験【2】でも効果がみられなかったがあきらめきれず、インターネットで他の治験を探し、別の治験に参加準備中。
プロフィール詳細
金井さんは、首都圏に在住の会社員で母親と2人暮らし。2011年冬に母親にすい臓がんが見つかった。手術を受け、その後抗がん剤治療を受けていたが、すい臓がんの最後の砦ともいわれる薬も効かなくなった。そこで、主治医からがんペプチドワクチンの治験①を紹介され、母親の病状を考えて時間的余裕がなかったのでほぼ即決した。担当の医師から、副作用は非常に少ないと冊子等を用いて説明を受けたが、母親も自分もよくわからなかった。しかし、参加する試験が第Ⅲ相で、プラセボにあたる可能性があるということだけははっきりと脳裏に焼き付いていた。母親は、自分が絶対に実薬にあたると考えていたようである。コーディネーター(CRC)はいたが、治験に関する不安なことなどは主に医師に相談していた。心の片隅では、プラセボなのかという不安もあったし、母親はもしプラセボにあたっていたらこの先どうすればいいのかとしきりに不安がっていた。
治験のことは、主治医から紹介されて初めて知り、インターネットでいろいろと調べたが、あまりよくわからなかった。しかし、治験が成功してすい臓がんの新薬ができるのであれば受けるべきかと考えた。母親にも、自分自身のためでもあるし、みんなのためでもあるという説明をした。案ずるより産むがやすしと思っていた。治験①では、注射を受けに週1回通院していた。1ヶ月継続したが、腫瘍マーカーが上がり、効果が見られないということで医師が中止を判断した。母親ともども落胆し、もしかするとプラセボだったのではないかとも思った。それと同時に、次にどうすればいいかということを考えた。
そこで、主治医に相談したところ、治験②を紹介された。母親は喜んでおり、希望は捨てていないと話していた。治験②は医師主導治験で、1日2回漢方薬を飲み、1カ月後の腫瘍マーカーの値を検査しにいった。腫瘍マーカーが下がらず、主治医からは緩和ケアや訪問看護などを勧められた。
しかし、治験の存在を知り、他にも母親が参加できる治験があるのではないかと考え、インターネットを使って調べた。参加できそうなものを見つけると、電話で問い合わせをしたが、なかなか条件に当てはまるものがなかった。すい臓がんの治験を扱っている施設が6-7件ほどと少なく、すべてに問い合わせをしたが、条件が合わないと断られてしまった。母は、自分に任せきりだったが、治験に期待をしていたと思う。母とともに、治療方法を探すときには民間療法は避け、治験を第一に探していた。
ひとつ参加できそうな治験を見つけ申し込んだところ、これまでにペプチドワクチンを受けていると参加できないと言われた。しかし、ペプチドワクチンの治験①でプラセボを投与されていたのであれば参加できるということだったので、治験①の医師に結果を問い合わせた。そのときは1年経たないと情報公開できないと言われたが、その後製薬会社からその薬は効き目がないため開発を中止すると連絡があって情報公開できることになり、医師から母親に電話でプラセボだったということが知らされた。母はその間に受けた既存薬の治療で体調を崩してしまったので、回復を待って、次の治験に参加するつもりである。
母にとって、治験は最後の砦だと思う。治る見込みがあるのだったら参加したいと考えているのではないか。自分自身の考えとして、治験はあるべきものだと思う。人体実験のようなものかもしれないが、それで新しい薬が今後開発されるのであれば、それは必要なことだと思う。ただ、プラセボを入れる必要性が、最後までよくわからなかった。医療者側としては、わかりやすい説明にしているのかもしれないがもっとわかりやすくしてくれたらいいのにとは思った。しかし、もう薬がないので治験にすがるしかなく、参加していた。やめたくなったらいつでもやめられるということは、重要なことではなかった。むしろ、せっかく治るかもしれない治験なのに、なぜ患者側からやめようと思うのか不思議だった。治験に参加することで、薬の開発に関わっているということを意識していたことはあまりなかったが、治験①の薬が、実薬でも効果がなく開発が中止になったということを聞き、治験は薬を開発するために行われるのだということを意識するようになった。
医療機関側から、患者にむけてもっと大々的に情報提供をしてほしい。自分から探すのではなく、医療機関から自分に当てはまる治験の情報が流れてくるようなシステムができればいいと思う。母も、「病院の方からお知らせとか来ないの」というようなことを言っていたことがあり、同じようなことを感じているのだと思う。
治験のことは、主治医から紹介されて初めて知り、インターネットでいろいろと調べたが、あまりよくわからなかった。しかし、治験が成功してすい臓がんの新薬ができるのであれば受けるべきかと考えた。母親にも、自分自身のためでもあるし、みんなのためでもあるという説明をした。案ずるより産むがやすしと思っていた。治験①では、注射を受けに週1回通院していた。1ヶ月継続したが、腫瘍マーカーが上がり、効果が見られないということで医師が中止を判断した。母親ともども落胆し、もしかするとプラセボだったのではないかとも思った。それと同時に、次にどうすればいいかということを考えた。
