月別アーカイブ: 2021年8月

新型コロナウイルス感染症の語り

前日までぴんぴんしていたのにいきなり倦怠感を感じて、食欲もなく、起き上がることもできなくなった。二日酔いや徹夜の時とかとは全く違う、生まれて初めての経験だった

ちょっと話がずれてしまうんですけど、志村けんさんが亡くなったんですよ。でー、私、すごく好きなお笑い芸人だった、私、私の母がすごい好きで、で、もう、志村けんが亡くな(った)、コロナで亡くなったっていうのはものすごいショックで、あのー 、その、その日、雪が降るほど東京は、春、3月、春なんですけど、雪が降るほどすごく寒かったんですけど、私それでなんか寝込んじゃって、なんかもう私はもうコロナで死ぬかもしれないみたいな(笑)。なんかその日から、気分が滅入っちゃったのか、なんか急に怖くなっちゃって、で、それで体調が悪くなったような気がして。
それで結局、かかりつけ医がいるんですけど、あ、保健所にやっぱずーっと、朝から晩、朝からずっと電話をしていて、「すごい体調が悪いんです」「熱ありますか」「や、熱ないんですけど、体調悪いんです」みたいな。でもなんか多分、それは気分が滅入ったからかもしれないんですけど、あのー、…そのときに保健所が「やあ、やっぱかかりつけ医に、体調悪かったらかかりつけ医、行ってください」と。でー、それでやっぱ、「お医者さんに診断してもらわなければ、PCRには回せません」みたいな。*
*2020年3月当時は37.5度以上の発熱や呼吸器症状があって、かつ陽性確定者と濃厚接触している、あるいは2週間以内にコロナ流行地域に渡航していた、といった条件に当てはまる人が検査の対象とされており、それらに当てはまらない場合は「医師が総合的に判断した結果、新型コロナウイルス感染症を疑う」場合には検査を行うことになっていました。(「2020年2月17日発厚生労働局健康局結核感染症課事務連絡」参照)
それですっごい…その志村けんも亡くなってるし、なんか、あのー、雪も降ってものすごく寒いから、風邪とかの、症状は全くないんですけど、でも今から考えると、あれが倦怠(けんたい)感の1日目だった。とにかく起き上がれない。で、私それは、なんか志村けんが死んじゃ…亡くなったので、ほんとになんかもうすごい、もう起き上がりたくない。寒いしお布団から出て、出たくないと。ご飯も食べたくないや。ただ、後から考えたら、その日は、その日から倦怠感が――その日まで結構ピンピンしてたんですけどーーあの、倦怠感ってのを初めて経験して、生まれてから、これまでの、倦怠感ってのが、ね、そのー、いわゆる二日酔いだとか、そのなんか、仕事し過ぎて徹夜して、「ああ、疲れて、ちょっとしか寝てなくて仕事しなきゃいけない。やってらんない」みたいな、ああいうだるさともう全く違くて、最初、倦怠感って分かんないぐらい、でも、とにかく起き上がれない。

