年別アーカイブ: 2021年

新型コロナウイルス感染症の語り

近くに住む夫の両親は息子の陽性確認の数日前に一緒に食事をしていた。両親は濃厚接触者には該当しなかったが、熱を測ったりして気を付けるように声掛けした

あの、最初に、下の子がコロナになってっていう、その前に「こういう(関係者に陽性者が出たという)わけで保育園休園になった」っていうのも連絡して。で、下の子が、休みになって。実は、その濃厚接触期間に当たる日の前の日に、その、主人の親と一緒にご飯食べてたので、あ、濃厚接触になるかもなと思って、ちょっと迷惑掛けちゃうかもっていう連絡はしていたんですけど、「ま、そこは、まあ、こういう状況だから、いつなんかどうなってもおかしくないっては思ってたから、気にしないで」みたいなふうに言っていただいたので、そこはそんなに、あの、大丈夫でした。
でも、なんか、あんまり、その、あ、でも、ご飯の差し入れとかもすごいしてくださったので、そこはすごくありがたかったです。

――で、そのご主人のご両親は、あの、PCR検査受けるとかっていう、あえてしようとか、そういうことはなさらなかった?

はい。あの、濃厚接触に当たらないっていうふうに、保健所にも一応確認をして。「その(濃厚接触と判断される期間の)前日に、一緒にご飯食べたんですけど」って言って。「一応2日までだから濃厚接触には入らないです」っていうふうに言われてたのと、あとなんにも症状が、その親にーー「あの、ま、こういう状況だから濃厚接触には一応当たらないけれど、熱測ったり、あの、症状は気をつけててね」っていうふうには言っていたのでーーそれで症状もなかったので、そこで一安心だったかなって。
で、実は、その、年末に、その、夫の親と、ええと、クリスマスかな、クリスマスするっていう約束してたんですけれど、やっぱりちょっとこういう状況になったのと、そのちょうど復帰した直後のクリスマスだったので、あんまりちょっとクリスマスする気にもなれなくって、ちょっとごめんなさいっていうふうに断ってしまったんですけれど、ちょっと、あの、がっかりさせちゃったかなっていうところはあります。

新型コロナウイルス感染症の語り

陽性が判明してすぐに娘たちもPCR検査を受けた。自分が陽性と聞いてもショックはなく不安はなかったが、娘たちがみんな陰性でよかったと思った(テキストのみ)

まあ、熱が出たのが土曜日だったので、土曜日の2日前、「木、金の行動はどういうふうな感じでしたか」っていうことを(保健所の人に)聞かれて、で、結局は、あの、いわゆる濃厚接触者に当たるのが、「ご家族だけでしょう」ということになりましたから、家族、まあ、私、娘と3人暮らしなんですけど、3人で、と私、入れて4人で暮らしておりますけど、娘3人が、結局は、検査の予約をそのままそこで取っていただいて、まあ、娘たちも、(自分が)陽性だっていうふうに分かって、もうすぐに、予約を取ってもらって、その日のうちに、PCR検査を受けに行って、で、翌日、まあ、全員、陰性だったんですね。幸いなことに、娘たち3人とも陰性っていう結果だったので…。

――で、その、言われたときですね。「あなた陽性ですよ」って言われたときに一番こう、感じたことというか、思ったことっていうのはどんなことがありますか。

ん―、別に、「あ、そっか」っていうか、「あ、やっぱりな」っていうそんな感じですけど、特に、なんかすごい、何て言うんですか、世間で言われてるみたいにショックでどうしようとか、こうしようとかっていうことではなく、ま、たまたま、ちょうど、その病院に行かなくちゃいけない仕事が空いている、ちょうど2週間が空いている、ちょうどそのときだったので、はい、「よかった」っていう感じです。

――その、やっぱり全然そのこと、一般の方と違って医療関係者でいらっしゃるってこともあって、知識とかがやっぱり、もともとおありだったと思うんですけれども、そういう意味では、その、自分がこれで死んじゃうかもしれないとか、そういったことは感じられなかったってことですかね。

んー、まあ、もしも、その、例えば、あの、言われているようにですね、何日かたって、急に例えば息が苦しいとか、そういう症状がある、あったら多分、少し考えたんでしょうけど。まあ、発熱してから、とりあえず土曜日、発熱して、月曜日に病院に行き、それで翌日分かり、で、結局、調整なりなんなり、ホテルに行くことに決まったのがその翌日でって、もう発症してから、そこでもう5日間ぐらいたっているわけで、その時点で、特に息苦しいとか何とかっていうことがあるわけではなかったので、ま、そんなにそこまで死んじゃうかもしれないとかっていうふうにはならなかったですし、娘たちがみんな陰性だったっていうこともあって、そこは、よかったなっていうふうに思っていたので、はい。特にそこまで、あの、死ぬかもしれないみたいなところまでは思わなかったですね。

