年別アーカイブ: 2022年

新型コロナウイルス感染症の語り

保健所からPCR陽性との連絡を受け、コロナにかかっていると思ったら怖くなった。過呼吸になってしまい救急車を呼んだが、救急隊員や医師と話して落ち着くことができた(音声のみ)

で、その日の夜、夕方ですかね、6時くらいに保健所から電話ありまして、陽性反応出ましたと。確実にコロナなんだなっていうことで、保健所が車を手配しますので、自分で病院に行くとかはなさらないでくださいということで、待ってたんですけども。保健の車(保健所の搬送車両)もそんなにまだなかったんだと思います。その日のうちには来てくださらなくて。
その日の夜中かな、12時過ぎたら急に過呼吸が始まりまして。いつも、ときどきなる過呼吸とは違って、やっぱり思い込みっていうものがすごいんで、コロナにかかってるっていう、自分がもうやっぱり怖くなってしまったんですね。で、呼吸ができなくなってしまったので、携帯を持って必死に救急車を呼んだんですけども。待ってる間も、もう死ぬんじゃないかっていうことで、兄に取りあえず電話したんです。で、兄は、過呼吸に兄もなったことがあるので、気持ちが分かるので、電話を取りあえず切らないで、自分と話をしなさいと。気が紛れる話とか、普通に話を一生懸命してくれて。
「今、俺はそっちに向かうから」っていうことで、うちまで、そうですね、30分ぐらいはかかりますね、最低。夜中に飛ばしてきてくれて。でも、救急車は来なくて。兄が到着したときに救急車は来てくださってたんです、ちょうど。ですが、入れないで、ずっと家の下に停まったままなんですね。私も苦しいので、救急隊員の方から連絡来たんですけども、要するに、「保健所の許可が下りない限り、中に救急隊も入れません」と。そういう段取りで、もたもたされて1時間ぐらい掛かったんですね、呼んでからうちに来てくださるまで。来てくださった隊員の方は、もう宇宙服みたいな、あの防護服に全身包まれて入ってきたんですけれども。私が少しその間落ち着き始めてたので、「お母さん、病院に行くのはいいんですけど、子どもを置いていくのはどうかと思うよ」「僕の個人的な考えですけど」って。すごくいい方で。ただ私、このまま呼吸が止まってしまったらと思うと不安でしょうがないので、病院に行きたいと。「でも明日お子さんと一緒に病院に行かれたほうがいいんじゃないですか」「このまま子どもを置いて行かれるよりは」「何かあったらまた駆けつけますから」っていうことで、病院のお医者さまとも、深夜いる病院の先生ともお話しして、「過呼吸で、コロナで死ぬことはないから」って言われて、ちょっと安心したんですね。あ、そうですよねって。過呼吸で死なないっていうのは自分で分かっていたので、ちょっとパニックになってるだけだから、「じゃあ何かあったら先生、またすぐお願いできますか」って言ったら、「大丈夫です。すぐに受け入れられる体制にしときますから」って言ってくださったので、薬、睡眠薬飲んで寝ることができたので、次の日は普通に落ち着いて行動ができたんですけども。

新型コロナウイルス感染症の語り

もし職場で感染者が出たら、個人的に自分を責める人はいないと思ったが、これまで通りに接してもらえるのだろうかと考え嫌な気持ちになってしまった

あと仕事より気になったのは、結果的にはもちろん濃厚接触者はいないという、認定としては、会社の産業医も保健所も「濃厚接触者(に当たる人は)いません」という認定ではあったんですけれども、もちろん、月曜日に出社したときに何人かと立ち話もしてますし、まあ距離は取ってましたけど、私が座ってる席の周りにも人がいたりしたので、その中で感染される方が出てしまうと、別にその…みんな私を個人的に責めるとかそういうタイプの人間ではないけれども、やっぱりちょっと、どう思われるんだろうな、とか。ましてや同僚が感染して、同僚の家族も感染してみたいな状況になると、本当にこれまで通りの態度で接してくれるのかなあとか、やっぱりそういう、すごくいやーな気持ちにはなりました。結果的にそれはなかったので、不幸中の幸いというか、周りに、妻以外に感染させなかったってことは、もう本当に一番…幸運だったことだというふうに思ってます。

新型コロナウイルス感染症の語り

発症してからずっと自室にこもっていたものの、自分から家族にうつることは想像しておらず、子どもの世話をしていた妻が発熱したときにはショックで、申し訳ない気持ちだった

