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インタビュー時年齢:71歳 (2021年1月)
感染時期:2020年3月
背景:首都圏在住の男性。医師。妻と2人暮らし。子どもは独立している。
発熱とせき、鼻水に気がついた時点でコロナ感染を疑い、翌日外来受診。レントゲン検査では異常がなく医師の勧めで自宅療養した。37度台の発熱が続き7日後再受診、CT検査で肺炎と診断され入院した。一時的に容態が芳しくない時もあり、回復後もなかなかPCR検査が2回連続陰性にならず、約1カ月入院していた。退院後は強い倦怠感に悩まされ、大学を辞職するに至ったが、1カ月ほど自宅療養して次第に快復し、医師として病院勤務に復帰した。
語りの内容
――よくSNSとかで発信、先生もブログもともとやってらっしゃったと思うんですけれども、そのときにその自分の病気のことについて、その時点では発信はなさらなかったんですか。
あ、しちゃ駄目って言われましたね。
――それはどなたから?
あ、うちの家内から。あ、それから職場からも駄目って言われましたね。あのー、ね、風評被害に通じますからね。
――職場の方では、先生が感染したことに関して何か公表というか、広報から流れるとか、あったんですか。
それはもちろん、学内的にはあったんでしょうけどもね。ただそれを公にね、公表するとか、しちゃ駄目って言われましたね。でも、自分でもってね、闘病記書いて出しちゃいましたけどね。
――そうですよね。4月、ええと、4月ぐらいにもう出されてたんですよね。
はい、はい、うん。
――あの、高齢者住宅新聞?
そうですね、はい。うん。
――…に出されたり。「もういいや」っていう感じで出されたということですね(笑)。もう、大学に気兼ねをしないで、もう出そうと決められたということですね。
うん、で、まあ、あのー、そうですね。ま、それで出したら怒られちゃったけどね。
――その発信について、何か、デメリットとしての何か風評被害ですとか、逆にサポーティブな反応ですとか、まだまだ、早い段階だったと思いますので、その両面で何か、社会からの反応があったら教えていただきたいなと思います。
あの、ま、いろいろなとこから取材はね、受けたんですけどね。もうそのときはね、高齢者(住宅)新聞に書いた後は、もうやっちゃったんで、「出しちゃ駄目よ」って家内からも強く言われてましたからね、皆、あの、取材はみんなお断りしてましたね。はい。
でも、逆に、特に高齢者(住宅)新聞の記事から、風評被害とか、それも全くないし。特に、なんですかね、よくね「医者のくせになんで、コロナにかかるんだ」とか、そういうね、そういったことも言われませんでしたしね。皆さん非常に理解していただいたんじゃないかと思いますね。
私としては、やっぱりね、こうした病気にかかった、そうした闘病記っていうか、体験談って、非常にほかの方にもね、役に立つと思うんですよね。かかった人じゃないと分かりませんからね。だから、そういう意味では、僕なんか割と積極的にね、公表してくほうでしたからね。あの、特にそれに関して何か――ただ、まあ、大学や、それからうちの家内から言われましたけれども――ま、それ以外は特別なことはなかったですね。逆に本が書けてよかったと思いましたけど(笑)。
インタビュー03
- 発熱と鼻水、せきの風邪症状で受診。胸のレントゲンに異常はなく自宅待機していたが、37度台の微熱が続き、再度受診したところ肺炎の所見が出て即入院となった
- 意識が朦朧とする中で、黄金の麦畑をみた。天国に足を踏み入れたことで、聖書の言葉が初めて分かった気がした。コロナに感染したことで新しい人生をもらったと思った
- コロナは発症から1週間以上熱が続いたり、経過がものすごく長い。インフルエンザより少し重い程度と思っている人は多いが、50~100倍きつかった
- 入院して1週間38~9度の熱が続いた。もうろうとしていたが呼吸困難はなく、夢うつつで黄金の麦畑を見た。なるほど、死ぬなら肺炎が一番いいと思った
- 退院後2~3日で倦怠感が襲ってきた。気力がなく仕事に戻ろうとも思えず、そのまま大学を退職した。退院後2か月してようやく散歩ができるくらいまでになってきた
- 家内や職場から風評被害につながるので感染したことを公表しては駄目と言われていたが、体験記は他の人の役に立つと思い、業界紙に掲載したところ誹謗中傷はなかった