新型コロナウイルス感染症の語り

発症に気づいたのはアロマオイルを入れた消毒液をひと吹きしてもラベンダーの香りがしなかったから。新聞記者として取材を通して嗅覚・味覚障害が症状の一つと知っていた

私が新型コロナウイルスに感染したのは、2020年の3月です。えー、発症に気付いたのが3月28日の土曜日です。で、その日は、土曜日だったんですけれども、東京都内で、あのー、初めて外出自粛制限っていうのが週末になった日でした。ただ私、出勤をしていたので、土曜日だったんですけれども、会社の、会社にはあんまり人がいなかったんですけれども、出勤して仕事をしてお昼で終わり、早朝からお昼までのルーティンだったので、仕事が、終わって、それで、その後ちょっと残業をしに、残業っていうか、あのー、新聞記者の仕事をしているので、ちょっと原稿を書きたいと思って、別の場所に行って原稿を書いていました。まあ、別の場所っていっても社内なんですけども。で、そこで、最初に分かったのが、えーっと、消毒液って、こういういつも持ってる、あのー、消毒液があるんですけど、これにオイルを、アロマオイルを入れてこう、香りを嗅いで、まあ、ちょっと気分リラックスっていうので、消毒液兼アロマみたいな感じでいつも持ち歩いてる物があって、それで何気なくその日もシュッシュって、そのときもシュッシュってやったら、全くそのラベンダーの香りがするはず、なのに全くしない。それで、…もうびっくりして。
 で、そのときになぜそのびっくりできたかというと、その新聞記者として、新型コロナウイルスが発症したとき、中国の武漢という町だったんですけれども、ま、私、中国語ができるので、あの、勤め先のその新聞社で、その武漢の人に、中国語で東京からインタビューしたり、電話で取材、SNSを使って取材したりして、で、新型コロナウイルスの報道に携わっていました。それで嗅覚とか味覚がないっていうのが、一つの新型コロナウイルスの症状の一つっていうことを知っていたので、いきなり嗅覚、あ、いきなりこう「何もにおいが分からない」ってなったときに、あのー、まさかというふうに思いました。
まあ、やっぱそのとき日本ではまだ東京でも1日――今もう1,000人とか、この前2,000人とかいってるんですけど――そのときまだ100人にも1日の発生、発症者数が、感染者数か。が100人いってないときで、まあ、周りに全くもちろんいなくて。さらにあの、嗅覚がおかしくなることで新型コロナウイルスだと、というふうに、疑われるっていうこともなくて、やっぱりまだ発熱があるかどうか、せきがあるかどうか、息苦しさがあるかどうか、あとは濃厚接触者がいるかどうかっていう。なので、その、たまたまの取材をしていたってこともあって、これはもしかしてと思い、それから、ちょっとそのー、オフィスの中にある消毒液とか、アルコールのティッシュとか、1人でちょっと手に取ってみるんですけど、全くにおいが分からない。

