※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時年齢:71歳 (2021年1月)
感染時期:2020年3月
背景:首都圏在住の男性。医師。妻と2人暮らし。子どもは独立している。
発熱とせき、鼻水に気がついた時点でコロナ感染を疑い、翌日外来受診。レントゲン検査では異常がなく医師の勧めで自宅療養した。37度台の発熱が続き7日後再受診、CT検査で肺炎と診断され入院した。一時的に容態が芳しくない時もあり、回復後もなかなかPCR検査が2回連続陰性にならず、約1カ月入院していた。退院後は強い倦怠感に悩まされ、大学を辞職するに至ったが、1カ月ほど自宅療養して次第に快復し、医師として病院勤務に復帰した。
語りの内容
ま、そして、入院してですね、えっと、感染症病棟に入院したら、今度入院したらですね、また熱が出始めてね。38度から9度にもね、熱発がずっと続いて。大体そうですね、あのー1週間ぐらい続きましたかね。入院してから続きましたね。だから考えてみたらいいタイミングで入院したんでしょうね。あのまま入院しなかったら、えー、そのまま自宅でもってね、ぽっくりいってたかもしれませんね。あの今よくね、自宅待機で亡くなる方がいろいろいますけどね。
本当にこれね、あれですよ、僕、呼吸困難もあんまりなかったしね、あのね、まあただ熱発が続いて、1週間ほど熱が出たときは、さすがに食欲もないしね、それから、もうやっぱりなんだろうね、もうろう、意識もうろうとしててね。それで、ベッドの上にこう起き上がることもできないぐらいでしたね。だけどそれでもね、呼吸困難ないんですよね。で、後からね聞いたところ、担当医が言ってましたけどね、「いやよくね、呼吸困難がなくてそのままぽっくりね、亡くなる人が多いんですよ」なんていって言ってましたからね。だからあの、この間もほら、あの議員さんがね、お亡くなりになったでしょ。あれもね急にね、呼吸困難もなく、急に肺炎が進行して、そのまま急死されるっていうこと、よく分かりましたね。「あ、こういうもんだな」とね。
でね、熱発してるときにね、えっとね、夢うつつでもってなんかね、きれいなね、麦畑のね、黄金の色のね、夕日に輝く黄金の麦畑がね、浮かんできてね。あ、素晴らしいところだな。あれは多分天国だったんでしょうね。で、そのうちにね、また引き返したりしましてね、あの、つかの間の天国でしたけども(笑)、その風景、消えちゃいましたね。
あのねこれ、よく言うんですけどね、われわれの業界っていうかね、医療関係者がよく言うのはね、「肺炎は老人の友である」*ってね。これ、カナダの医学者の、あれですね…何だっけ、オスラー先生っていうのがね、言った言葉なんですけどね。どういうことかというとね、みんな肺炎になってね、呼吸困難になってね、はい、苦しい思いして死ぬんだろうと思うでしょう。実はそうではないんですよね。神さまは大変ね、慈悲深くてですね、肺炎になった老人はそのままね、肺炎になると、あれでしょう、酸素がね、低酸素になってくるしね、それから二酸化炭素も蓄積してくるとね、二酸化炭素、特にね、麻酔作用があるんですよ。だからね、なんてかしらね、そういう麻酔作用でね、何か甘美なね、死の誘いでもってね、そのまますっと亡くなってく。だから死ぬのはね、肺炎が一番いいよ。最後にそういうね、天国を見て死ねるというんです(笑)。いやだからね、「肺炎は老人の友」ってね、要するにそうした苦しみから逃れるためのね、最上の手段であるって言ってるくらいなんですよね。だから本当にそれ、そう思いましたね。あ、なるほど、「肺炎は老人の友」かと思いましたけどね。
*1898年に内科医のウィリアム・オスラーが述べた言葉とされます。
インタビュー03
- 発熱と鼻水、せきの風邪症状で受診。胸のレントゲンに異常はなく自宅待機していたが、37度台の微熱が続き、再度受診したところ肺炎の所見が出て即入院となった
- 意識が朦朧とする中で、黄金の麦畑をみた。天国に足を踏み入れたことで、聖書の言葉が初めて分かった気がした。コロナに感染したことで新しい人生をもらったと思った
- コロナは発症から1週間以上熱が続いたり、経過がものすごく長い。インフルエンザより少し重い程度と思っている人は多いが、50~100倍きつかった
- 入院して1週間38~9度の熱が続いた。もうろうとしていたが呼吸困難はなく、夢うつつで黄金の麦畑を見た。なるほど、死ぬなら肺炎が一番いいと思った
- 退院後2~3日で倦怠感が襲ってきた。気力がなく仕事に戻ろうとも思えず、そのまま大学を退職した。退院後2か月してようやく散歩ができるくらいまでになってきた
- 家内や職場から風評被害につながるので感染したことを公表しては駄目と言われていたが、体験記は他の人の役に立つと思い、業界紙に掲載したところ誹謗中傷はなかった