新型コロナウイルス感染症の語り

喉の痛みと微熱に気づき、翌日には解熱剤を飲んでも38℃を超えたのでインフルエンザだったらいいと思い、インフルエンザの検査を受けたが、結果は陰性でがっかりした

そしたら、えーと、私がちょっと体調の異変を感じたのが、3月の末の土曜日。3月の28ですね。まあ、仕事してたんですけど、職場で。3時ぐらいからちょっと喉が痛いなと思いだして、5時か6時ぐらいに、もう、ちょっと家早く帰ろうと思って帰って、熱を測ると、36度ちょっとあった。6度8分か9分で、まあ、熱があるのかどうかなっていうので、ありました。で、その後も測ると、最大、マックス37度まで行ってたようです、記録によると。
で、次の日の朝、起きても熱が下がらないので、ボルタレンっていう解熱剤を――まあ、いつも熱出たときは2錠ぐらい飲むんですけどーー飲んだんですけど、全然、熱が下がらなくて。で、日曜日の朝に、保健所に1回電話しました。ですけど、まあ、そのときまだ、熱が出て2日目だったので、当時は37.5度以上が4日以上じゃないと、まあ、コロナの疑い…にはならなかったので、「まあ様子見てください」ということで、で、自宅にこもって、「コロナじゃなければいいな、ちょっと変だなー」とはその辺からちょっと思ってました。
ですけど、やっぱり38度を超えてきたので、えー、やっぱりちょっと普通じゃないなと思って、その日の夜、自分の勤務先の当直の先生に頼んで、インフルエンザの、検査をしてもらいました。してもらうっていうか、まあ、自分でもらって、自分で鼻に突っ込んでこう検査して、キットで出るので、調べると、A(型)もB(型)も、陰性で。ま、普通はインフルエンザ検査して、陰性だったら、まあ、よかったって思うところが、何かそのときは、陰性だったのが少しちょっとこう、がっかりしたっていうか、インフルエンザであってほしいなと思ってたので、おかしいなと思って。えー、まあ、そのときはもう寝室にこもって、1人でいましたんで、もう夜も遅かったんで、その日は、まあ、寝ました。

新型コロナウイルス感染症の語り

私がなるわけないという気持ちがあった。可能な限り在宅勤務していたし、通勤ラッシュや人込みは避けるようにして、マスクもしていたので、感染経路が全くわからない

ただ、 私がなるわけないというふうに思う気持ちもあって、まあ、つまり、その、報道をする立場として、その当時、もう在宅勤務も可能な限りしていましたし、通勤ラッシュにも乗らないようにしていましたし、人混みを避けるようにはしていたし、マスクとかもしていたので、感染経路も全くわからない。というか、「違うかな、思い過ごしかな」と、思ったっていうのがその3月28日の午後5時ぐらいなんですね。

それで、えー、ま、当時、夫が家にいて子どもたちと留守番というか、その、土曜日だったんで家にいたんですけど、すぐ夫に電話して「においが全くわからないんだけど」って言ったら、夫も「え?」って言ったんですけど「それ、コロナじゃん」みたいな。いや、コロナかもしれないけど、コロナじゃないかもしんないっていうので、とりあえず、まあ、ちょっとその場で上司に電話をして、で、「今、会社にいるんですけど、私、においが全くわからなくなって、コロナだった場合ちょっとどうしましょう」みたいな。でー、上司に電話しつつ、夫にも連絡しつつ、とりあえずちょっと会社にいるので、ま、とりあえず家に帰って、で、保健所に連絡をして、保健所の指示を仰ぐしかないよねって結論になり、ま、マスクをして気を付けながら電車で帰ったんですね。

新型コロナウイルス感染症の語り

自分の入院中、自宅で待つ夫は子どもをずっと閉じ込めておくわけにもいかず、時間を選び買い物ついでに原っぱで運動させていた。夫も相当追い詰められていたと思う

私が入院した後、ま、2週間、夫も(濃厚接触者なので健康観察期間で)自宅にいるんですけど、とはいえ、まあ買い物に行かないわけにはいかないし、子ども、もうほんとに朝から晩まで、ずっと自宅に閉じ込めるわけもいかないと。なので、人が少ない時間とかにスーパーに一緒に行って、ささっと買い物に行って、帰りにちょっと、近くに原っぱがあるんですけど、原っぱへちょっと子ども、ちょっと体動かせて、動かしてっていうのはやっていたんです。

で、そのときにふとこう、まあ、当然そのときも、人がいない時間帯を見計らって行ってたので、周りにあんまり人がいないけども、夫が「今、自分がこの瞬間に声を大にして『私の妻はコロナです』って言ったら、一気に自分の周りから人が消えるんだろうなあと思った」とか言って、なんか、そんな話をしていて、夫も相当、追い詰められていたんだなあと。自分もかかっていて、ただ、無症状なのかもしれない。けど、それ以上に自分の妻がコロナであるっていう人は、今この瞬間に公園にいていいのかとか、買い物していいのかとか、でもしないと食べてけないし、子どもがいるしみたいな、ていうので、なんか結構、原っぱでふとそんなことを考えていたって、聞きました。

