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インタビュー時年齢:46歳(2014年8月)
線維筋痛症の治療薬の治験(詳細不明)に2回参加を希望したが、2回とも参加できなかった。

九州地方在住。小学生のころから全身の痛みに悩まされ続け、2000年になって線維筋痛症と診断された。 【1】2009年ごろ、新聞チラシで線維筋痛症の治験があることを知り、事前検査まで受けたところで選択基準に外れているため参加できないと言われた。【2】2013年ごろ、また線維筋痛症の治験を新聞チラシで知り、申し込んだところ、電話口で選択基準に外れていると断られ、参加できなかった。

語りの内容

何かせっかく作ってくださっているお薬だし、本当に線維筋痛症で苦しんでいる人たちは、やっぱり、その薬をすごく望んでいることだと思うんですね。だけど、そこに、うーん、何か、本当に、何か、患者の・・・お薬に気持ちは必要ないのかもしれないんですけど、何か、本当に分かってもらえてないような思いが、どうしても1回目2回目の中で。うーん、そこが、そこが、何かすごく悲しくて。だから、何か、その2回目のときは、その断られたことっていうよりも、何を基準にお薬を作ってくださっているんだろうなっていうようなところが、自分の中でいろいろめぐってきて。何か、だから、そのお薬自体に、精神的な影響があるおそれがあるので、おそれがあるっていうか、その辺の、その、部分っていうのはやっぱり入っていると思うんですね。だけど、痛みが楽になるための、その、精神的な作用の部分が、治験のときに、その、死にたいっていうような行動をとったときに臨床試験として困るから、そこから除外されているのかなとか。何かすごいそういう思いがめぐってきて。まあ、それは、勝手にわたしの中で思ったことなんですけど。でも、だとするならば、本当にこれって線維筋痛症のお薬かなっていうのが、やっぱり、そこが強くなってきて、「死にたいほど痛いっていうのがこの病気なのに、うーん」っていうのがすごく。だから、しばらく、でも、そのときは、何日間かすごい、こう、めぐっていました。

―― そういった思いをほかの誰かにお話されたことってありますか。

はい、それは、ちょうど治験を受けている時期に、かかっていた先生が、内科の先生がいて、で、また断られたんだっていう話はしたんですね。で、そのときにその先生が、おっしゃったのが、「何でそこで、また、『はい』って言っちゃったの」っていうことは、その先生がちらっとおっしゃったんです。

―― 「はい」って言うのは、「死にたいと思ったことがありますか」に、なぜ正直に「はい」と答えたのかっていうことですね。

はい。だから、2回目のときは、おそらく先ほどもお伝えしたように、自分の中で、そのお薬を試したいというよりは、どういう思いでこのお薬が使われているのかっていう部分に、あのー、作られようとしているのかっていう部分に、何かわたしの視点がいっていたのかなっていうのと、やっぱり、そこは、正直に答えることで、まあ、断られるどうこうっていうよりも、うーん、何か、わたしの中に芽ばえていた、いろんな思いっていうのを、ちょっと、こう、明確にしたかったのかなっていうような思いでいたことに、そこで、ちょっと、自分で気付いたりしたんですけど。

私は: です。

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