新型コロナウイルス感染症の語り

前日までぴんぴんしていたのにいきなり倦怠感を感じて、食欲もなく、起き上がることもできなくなった。二日酔いや徹夜の時とかとは全く違う、生まれて初めての経験だった

ちょっと話がずれてしまうんですけど、志村けんさんが亡くなったんですよ。でー、私、すごく好きなお笑い芸人だった、私、私の母がすごい好きで、で、もう、志村けんが亡くな(った)、コロナで亡くなったっていうのはものすごいショックで、あのー 、その、その日、雪が降るほど東京は、春、3月、春なんですけど、雪が降るほどすごく寒かったんですけど、私それでなんか寝込んじゃって、なんかもう私はもうコロナで死ぬかもしれないみたいな(笑)。なんかその日から、気分が滅入っちゃったのか、なんか急に怖くなっちゃって、で、それで体調が悪くなったような気がして。
それで結局、かかりつけ医がいるんですけど、あ、保健所にやっぱずーっと、朝から晩、朝からずっと電話をしていて、「すごい体調が悪いんです」「熱ありますか」「や、熱ないんですけど、体調悪いんです」みたいな。でもなんか多分、それは気分が滅入ったからかもしれないんですけど、あのー、…そのときに保健所が「やあ、やっぱかかりつけ医に、体調悪かったらかかりつけ医、行ってください」と。でー、それでやっぱ、「お医者さんに診断してもらわなければ、PCRには回せません」みたいな。*
*2020年3月当時は37.5度以上の発熱や呼吸器症状があって、かつ陽性確定者と濃厚接触している、あるいは2週間以内にコロナ流行地域に渡航していた、といった条件に当てはまる人が検査の対象とされており、それらに当てはまらない場合は「医師が総合的に判断した結果、新型コロナウイルス感染症を疑う」場合には検査を行うことになっていました。(「2020年2月17日発厚生労働局健康局結核感染症課事務連絡」参照)
それですっごい…その志村けんも亡くなってるし、なんか、あのー、雪も降ってものすごく寒いから、風邪とかの、症状は全くないんですけど、でも今から考えると、あれが倦怠(けんたい)感の1日目だった。とにかく起き上がれない。で、私それは、なんか志村けんが死んじゃ…亡くなったので、ほんとになんかもうすごい、もう起き上がりたくない。寒いしお布団から出て、出たくないと。ご飯も食べたくないや。ただ、後から考えたら、その日は、その日から倦怠感が――その日まで結構ピンピンしてたんですけどーーあの、倦怠感ってのを初めて経験して、生まれてから、これまでの、倦怠感ってのが、ね、そのー、いわゆる二日酔いだとか、そのなんか、仕事し過ぎて徹夜して、「ああ、疲れて、ちょっとしか寝てなくて仕事しなきゃいけない。やってらんない」みたいな、ああいうだるさともう全く違くて、最初、倦怠感って分かんないぐらい、でも、とにかく起き上がれない。

新型コロナウイルス感染症の語り

喉の痛みと微熱に気づき、翌日には解熱剤を飲んでも38℃を超えたのでインフルエンザだったらいいと思い、インフルエンザの検査を受けたが、結果は陰性でがっかりした

そしたら、えーと、私がちょっと体調の異変を感じたのが、3月の末の土曜日。3月の28ですね。まあ、仕事してたんですけど、職場で。3時ぐらいからちょっと喉が痛いなと思いだして、5時か6時ぐらいに、もう、ちょっと家早く帰ろうと思って帰って、熱を測ると、36度ちょっとあった。6度8分か9分で、まあ、熱があるのかどうかなっていうので、ありました。で、その後も測ると、最大、マックス37度まで行ってたようです、記録によると。
で、次の日の朝、起きても熱が下がらないので、ボルタレンっていう解熱剤を――まあ、いつも熱出たときは2錠ぐらい飲むんですけどーー飲んだんですけど、全然、熱が下がらなくて。で、日曜日の朝に、保健所に1回電話しました。ですけど、まあ、そのときまだ、熱が出て2日目だったので、当時は37.5度以上が4日以上じゃないと、まあ、コロナの疑い…にはならなかったので、「まあ様子見てください」ということで、で、自宅にこもって、「コロナじゃなければいいな、ちょっと変だなー」とはその辺からちょっと思ってました。
ですけど、やっぱり38度を超えてきたので、えー、やっぱりちょっと普通じゃないなと思って、その日の夜、自分の勤務先の当直の先生に頼んで、インフルエンザの、検査をしてもらいました。してもらうっていうか、まあ、自分でもらって、自分で鼻に突っ込んでこう検査して、キットで出るので、調べると、A(型)もB(型)も、陰性で。ま、普通はインフルエンザ検査して、陰性だったら、まあ、よかったって思うところが、何かそのときは、陰性だったのが少しちょっとこう、がっかりしたっていうか、インフルエンザであってほしいなと思ってたので、おかしいなと思って。えー、まあ、そのときはもう寝室にこもって、1人でいましたんで、もう夜も遅かったんで、その日は、まあ、寝ました。

新型コロナウイルス感染症の語り

私がなるわけないという気持ちがあった。可能な限り在宅勤務していたし、通勤ラッシュや人込みは避けるようにして、マスクもしていたので、感染経路が全くわからない

ただ、 私がなるわけないというふうに思う気持ちもあって、まあ、つまり、その、報道をする立場として、その当時、もう在宅勤務も可能な限りしていましたし、通勤ラッシュにも乗らないようにしていましたし、人混みを避けるようにはしていたし、マスクとかもしていたので、感染経路も全くわからない。というか、「違うかな、思い過ごしかな」と、思ったっていうのがその3月28日の午後5時ぐらいなんですね。