それ(療養施設入所)を待ってる間、相変わらず自宅の一室にこもって、食事も差し入れてもらうという、ずっと生活を続けてたんですけど、妻と子どもがPCR検査の結果が出る前の夜に、妻が熱が出たと言ってきて、妻も38度の熱があったという感じでした。で、まあタイミングからするとほぼ間違いない、私が、私からうつったのはほぼ間違いないだろうなという感じでした。なんで、ちょっとそこはショックというか…無責任というか、あまり考えずに何となく私から家族にうつるってことあんまり、想像してなくて。正直、自分が療養施設に入ればそれで終わりだろうというふうに思ってて、その間子どもの世話を妻に1人にしてもらうのは、申し訳ないぐらいは思ってましたけど、何となく、やっぱり甘い考えはあって、自分からうつることはあんまりないだろうみたいな、根拠のないあれがあったんです。けど、妻も発熱してしまったので、「ああ、やっぱり来てしまったか」という感じ。そこで急にかなり…「これからどうしよう」っていうことが…混乱するような感じでした。

夫婦の間では、元々ですね、コロナが出始めてから、妻のほうが相当怖がっていた。特に子どもに感染させることについては、怖がっていたという感じでした。私はどっちかというと楽観的で、まあもちろん最低限の用心はしてましたけど、妻よりは…うーん…あんまりかかんないんじゃないかというような、無責任な、無責任というか、あんまり根拠のない自信みたいなものは持ってたんですけど、それがかかってしまったので、ショックでした。けど、ただ…感染が分かる1カ月前ぐらいに、すごく私が用心してたってことはもう妻も理解してくれてましたので、あんまり、妻に感染させたってこと自体私はとてもショックでしたし、申し訳ないという気持ちはありましたけれども、感染させたこと自体について、妻が何か言ってくるとか、そこでいさかいが生じたっていうようなことはあんまりなかったです。
ただやっぱり結局、一番大きかったのは子どものことで、特に子どもが陰性だったので、どうしたらいいんだという、そういう現実的な話をするので精一杯だったという感じでした。

新型コロナウイルス感染症の語り

父とはほとんど接触がなかったのに、人から「娘にうつされたんだね」と言われてショックだった。退院後は二度と子どもにうつさないようずっと外出を控えていた(音声のみ)

ただ、父に触れ合う時間はなかったはずなのに、なんで父がうつったんだろうと思ったんですけど、優しい方はみんな、私からうつったかどうかは分からないよ、と。父も母も、やっぱり外食が多かったので、もう母が認知症になってから、マスクしないでちょっと近所のご飯屋さん行ったりとかしてたので、マスクはつけてねって、もう年考えて、一番うつりやすいんだからつけてねって私、何回か注意したことはあったんですけど。なので、一概に私からとは言えない。もうここまでくると、じゃあ私はどこでうつったのって、電車かもしれないし、職場かもしれないし。もうそれを探し続けたら、誰のせい誰のせいって責めたら…うーん、しょうがないことだよと。ただ、やっぱり中には、うん…私に、「娘にうつされたんだね、じゃあお父さまは」っていう言い方をしてくる人もいたので、結構ショックですね、はい。うーん。そういうこともありました。

――そういう言い方をされる方もいるんですね。

そうですね。本当に。うん、結構つらいですね(笑)。

――つらいですよね。

はい…はい。もうちょっとその方としゃべりたくなくなっちゃって(笑)

私がかかったことによって子どもとか、子どもは間違いなく私(から)だと思ってるので。母は父からなんでしょうけども、もうこれ以上子どもに何か犠牲になるようなこととかがあってはいけないと思う、やっぱり、あるので。出ないようにしてました。

私の場合は、取りあえず一周忌までは出たくないなっていうのもあって、必要以外は出ないようにしてました、はい。ただこれ一周忌過ぎてから、一回出てしまうと、あ、もう大丈夫かなって、やっぱりなってしまうんですね。電車で乗ってても、隣に人が座ったらもう立って、入り口のとこの空気の出入りがあるところに立ってますし、もしくはしゃべってる人がいると、にらんじゃいますね。せめてしゃべらないでほしいと。はい。その神経が私には分からないと思って。

新型コロナウイルス感染症の語り

せきは、せき止めを飲んでいたのでそこまでひどくなかったが、煙の中で息をしているような、息を吸いづらい感覚が療養期間が終わるまでずっと続いていた

せきに関しては…そうですね…せき止めは飲んでいたので、そこまでひどくはなかったんですけれども、だんだん呼吸困難みたいのが少しずつ起こるようになってって。ま、ひどく息ができないっていうわけじゃないんですけれども、なんだろう、煙の中でずっと息をしてるような、息を吸いづらい感覚は療養終了ぐらいまでずっとありました。なので、たまに深呼吸をしないとだんだん…息苦しさを感じるような状況ではありまして。なので、もう少し重症になってきたら、本当に普通に動くのももっとつらかったんだろうなってすごく思います。自分はちょうど、せき止めの薬とかがよく効いたほうだったと思いますし、解熱剤も全然効いてくれたのでよかったですけど、これが薬が効かないとか、もっと症状が重いとか、まあ持病があるとかっていう方だと、本当に1人で療養生活を送るのは困難なんじゃないかっていうのは感じていました。