そこで、主治医に相談したところ、治験②を紹介された。母親は喜んでおり、希望は捨てていないと話していた。治験②は医師主導治験で、1日2回漢方薬を飲み、1カ月後の腫瘍マーカーの値を検査しにいった。腫瘍マーカーが下がらず、主治医からは緩和ケアや訪問看護などを勧められた。
しかし、治験の存在を知り、他にも母親が参加できる治験があるのではないかと考え、インターネットを使って調べた。参加できそうなものを見つけると、電話で問い合わせをしたが、なかなか条件に当てはまるものがなかった。すい臓がんの治験を扱っている施設が6-7件ほどと少なく、すべてに問い合わせをしたが、条件が合わないと断られてしまった。母は、自分に任せきりだったが、治験に期待をしていたと思う。母とともに、治療方法を探すときには民間療法は避け、治験を第一に探していた。
ひとつ参加できそうな治験を見つけ申し込んだところ、これまでにペプチドワクチンを受けていると参加できないと言われた。しかし、ペプチドワクチンの治験①でプラセボを投与されていたのであれば参加できるということだったので、治験①の医師に結果を問い合わせた。そのときは1年経たないと情報公開できないと言われたが、その後製薬会社からその薬は効き目がないため開発を中止すると連絡があって情報公開できることになり、医師から母親に電話でプラセボだったということが知らされた。母はその間に受けた既存薬の治療で体調を崩してしまったので、回復を待って、次の治験に参加するつもりである。
母にとって、治験は最後の砦だと思う。治る見込みがあるのだったら参加したいと考えているのではないか。自分自身の考えとして、治験はあるべきものだと思う。人体実験のようなものかもしれないが、それで新しい薬が今後開発されるのであれば、それは必要なことだと思う。ただ、プラセボを入れる必要性が、最後までよくわからなかった。医療者側としては、わかりやすい説明にしているのかもしれないがもっとわかりやすくしてくれたらいいのにとは思った。しかし、もう薬がないので治験にすがるしかなく、参加していた。やめたくなったらいつでもやめられるということは、重要なことではなかった。むしろ、せっかく治るかもしれない治験なのに、なぜ患者側からやめようと思うのか不思議だった。治験に参加することで、薬の開発に関わっているということを意識していたことはあまりなかったが、治験①の薬が、実薬でも効果がなく開発が中止になったということを聞き、治験は薬を開発するために行われるのだということを意識するようになった。
医療機関側から、患者にむけてもっと大々的に情報提供をしてほしい。自分から探すのではなく、医療機関から自分に当てはまる治験の情報が流れてくるようなシステムができればいいと思う。母も、「病院の方からお知らせとか来ないの」というようなことを言っていたことがあり、同じようなことを感じているのだと思う。
インタビュー15
- 他に薬がなくてわらにもすがる思いで治験に参加するのに、なぜプラセボを入れるのか、パンフレットを読んでも、医療者に聞いても、最後まで納得いかなかった
- ネットができない高齢者のことも考え、患者が探すのではなく、医療関係者が情報バンクのようなものを作って、個々の患者に向けて治験の情報を発信してほしい
- 母が参加した2つの治験では効果が得られなかったが、副作用も出なかった。自分の病気が治る可能性もあるし、新薬の開発にも携わることができるので、受けてみてほしい
- 末期の膵臓がんの母が治験に参加する際、参加を途中で取りやめられると説明されたが、治るかもしれないのになぜ患者側から申し出てやめようと思うのかがわからなかった
- 母は他に治療法がなく、息子の自分が代わりに情報収集を行っていたが治験で新しいものはないかと聞かれたときに「ない」と答えるのは辛かった
- 治験は患者のためにあると思っていたが、治験薬の有効性が証明されなかったと聞き、人体実験みたいなものだが、薬を開発するために必要なものと考えるようになった
- 治験の詳しい説明は理解できなかったが、プラセボだと何も効き目がないということは頭に焼き付いた言葉だった。母はなぜか自分はプラセボに当たらないと自信をもっていた
- 前の治験で投与されていたのがプラセボなら新しい治験にも参加できると聞き、情報公開を求めたところ、治験が終了した時点で、プラセボだったことを知らされた
- 母親の膵臓がんが発覚してから、様々な治療法を試してみたが効果が十分得られず、主治医と今後の治療方針を話し合う中で治験を提案された
- 治療の手段がなくなった母のために「治験 膵臓がん」と入力してインターネットで検索し、日本中治験をやっているところを探して電話をかけたが、条件が合わずに断られた