それで、えー、ま、当時、夫が家にいて子どもたちと留守番というか、その、土曜日だったんで家にいたんですけど、すぐ夫に電話して「においが全くわからないんだけど」って言ったら、夫も「え?」って言ったんですけど「それ、コロナじゃん」みたいな。いや、コロナかもしれないけど、コロナじゃないかもしんないっていうので、とりあえず、まあ、ちょっとその場で上司に電話をして、で、「今、会社にいるんですけど、私、においが全くわからなくなって、コロナだった場合ちょっとどうしましょう」みたいな。でー、上司に電話しつつ、夫にも連絡しつつ、とりあえずちょっと会社にいるので、ま、とりあえず家に帰って、で、保健所に連絡をして、保健所の指示を仰ぐしかないよねって結論になり、ま、マスクをして気を付けながら電車で帰ったんですね。

新型コロナウイルス感染症の語り

2020年3月当時はコロナの知識が今の半分くらいしかなく、そんな身近にコロナが来て、父が1カ月もしないうちに死んでしまうとは予想もしていなかった(テキストのみ)

――最初に、その、コロナに感染したって、その、お父さまと妹さんがって聞いたとき、ご自身一番最初にどんなことを思われましたか。一番心にきたことというか。

うーんと……そうですね、今もうコロナに対しての知識あるから…その当時は…コロナなんか関係ねえと。で、おやじだとか妹には会いたいなという気持ちのほうが強かったですよね…はい。

――当時、本当に、その、コロナについてって、どのぐらい、今と比べる、今が、今を例えば100%というか、10にすると、当時の知識ってどのぐらいだったと思います?

半分も行ってなかったと思いますね。はい。

――その、その当時、えっと、その、お父さまとか出掛けられるときにはマスクとかあんまりまだしてない時代、時期だったですかね。もうしてらっしゃいました?

そうですね、あ、ええと、マスクはしてたと思いますよ、確か。はい。

――でも、でも、なんか、そんな身近なこととはみんな感じでなかった。

うーん、そうですね。ここまでくるとは予想もしてませんでした。とにかくおやじも元気だったんで。うん、それが、あの、急に、ね、えー、1カ月もしないうちに死んでしまったっていうのがちょっと、まあ、ショックでしょうがないですよね。元気だっただけにです。はい。

新型コロナウイルス感染症の語り

息子が濃厚接触の可能性ありとのことで、通園先の指示でPCR検査を受け、陽性と判明。保健所の指導はなかったが、幼いので隔離するよう言われてもできなかったと思う

――お子さんが濃厚接触者かもしれないという段階で、保健所とのやり取りが始まったと思うんですけど、その時点で生活の仕方とか、暮らし方というか、気をつけることとか、そういうのってかなり詳しく指示があったんでしょうか。

詳しい指示は、保健所からはなかったです。子どもが陽性になってから保健所とのやり取りが始まったので、それまでは保育園とのやり取りでしたので、特に、あの、こうしてください、ああしてくださいとは特に言われませんでしたし、(息子のPCR検査の結果を待っている間)私も、ま、どうせ、どうせっていうか、(息子が元気でいるので)多分陰性じゃないかなって思って過ごしてたので、ま、もちろん手洗いうがいはしっかりしますし、マスクもして生活はするけれど、うーん、あと、外出はしないっていうふうにはしてましたけど、家の中で、その、触れたところを全部消毒するとかそういったことは、もうやってもやりきれないので、だし、私もちょっとそんなにまめにできないので、あの、やりませんでした。

――そうすると、今度そのPCR検査の結果が分かって(息子さんが)陽性だって言われた後の保健所ですね。そこから保健所。それは、そのときにそのお子さんとの接触のあり方とか、あるいはお食事とか、お風呂とか、そういういろんなものですね、家の中の消毒とか、そういったこと全部、その辺はどんなお話をされたんでしょうか。

はい。その辺も特に詳しい指導はありませんでした。あの、それまでもすごく(息子と他の家族は)濃厚接触でしたので、そこできっちり分けた生活をしても、あの、「そんなに変わる?」っていうふうには私もちょっと思ってるところもありましたので。例えばそこからきっちり分けろっていうふうに言われても、それはちょっと難しかったと思います。子ども2人小さいですし、あの、1人でご飯食べさせるわけにもいきませんし、お風呂も全然1人じゃまだまだ入れませんので、そこは、やるなって逆に言われてしまったら、じゃあやってくれんのかいっていうような、あの、話になってきてしまうので、難しかったかなと思います。ですし、そういったことを、こういうふうにしてくださいっていう指導も、特にありませんでした。で、かえって、陰性だって、ほかの家族が陰性だって分かってからのほうが、「えーっ?」てなって。こんなに濃厚接触してるのに陰性だったら、もう絶対大丈夫だよ」みたいな(笑)へんな自信がもうあったりもして。特に陰性だって分かってからも、家の中での生活は特に変えませんでした。