私の持ってるぜんそくが、せきぜんそくっていう、ぜんそくになる一歩手前の少し軽めのぜんそくではあったので、もともと症状はそんなに重たくなくて。なので、やっぱりそれから比べると、四六時中息がしづらいというか、喘鳴(ぜいめい)っていったら分かりますかね。呼吸、息を吸ったり吐いたりしてると、ここら辺(胸)がゼーゼー言うような、そういう感じがあったりもしたので、それが突発的に、ここのタイミングだけっていうんじゃなくて、ずーっと続くっていうのはやっぱりつらかったです。だから結構、寝苦しさみたいのもありました。

新型コロナウイルス感染症の語り

入所した夜にせき、息苦しさ、身体の痛みが急に出はじめ「ここから悪くなるのか」と怖くなった。頼れるのはパルスオキシメーターと体温計だけで、繰り返し測定した

ただですね、その(療養施設に入った)日の夜ぐらいから、私の体調が、せきが急に出るようになってきてですね。最初、発症初日のときに、ちょっとせきが出た以外は、せきはもうそれから止まっていたんですけれども、ホテル、療養施設に入った日の夜ぐらいから急にせきが出始めました。で、あとその日の夜に、だるさが急に戻ってきて、もうだるさを通り越してですね、痛い、体がこわばって痛いみたいな、特に下半身…足とか太ももの辺りが、かなり強いだるさが出てきて、これはちょっと怖いな、という感じになりました。怖いなというか…「ああ、ここからまだ悪くなるんだ」という感じを持ちました。ただその、パルスオキシメーター、基本的にもう頼れるというか、指標にするのは体温とパルスオキシメーターで測る血中酸素濃度しかないので、怖くなってもう何回も何回もですね、体温を測って、何回もパルスオキシメーター指に挟んでってやってたんですけど(笑)。基本的にはあんまり悪い数字は出ない。体温は相変わらず37度ちょっとぐらいで、パルスオキシメーターは、そのとき慌ててインターネットで調べたら、まあ96%以上だったら正常で、95%以下だとちょっといろんな、正常じゃない状態だっていうような記事が多かったので、それを参考にしてたんですけど、基本的に97とか98とかがずっと出ていて、たまーに96が出て、あ、大丈夫かな、みたいなときはあったんですけど、すっごい苦しくて「アハッ、アハッ」ってせきをしてても、パルスオキシメーターをパッて挟んだら99とか出てね「ああ、なんだ」みたいな、そういう状態がずっと続いてました。

新型コロナウイルス感染症の語り

せきはなく、味覚嗅覚も正常だった。ただ発熱と頭痛がひどく、周りの患者のせきが聞こえる病室で、気が狂うのではと思うくらい変な夢ばかり見ていた(テキストのみ)

症状は、先ほど言ったようにせきがないんですよね。せきはないんですけども…。味覚、嗅覚、それも正常。ただ熱がかなり…40度まではいかなかったんですけども、点滴、酸素吸入、あと薬、血液検査、レントゲンっていう形で、そのB(病院)のほうには、入院しました。
…で結局入院中は、先ほど言ったように、40度までには…ならないんですけども、4日間くらいはもう頭が痛くて。病院のアイスノンを始終いただいて。まあ寝られない。で、寝たとしても、もうなんて言うんですかね…変な夢ばっかり見るんです。これは本当に本当、一苦労で。コロナ感染して、なってみないと分からない症状っていうのは、これが一番。コロナの感染で、自分は気がおかしくなっちゃうんじゃないかっていうような、夢っていうか、変な状況なんですね。周りの患者さんもいたんですけども、ほとんど周りの患者さんは、コロナ(感染)病棟なんで、せきする患者さんばっかりなんですね。自分はせきはないんですよ。ただもう熱がもうひどくて、もう頭が痛いっていう。私は、入院して窓際だったんで、病院のほうで窓を半分開けるようにって指導されてたんで、そのせきの部分では本当、ちょっと助かったかな。

その夢ですか、うちの兄にもその話したら「お前、平気かよ」なんて。本当気が狂うっていうんじゃないですけど、なんて言うか、もうめちゃくちゃな夢、何が何だか覚えてない夢なんですね。頭がもう熱が出てるから、そういう状況になっちゃって、熱のおかげで、本当に何の夢か分からないような、こればっかりはなってみないと…気が狂っちゃうのかなっていうふうに思いましたよね。こればっかりは…コロナのその状況で、夜本当に気が狂うんじゃないかって思いが一番強かったですよね。

