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インタビュー時年齢:50 歳 (2021年5月)
感染時期:2020年3月
背景:首都圏在住の女性。息子2人(当時7歳と10歳)と3人暮らし。
罹患当時は接客メインのサービス業。自分の症状は1日の発熱と味覚障害だけで軽かったが、同じマンションの別の階に住んでいた父(80歳)が高熱を出したため2人でPCR検査を受けどち らも陽性が判明。認知症の母と子どもたちも検査を受け、母(78歳)と次男が陽性とわかり家族全員が入院。父は重症化しICUで治療を受けたが他界。退院後は母が老人ホームに入居するまで兄(インタビュー06)夫婦と協力して面倒を見た。父の一周忌のあと仕事に復帰したが、先行きが見えないので転職を考えている。
語りの内容
長男が小学校5年生、次男が小学校2年生。で…まあ、長男は運動もして水泳とかやって体…2人とも赤ちゃんのときからちょっと、男の子なんで弱かったんで、病院ばっかり行ってたんですけど、長男は水泳をやらせることによってすごく鍛えられていて、活発に元気なんですけども、下の子は何もやらない子なので、体がちょっと弱いんですね。だからか、まだ小さいので、私にべったりなんで、濃厚接触者になり、うつってしまったんですけども。長男は5年生にもなるとあまり甘えないので、自分のお部屋にいることが多かったこともあるんでしょうか、ずっと陰性なんですね。(陽性である)可能性があるということもあって1人置いとけないので、国から許可を得て…入院を同じように個室で取ってくださって。入院費用に関しては国の負担になるんですけども、陰性が出てると(長男については)自己負担になるかもしれないって。でもそれはひどいでしょっていう話で、保健所の方がすごくいい方で、今回コロナ発症のときからずーっと私を担当してくださってた方がいて、いろいろ助けていただいて、親身に国とも交渉していただいたりとか、いろんなことしていただいて。
――お子さんとは、お部屋、個室でバラバラだったっていうことなんですけど、キッズケータイを持たせてたので連絡を取り合ってたというのは、コンタクトは全部携帯電話を通じて?
そうです、そうです。
差し入れをしてもらいたくて、動いてくれたのが私の兄と、元旦那なんですけれども。一応子どものパパなので、助けてくれて。子どものパジャマが足りないって、やっぱり2週間だとね、洗濯もできないので、使い捨てまでいかないんですけど、どんどん使ったものがこう山積みになっていく。うん、でまあ、私が帰ってから全部洗って、洗ったんですけど。できるだけ、長く着てもやっぱり気持ちが悪いので「パジャマ買って来て」とか。あとお菓子もね、食べたいから、子ども元気だし(笑)、退屈で。今ゲームだとかいろんなことができるから、だいぶよかったんでしょうけど、何もないよりは。でも退屈で「早く帰りたい、早く帰りたい」って電話が掛かってくるんですね。「いつなの、いつなの」っていう感じで。
インタビュー11
- 退院後しばらくして一時的に舌がピリピリやけどのように感じる舌痛症になり、秋には抜け毛がひどくなったが、更年期障害やストレスによるものかもしれない(音声のみ)
- 陰性だった長男も同じ病院の個室に入れてもらえた。それぞれ別の個室で、キッズケータイで連絡を取っていた。退屈で早く帰りたいと電話がかかってきた(音声のみ)
- この1年で疲れてしまい、感染前よりいろんな意味で弱くなったと感じる。以前のように頑張って強く生きるより、つぶれないように楽しいことを見つけて生きていけたらと思う(音声のみ)
- 父とはほとんど接触がなかったのに、人から「娘にうつされたんだね」と言われてショックだった。退院後は二度と子どもにうつさないようずっと外出を控えていた(音声のみ)
- 保健所からPCR陽性との連絡を受け、コロナにかかっていると思ったら怖くなった。過呼吸になってしまい救急車を呼んだが、救急隊員や医師と話して落ち着くことができた(音声のみ)
- 退院から3カ月目に次男を連れて行ったかかりつけの小児科で、感染したことを受診する前に伝えなかったことを激しく責められ、診療を拒否された(音声のみ)
- 感染後、自分を避けたり話をしなくなったりした人たちがいる一方、父がコロナで亡くなったことを知って泣いてくれたママ友もいて、そこに人間性が垣間見えた(音声のみ)
- 入院するまでに直接接触した人には感染したことを伝えたが、それ以外は仕事場への風評被害を恐れて話すのを控えた。学校への報告は親としての義務だと思う(テキストのみ)