新型コロナウイルス感染症の語り

自分は地下鉄通勤だったが、ドアツードアで1時間くらいなのでその間で感染したのかと思う。夏ごろまでマスクが入手困難でマスクをしていない人も結構いた(音声のみ)

――じゃあそのー、ご自身が今回、ちゃんと気を付けて生活されていたということで、その持病もあるから。その中でも感染したっていうのは、なんかご自身の中で心当たりってありますか。

全くないです。だから、それまでは、やはり、あの、マスクも徹底されてなかって、私は、地下鉄で通勤をしてますので、ま、約1時間もかかりませんけど、ドアツードアで、あの、1時間ぐらいみてますので、まあ、その間で…どこかで感染したのかなあとは思ってます。…それ以外、全然、見当もつかないですね。

3月にはね、 志村さんが亡くなられて、4月には、岡江さんがね、亡くなられてっていうこともあって、でー、コロナが大変だっていうのは皆さん、そういう意識は多分あったと思うんですけどね。でも、その頃はマスクも手に入らなかったですしね。あの、私はそういうことはなかったんですけど、あのー、たまたま以前、別に買ってた物があったので、ま、それが使えて、そういうのでは苦労はしなかったんですけど、あのー、マスクしてない方もやっぱり8月とか、いらっしゃいましたので、あの、スーパーとかに行っても、お年寄りの方とかが私の後ろにこう、並んでぴたっと付くんですね。

で、マスクもしてないので、「すいません、ちょっと離れてこの線にありますから、離れていただけないですか」って言ったら、あのー、…怒り出して、で、「何を言うんだ、おまえ」。でー、「くだらん」とかって言って、もうつばをぼんぼん飛ばすんですよ。もうほんと、もう泣きそうになりましたけど、そういう方がまだいらっしゃいました、8月って。7月とか8月とか、もうね、あのー、マスクなんか全然関係ないと、うん、言われる方もたくさんいらっしゃいましたね。

新型コロナウイルス感染症の語り

感染の2か月前から飲みに行ってないので、思い当たる節があるとしたら資格試験の勉強をしていた喫茶店やスーパーでせきしている人がすぐそばに来たことぐらい(テキストのみ)

――で、そのときには、その、これどこでかかったんだろうみたいな、なんか心当たりみたいなものはありましたか。

いやあ、ね、これよく言われるんですけど、僕ん中ではほぼないんすよ。もう正直、あのー、12月も11月、もう全然、飲みにも行ってないですし、12月なんかもう、ご飯とかも家で食べて、仕事終わったらね。1回、友達の家でなんか鍋パーティーしただけなんですよ、人と外で、あー、食べたっていうんは。
で、なんか思い当たる節があるとしたら、資格取る勉強とかして、喫茶店とかたまに寄ってたんですよ。で、そんときに、結構ね、せきしてる人がなんか近付いてきて、「わ、やばいな、隣、座った」と思って、なんか、うっとうしいなと思いつつ、ね、ちょっと間して、しれっと席変えたりしたことと、あと、スーパーで買い物してるときに、ものすごいせきしてる男性がいて、すごかったんですよ、もう、みんな離れていくような。もう平気でやって、マスクしてはったんですけどね。でも、なんかその人が、なんか僕となんかついてくるんですよね、僕もなんかその商品、そこ取りたいんですけど。で、なんかレジの後ろまで来て、うわ、うっとうしいなと思い…つつ、ひょっとしたらそれかなとも思うたりするんですけど、分からないすね。それぐらいしか思い当たる節はないですね。

――うーん、なるほど。その、お正月だったわけですよね、その前は、年末年始みたいな感じで。

そう、そうですね。

――その時期はだからあまりこう、どこかに、行かれたりとかはなさらなくて。

もう仕事ですね。ほぼ、もう1日休んで、あとはもう仕事ともうなんかスーパーとかで買い物して帰るぐらいの感じでしたね。

――ああ。なるほど。

まあ、公共交通機関はやっぱり使ってたんですけどね、どうしても仕事上、移動で。はい。