――それは、今自分が病院にいるってことが分からなくなる、っていうことではなくて。

ええ、病院のベッドに寝てるのは分かるんですけども、なんて言うんですかね…もう…説明できないような、本当あれ、何ですか…。周りがほとんどせきしてる患者さんばっかりなんで。そういう部分も…いや、自分が「もう嫌だな、嫌だな」っていうふうに思うと…「同じコロナ患者なんだから」「まあ、しょうがない」っていうふうには思ってたんですけども。
熱がある状況で、夜寝る時間、昼間もやっぱし寝ちゃうんですけども、寝たときは本当そういう夢っていうか、説明できない状況でしたね。

新型コロナウイルス感染症の語り

発症した夜、8度以上の熱が出た。翌日には6度台に下がったが、だるさと寒気がひどかった。毛布にパジャマ2枚、暖房を最高にしてギリギリしのげるくらいだった

日中、せきだけ出てたときは、全く熱もなかったんですけれども、夜中の12時過ぎぐらいに熱を測ったら、そのときもう38℃以上(※ご本人による修正)の熱がありました。

――なるほど。で、その後保健所の電話番号だけ調べて寝て、起きたら熱は下がってた。

そうです。熱だけ6℃台ぐらいに下がっていて。

――でも、だるさはずっと続いてたってことなんですね。

そうですね。ホテルに移る頃にはだるさも随分よくはなっていたんですけれども、ただ、自宅療養中の3日間は本当にだるさがずっと続いていて。あと悪寒もひどくて、寒さが…。そうですね、12月なのでいつもだったら、タオルケットに毛布があれば大丈夫なんですけれども。それで、パジャマを2枚ぐらい着て、暖房を一番あったかくしてもまだ寒くて。母が一度差し入れに来てくれたんですけれども、玄関の前に毛布を一式置いといてくれて、それでなんとかしのげるぐらいの、それでぎりぎりしのげる程度にはなったんですけど。でも、やっぱり悪寒がすごくひどかったです。

新型コロナウイルス感染症の語り

発症直後のだるさがぬけると同時に嗅覚異常が出始めた。においを嗅いで進行を遅らせようとしたが、療養先に着く頃には、においがほぼわからなくなっていた

で、最初はすごく体がだるかったんですけれども、1日2日くらいすると、まだ起き上がれる状態にはなったので、比較的症状は軽いほうだったと思います。ただ、だるさがだんだんよくなってくるのと反対に、途中で嗅覚異常が出始めまして。確かホテルに行く前日、12月10日の夜にちょっとゴミまとめておかなきゃと思って、夜中にゴミをまとめる作業をしてたんですけれども。ま、何日も生ゴミとか置いてしまったのでちょっと臭いするかなと思ったんですけど、あんまり臭いが分かんなくて。そんなわけないと思って、いろんな調味料とかワインとか開けて、臭いを確認したんですけど、やっぱり臭いが分からなくなり始めていたんですよね。で、そこからは小まめにワインとかの臭いを確認して、嗅覚がどのくらい失われてるのか、少しでも進行を遅らせられないかとか、頑張ってました。でも結局ホテルに着く頃にはほとんど臭いが分からなくなってしまって。お弁当を食べても肉なのか魚なのかよく分かんないみたいなことがあったりとかして、そこは結構つらいところではありました。

嗅覚異常になって、やっぱり食事の楽しみがすごく減ってしまうというか、むしろ何食べてるか分からない、なんか変なもちゃもちゃしたものを口に入れるっていうのは、割と苦痛ではありました。ただ、私の場合は味覚、味はあったので、例えば梅干しとかの甘酸っぱさは分かるんですよね、臭いが分からなくても。なので、そういうふうに、これはおいしくまだ食べられるなとか、これはおいしく食べづらいなとかっていうものを自分の中で見つけていって、なるべくおいしく食べられるようにっていう工夫は、ホテルでも療養後もしていました。

新型コロナウイルス感染症の語り

療養が明けてからも1ヶ月くらい、何となく身体の調子が悪いのが続いていた。いつもやっている調理で1時間の立ち作業やブログの執筆もつらく、休み休みだった

12月17日に療養は終了したんですけど、そこから1カ月ぐらい、何となく体の調子が悪いなというのに気づきまして…倦怠感っていうほどではないんですけど、体を動かすのがちょっとつらかったりとか、疲れやすさはしばらく感じてました。で、疲れやすさっていうのは、例えば今までは料理を作るのに1時間立ってることが全然できたんですけど、途中でちょっと…休み休みじゃないと、立ちっぱなしなのがつらい、とか。療養してすぐブログを書き始めたけど、それもあまり長く作業してるのがつらいので一回横になってっていう生活が、1カ月ぐらいは続きました。でもまあ、ずっとフリーランスで働いたりとか、学校に通ってたので、会社に通う学校に通うっていうところは割と融通が利いたかなと思います。
で、一緒に暮らしていた彼もそこはすごく理解があって、家事もすごくサポートしてくれたので、安心して、療養終了後も安心して休みながら復帰することができました。