新型コロナウイルス感染症の語り

息子が濃厚接触の可能性ありとのことで、通園先の指示でPCR検査を受け、陽性と判明。保健所の指導はなかったが、幼いので隔離するよう言われてもできなかったと思う

――お子さんが濃厚接触者かもしれないという段階で、保健所とのやり取りが始まったと思うんですけど、その時点で生活の仕方とか、暮らし方というか、気をつけることとか、そういうのってかなり詳しく指示があったんでしょうか。

詳しい指示は、保健所からはなかったです。子どもが陽性になってから保健所とのやり取りが始まったので、それまでは保育園とのやり取りでしたので、特に、あの、こうしてください、ああしてくださいとは特に言われませんでしたし、(息子のPCR検査の結果を待っている間)私も、ま、どうせ、どうせっていうか、(息子が元気でいるので)多分陰性じゃないかなって思って過ごしてたので、ま、もちろん手洗いうがいはしっかりしますし、マスクもして生活はするけれど、うーん、あと、外出はしないっていうふうにはしてましたけど、家の中で、その、触れたところを全部消毒するとかそういったことは、もうやってもやりきれないので、だし、私もちょっとそんなにまめにできないので、あの、やりませんでした。

――そうすると、今度そのPCR検査の結果が分かって(息子さんが)陽性だって言われた後の保健所ですね。そこから保健所。それは、そのときにそのお子さんとの接触のあり方とか、あるいはお食事とか、お風呂とか、そういういろんなものですね、家の中の消毒とか、そういったこと全部、その辺はどんなお話をされたんでしょうか。

はい。その辺も特に詳しい指導はありませんでした。あの、それまでもすごく(息子と他の家族は)濃厚接触でしたので、そこできっちり分けた生活をしても、あの、「そんなに変わる?」っていうふうには私もちょっと思ってるところもありましたので。例えばそこからきっちり分けろっていうふうに言われても、それはちょっと難しかったと思います。子ども2人小さいですし、あの、1人でご飯食べさせるわけにもいきませんし、お風呂も全然1人じゃまだまだ入れませんので、そこは、やるなって逆に言われてしまったら、じゃあやってくれんのかいっていうような、あの、話になってきてしまうので、難しかったかなと思います。ですし、そういったことを、こういうふうにしてくださいっていう指導も、特にありませんでした。で、かえって、陰性だって、ほかの家族が陰性だって分かってからのほうが、「えーっ?」てなって。こんなに濃厚接触してるのに陰性だったら、もう絶対大丈夫だよ」みたいな(笑)へんな自信がもうあったりもして。特に陰性だって分かってからも、家の中での生活は特に変えませんでした。

新型コロナウイルス感染症の語り

自宅隔離中、力を持て余した子どもたちは喧嘩が絶えなかったが、親子でトランポリンやカード遊びをしたり、ママ友や親族と話したりで思ったほどストレスなく過ごせた

息子が、あの、(隔離が解除になって)登園するまでの日々は、結構やっぱりしんどくって。あの、子どもたちもパワー有り余ってるので、体力持て余すんですね。で、うちは2歳差なんですけれど、えっと、で、男と女で性別も違うんですけれど、やっぱり寄れば触れば喧嘩してましたし、その都度うるさいってなってましたし、ちょ、どうしようと思って。あの、うちに、トランポリンがあったので、トランポリンで親子で、動画見ながらちょっと踊ったりとか、エクササイズしたりとかして、割と発散したり。

あとは、カードゲームを買って、家族で遊べるようにちょっと工夫したりして。うんと、もっとストレスフルな日々を過ごすことになるのかなって思っていたんですけれども、思ったよりはストレスなく、ま、こういう時間がたまにはあってもいいのかなみたいなことを思う瞬間もあったりする日々を過ごせたかなと思います。

あとは、息子が陽性になってちょっとしばらくしてから、実はママ友に「いや実は」って言える関係の、ありがたいことにそういう関係のママ友がいたので、そういうところで「ちょっと聞いて」って言って、連絡取ったりとか、「大変だね」とかって言って連絡取ったりとかできたので。やっぱり、まるっきりうちの家族だけで過ごすっていうふうになるとすごくしんどかったと思うんですけれど、そういうことで、ほかの親御さんとも交流できたりとか.

