インタビュー時年齢:54歳 (2021年1月)
感染時期:2020年10月
背景:首都圏在住の女性。看護師。医療系大学教員。3人の娘(全員20代)と4人暮らし。
週末に発熱、頭痛、筋肉痛があり週が明けるのを待ってかかりつけ医を受診。PCR検査を受けて新型コロナウイルス感染症と診断され、ホテル療養を希望し発症から4日後に入った。37度台の発熱、頭痛、全身の痛みが強かった。6日間のホテル療養後、自宅で4日間療養した。仕事への復帰後数日して再度発熱、頭痛、倦怠感が出現。薬を飲みながら仕事を継続したが、症状が強かったため、通勤にタクシーを利用したり職場に近いホテルに宿泊したりして完全に体調が戻るまでには時間がかかった。
語りの内容
確か火曜日に、(療養先の)ホテルから戻ってきて、その週の土曜日までを自宅療養みたいなふうな感じで。
実は翌週からですね、どうしても、私が行かないとかなり大変になる仕事があったので、もうこれは、ここからは何としても職場復帰をせねばっていうところはあって。で、ま、その辺りは、産業医の先生とかももう、「基本的にホテル療養が終わったらば、職場復帰は可能なんで」っていうことは言われていましたから、その週の終わりまでで…自宅療養をしていましたから、翌週の月曜日からの職場復帰は、認められてはいたんですけれども。
その内容がどうしても、仕事上、病院に行かなくちゃいけない仕事だったんで、上司のほうからは、もうそれは絶対に無理だから、要は「職場のほうに出勤してくれ」っていうふうに言われたんですけど、私、職場のほうに出勤するよりも、仕事の病院先の仕事に行くほうがですね、通勤距離としてはね、半分ぐらいで済むんですね。
とにかく動くのがすごいしんどかったので、職場に行くよりも病院の仕事に行くほうが楽なんだっていうことを、必死に上司に説明してですね、それで、何とか説得して、認めてもらいました。
それで、仕事復帰、始めたんですけれども、その3日後ぐらいですかね、やっぱり再び頭痛と発熱っていう感じで、そのときも7度台前半という感じですけれども、そんな感じで、でも解熱剤とか飲んだりとか、そういう、頭痛がひどかったんですけど、とにかく1日もうマックスぐらい頭痛薬を飲んでですね、仕事をしていて。
で、その症状が出てから翌日とかは、ま、オンライン対応の仕事だったんですけど、「そういう大学にも出勤できないふうなことなんであれば、病院での仕事は無理なんですから、そういうふうに症状が出てるんだったら休んで、今からでも休んでください」みたいな(言われ方をしたけれど)、もうそしたら通勤距離を短くして、体への負担を少なくしながら、やるしかないっていう感じだったので、もうとにかく頭痛薬を毎日毎日マックス飲みながら、大学で仕事をしなくちゃいけないときは、大学の近くのホテルを取り、それから通勤距離を少なく、とか、帰りはどうしてもというときは、往復タクシーを自宅から使って、とにかく体を休めることを優先して、仕事をしたという感じです。
インタビュー05
- いつものように検温したら、自覚症状がないのに38度もあって驚いた。翌日から頭痛や筋肉痛が出たが、日曜だったので月曜に受診してPCR検査を受けた(テキストのみ)
- 第3波の流行でどこでもらっても不思議ではなかった。仕事がら感染防止対策は徹底していたのにかかってしまったので、どこで感染したか全く想像がつかない(テキストのみ)
- 陽性が判明してすぐに娘たちもPCR検査を受けた。自分が陽性と聞いてもショックはなく不安はなかったが、娘たちがみんな陰性でよかったと思った(テキストのみ)
- コロナ感染をきっかけに、誰も何も決められない状況でも、自分をしっかり持って、一人ひとりが考えて、行動するということが広がっていくといいと思う(テキストのみ)
- どうしても出なければならない仕事があった。復帰3日目に体調が悪化し、最大量の頭痛薬、ホテルやタクシー利用で通勤負担を軽減するなどして乗り切った(テキストのみ)
- 療養先から戻ると、だるさや体の痛みは一旦落ち着き、仕事が出来るまでになったが、再開して数日で微熱、頭痛がひどくなり薬を飲まずにはいられなくなった(テキストのみ)
- 療養中辛かったのは頭痛・体の痛みと睡眠障害。気分の波もあり普段気にならないような隣室の音が気になった。身体の痛みはインフルのときのようだった(テキストのみ)
- 退所後家に帰って、だるさや体の痛みは一旦落ち着き、普通に仕事ができるくらいにまでなった。だが3日目くらいから微熱やひどい頭痛が出始めた(テキストのみ)
- ひどい頭痛が続きかかりつけ医に相談したが耳鼻科受診を勧められるだけだった。後遺症について情報収集したが、症状が多岐に渡り、確定的なものはなかった(テキストのみ)
- 高齢な両親には心配かけないよう職場復帰してから話したが、あえて話したのは両親が体調の変化を感じた時にすぐに言ってもらいたかったからだ(テキストのみ)