インタビュー時年齢:38歳(2021年1月)
感染時期:2020年3月
背景:首都圏在住の女性。新聞記者。夫と長男(当時3歳)と次男(1歳)の子どもの4人暮らし。

勤務先の新聞社で仕事中に嗅覚障害に気づいた。PCR検査を希望したものの発熱がなかったため受けられず、発症から4日目にようやく検査を受け陽性だとわかり、入院できたのは10日目だった。入院後まもなく軽症ということで宿泊療養施設に移ったものの、その日のうちに発熱して病院に戻された。その後は毎日37度台の発熱があり、PCR検査を受けて1度は陰性になったものの再び陽性になってしまい、2回連続陰性になって退院できたのは、入院から2週間後のことだった。

プロフィール詳細

新聞記者として中国・武漢の新型コロナウイルス感染症の報道に携わり、現地の感染者やその家族とSNSや電話を通してやり取りしていたので、2020年3月時点では、一般の人より病気についての知識があったと思う。3月末に出社して仕事をしているとき、消毒液に混ぜていたアロマオイルの香りがしないことに気づいて、すぐに新型コロナウイルス感染症を疑い、保健所に連絡しようとしたが、全くつながらなかった。やむなく近くの病院を受診したが、診察した内科医からは発熱や咳などの症状がなかったため、「コロナじゃない」といわれた。

それでも万が一感染していたら、夫や幼い子どもたちにもうつしてしまうと思い、夫が子どもたちを寝かしつけるまで、家の外で時間をつぶし、帰宅後も夫婦で保健所に電話をかけ続けた。二人で200回くらいリダイヤルして、ようやく夜9時過ぎにつながったが、発熱もなかったのでここでもコロナの疑いは否定された。しかし、それまでの取材経験からも「これはコロナに違いない」という確信があり、自主的に自宅隔離を選び、家の中でも子どもたちとは接触しないように過ごすことを決めた。

3日ほどすると強い倦怠感が出てきて、改めて保健所に連絡したが、「医師の診断がなければPCR検査は受けられない」と言われた。3つの医療機関に行くと今度は「うちでは診られない」とたらい回しにされ、必死に保健所に状況を訴えて、ようやく翌日PCR検査を受けることができた。しかし当時は結果が出るまでに3日もかかり、陽性だとわかってからも丸2日待たされて、ようやく入院することができた。
その間に全身を刺すような痛みが出てきたが、熱や咳が出ることはなく、レントゲンを撮ってもごく軽症の肺炎の痕が確認されただけだった。痛みは鎮痛剤を飲めば治まるので、入院して2日目に宿泊療養施設に移動することになった。しかし、実際に行って数時間のうちに寒気がしてきて37.5度ほどの熱が出たので、「無症状者だけを受け入れている」という療養施設は出なくてはならなくなり、その日のうちに病院に逆戻りすることになった。

一方、濃厚接触者に当たる夫と子どもたちは2週間の自宅待機で経過観察をすることになった。体調に変化があればPCR検査を受けるということになっていたが、3人とも元気で観察期間を終えた。入院するまでの10日間、同じ家の中にいながら幼い子どもたちと全く接触できず、自分にとっても子どもにとっても夫にとっても非常に辛かったが、そのおかげで、何とか家庭内感染は防ぐことができたのだと思う(夫が無症状のまま感染していなかったかを確かめるために後日抗体検査を受けてもらったが、結果は陰性だった)。

入院中は毎日38度未満の熱が出ていたが、解熱剤などは使わなかった。何日かして熱が下がってくるとPCR検査を受け、当時は2回続けて陰性が出れば退院ということだったが、1回陰性になってもその次は陽性になってしまった。1回目は(ウイルスがいるのに検査では陰性となる)「偽陰性」だったという説明を受けたが、一度は家に帰れると思ったので、非常にがっかりした。それからまた2日後に検査を受け、さらにもう一度受けて、2回連続陰性となったので*退院した。最初に入院してから2週間が経っていた。
*2020年5月以前は症状が軽快してからPCR検査を24時間の間を置いて2回行ない、連続して陰性が確認されることが新型コロナウイルス感染症の退院基準となっていました。(「2020年5月29日厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部事務連絡」で改定)

職場には退院してから2週間ほどで復帰した。陽性が確定した時点で、勤務先の朝日新聞は「30代の女性社員が感染した」と匿名化した報道を流していたが、今度は自ら「今村優莉」の実名で感染体験を記事にしたいと考えた。周囲からは誹謗中傷を受けるのではないかと懸念されたが、自分が感染したことで、家庭内隔離の難しさや体験を伝えることは、感染症対策においても役に立つことがきっとあると考えた。最終的に会社の許可が下りて、4回にわたる連載記事を書き上げた。大きな反響があったが、概ね好意的に受け止められ、SNS上でも懸念されたような攻撃的な反応は見られなかった。

一方、退院後体調は順調に回復したが、嗅覚障害はなかなか治らなかった。一番ショックだったのは子どものうんちのにおいがわからなかったことだが、その後「スメル・トレーニング」という嗅覚障害の人のリハビリに取り組んだりして、およそ半年くらいで元通りになったと思う。さらに、感染症について理解できない子どもたちにとっては、母親がひたすら自室にこもって自主隔離を続けていたのは、「突然ママが目の前から消えた」と感じるような出来事で、しばらくは精神的な影響が残った。退院後も自分の姿が見えないとパニックになって泣き叫んだり、態度が乱暴になってしまったりしたので、なるべくいっぱいハグしてあげて安心させるように心がけていたら、2-3カ月で治まった。

自分自身は感染したことで直接的に他人から誹謗中傷を受けるようなことはなかったが、ショックだったのは子どもたちが通っていた保育園が自分の感染が疑われた時点で休園して、再開したときには半分の子どもが辞めてしまっていたこと。経営が立ち行かなくなり、年度いっぱいで閉園することになってしまったというお知らせを読んだ時には、本当にいたたまれない気持ちになった。

私は: です。

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