あと自分の親族だったり、主人の親族とも「おー、コロナ」言いながら(笑)、「うちのコロナがさ」とかって言いながら、テレビ電話したりとかっていうふうに過ごせたので。うん、思ったほどストレスフル、まあストレスかかってましたけど、あの、思ったほどではないかなっていう感じがします。

新型コロナウイルス感染症の語り

感染の2か月前から飲みに行ってないので、思い当たる節があるとしたら資格試験の勉強をしていた喫茶店やスーパーでせきしている人がすぐそばに来たことぐらい(テキストのみ)

――で、そのときには、その、これどこでかかったんだろうみたいな、なんか心当たりみたいなものはありましたか。

いやあ、ね、これよく言われるんですけど、僕ん中ではほぼないんすよ。もう正直、あのー、12月も11月、もう全然、飲みにも行ってないですし、12月なんかもう、ご飯とかも家で食べて、仕事終わったらね。1回、友達の家でなんか鍋パーティーしただけなんですよ、人と外で、あー、食べたっていうんは。
で、なんか思い当たる節があるとしたら、資格取る勉強とかして、喫茶店とかたまに寄ってたんですよ。で、そんときに、結構ね、せきしてる人がなんか近付いてきて、「わ、やばいな、隣、座った」と思って、なんか、うっとうしいなと思いつつ、ね、ちょっと間して、しれっと席変えたりしたことと、あと、スーパーで買い物してるときに、ものすごいせきしてる男性がいて、すごかったんですよ、もう、みんな離れていくような。もう平気でやって、マスクしてはったんですけどね。でも、なんかその人が、なんか僕となんかついてくるんですよね、僕もなんかその商品、そこ取りたいんですけど。で、なんかレジの後ろまで来て、うわ、うっとうしいなと思い…つつ、ひょっとしたらそれかなとも思うたりするんですけど、分からないすね。それぐらいしか思い当たる節はないですね。

――うーん、なるほど。その、お正月だったわけですよね、その前は、年末年始みたいな感じで。

そう、そうですね。

――その時期はだからあまりこう、どこかに、行かれたりとかはなさらなくて。

もう仕事ですね。ほぼ、もう1日休んで、あとはもう仕事ともうなんかスーパーとかで買い物して帰るぐらいの感じでしたね。

――ああ。なるほど。

まあ、公共交通機関はやっぱり使ってたんですけどね、どうしても仕事上、移動で。はい。

新型コロナウイルス感染症の語り

第3波の流行でどこでもらっても不思議ではなかった。仕事がら感染防止対策は徹底していたのにかかってしまったので、どこで感染したか全く想像がつかない(テキストのみ)

――と、逆に、その、お心当たりというか、どこで感染したっていうようなお心当たりはありますか。

全くないです。

――その辺は、でもご自分で、悩みませんでした? あ、どうしてだろうって。

いや、いやもう、もうあれだけ、はやってましたから、もうどこでもらっても不思議じゃないっていうふうには思ってましたし、職場のほうで、結局、在宅勤務認めないみたいなふうな感じでしたから、もう、かなり私自身も、そうやって病院に出なくちゃいけない仕事っていうこともあったので、あのー、正直、他の普通の一般の方に比べると、かなり気を遣ってはいました。自宅で食事をするのも、あの、ぜーんぶ小皿に個別に分けて、おんなじ、例えばお皿、大皿から一緒につついて食べるとか、そういうことも一切しないようにしてましたし、うちに帰ってきたらば、もうそのままお風呂場直行してシャワー浴びてとか、もうそういうこう、何て言うんですか、持ち込まないようにもするし、もうかなり自分としては気を遣って感染対策していたにも関わらず、もうなってしまったわけで、もうこれはもう、どこでどういうふうにうつったかなんていうことは、もう想像もつかないと。まあ、もちろんその前に病院での仕事もあったんですけれども、病院なんか、なおのこと感染対策には、徹底してるわけですよ、皆さん、当然のことながら。なので、ま、病院でもらったっていうことも考えにくいしっていう状況なので、もうどこでどういうふうにとか分かりません。

新型コロナウイルス感染症の語り

2020年3月当時はコロナの知識が今の半分くらいしかなく、そんな身近にコロナが来て、父が1カ月もしないうちに死んでしまうとは予想もしていなかった(テキストのみ)

――最初に、その、コロナに感染したって、その、お父さまと妹さんがって聞いたとき、ご自身一番最初にどんなことを思われましたか。一番心にきたことというか。

うーんと……そうですね、今もうコロナに対しての知識あるから…その当時は…コロナなんか関係ねえと。で、おやじだとか妹には会いたいなという気持ちのほうが強かったですよね…はい。

――当時、本当に、その、コロナについてって、どのぐらい、今と比べる、今が、今を例えば100%というか、10にすると、当時の知識ってどのぐらいだったと思います?

半分も行ってなかったと思いますね。はい。

――その、その当時、えっと、その、お父さまとか出掛けられるときにはマスクとかあんまりまだしてない時代、時期だったですかね。もうしてらっしゃいました?

そうですね、あ、ええと、マスクはしてたと思いますよ、確か。はい。

――でも、でも、なんか、そんな身近なこととはみんな感じでなかった。

うーん、そうですね。ここまでくるとは予想もしてませんでした。とにかくおやじも元気だったんで。うん、それが、あの、急に、ね、えー、1カ月もしないうちに死んでしまったっていうのがちょっと、まあ、ショックでしょうがないですよね。元気だっただけにです。はい。

新型コロナウイルス感染症の語り

自分は地下鉄通勤だったが、ドアツードアで1時間くらいなのでその間で感染したのかと思う。夏ごろまでマスクが入手困難でマスクをしていない人も結構いた(音声のみ)

――じゃあそのー、ご自身が今回、ちゃんと気を付けて生活されていたということで、その持病もあるから。その中でも感染したっていうのは、なんかご自身の中で心当たりってありますか。

全くないです。だから、それまでは、やはり、あの、マスクも徹底されてなかって、私は、地下鉄で通勤をしてますので、ま、約1時間もかかりませんけど、ドアツードアで、あの、1時間ぐらいみてますので、まあ、その間で…どこかで感染したのかなあとは思ってます。…それ以外、全然、見当もつかないですね。

3月にはね、 志村さんが亡くなられて、4月には、岡江さんがね、亡くなられてっていうこともあって、でー、コロナが大変だっていうのは皆さん、そういう意識は多分あったと思うんですけどね。でも、その頃はマスクも手に入らなかったですしね。あの、私はそういうことはなかったんですけど、あのー、たまたま以前、別に買ってた物があったので、ま、それが使えて、そういうのでは苦労はしなかったんですけど、あのー、マスクしてない方もやっぱり8月とか、いらっしゃいましたので、あの、スーパーとかに行っても、お年寄りの方とかが私の後ろにこう、並んでぴたっと付くんですね。

で、マスクもしてないので、「すいません、ちょっと離れてこの線にありますから、離れていただけないですか」って言ったら、あのー、…怒り出して、で、「何を言うんだ、おまえ」。でー、「くだらん」とかって言って、もうつばをぼんぼん飛ばすんですよ。もうほんと、もう泣きそうになりましたけど、そういう方がまだいらっしゃいました、8月って。7月とか8月とか、もうね、あのー、マスクなんか全然関係ないと、うん、言われる方もたくさんいらっしゃいましたね。