インタビュー時年齢:54歳 (2021年1月)
感染時期:2020年10月
背景:首都圏在住の女性。看護師。医療系大学教員。3人の娘(全員20代)と4人暮らし。
週末に発熱、頭痛、筋肉痛があり週が明けるのを待ってかかりつけ医を受診。PCR検査を受けて新型コロナウイルス感染症と診断され、ホテル療養を希望し発症から4日後に入った。37度台の発熱、頭痛、全身の痛みが強かった。6日間のホテル療養後、自宅で4日間療養した。仕事への復帰後数日して再度発熱、頭痛、倦怠感が出現。薬を飲みながら仕事を継続したが、症状が強かったため、通勤にタクシーを利用したり職場に近いホテルに宿泊したりして完全に体調が戻るまでには時間がかかった。
語りの内容
――あとは、えっと、ご家族の反応っていうか、そのときの、お嬢さま方とか、あるいはご両親の反応ってどんな感じだったんでしょう。
やっぱりすごく心配しましたね。特に両親なんかは、やっぱり報道されてるようなことしか分かってないですから、「だいじょぶなのか」っていうふうなこと。それはもうある意味、そういう反応をするだろうということは想定していたので、なってすぐには両親には言わなくて、ある程度こう回復してから、職場復帰もして回復してから、お話をして。で、なんでお話ししたかっていうと、万が一あなたたち(両親のこと)がなる可能性がやっぱりあるわけですから、これだけ市中に広まってますから、特に両親なんか、なったら命に関わるぐらいのことは思ってますから。でも、心配掛けまいとあんまりそういうことを言わないのも、また高齢者なんで、ちゃんと教えてもらわないと困るから、なんか変だなって思ったときには、早く教えてもらわないと困るんでと思って。そういうふうに私が言うことで「ちゃんと言ってね」って、「私もこうやって言ったよね。心配掛けるの分かってるけど、言ったのは、お父さんやお母さんにも、ちゃんと言ってもらいたいと思うから言うんだよ」っていうふうにして話をしました。
で、娘たちはですね、やっぱり、まあ、真ん中が一番ちょっと反応した感じはあったんだけど、ほんとに、「ママがいなくなっちゃったらどうしようみたいに思った」みたいなふうなことは言ってましたけど、でも、まあ、だいじょぶだよってことも言いましたし、ま、ホテルに行ってる間もですね、ずっと、ファミリーLINEがあるんですけど、きょうの朝はこれとか、昼はこれとか、夕ご飯はこんなのだったよみたいに、LINEとかをして話をしてたので、ま、そんな感じでやってましたでしょうかね。
インタビュー05
- いつものように検温したら、自覚症状がないのに38度もあって驚いた。翌日から頭痛や筋肉痛が出たが、日曜だったので月曜に受診してPCR検査を受けた(テキストのみ)
- 第3波の流行でどこでもらっても不思議ではなかった。仕事がら感染防止対策は徹底していたのにかかってしまったので、どこで感染したか全く想像がつかない(テキストのみ)
- 陽性が判明してすぐに娘たちもPCR検査を受けた。自分が陽性と聞いてもショックはなく不安はなかったが、娘たちがみんな陰性でよかったと思った(テキストのみ)
- コロナ感染をきっかけに、誰も何も決められない状況でも、自分をしっかり持って、一人ひとりが考えて、行動するということが広がっていくといいと思う(テキストのみ)
- どうしても出なければならない仕事があった。復帰3日目に体調が悪化し、最大量の頭痛薬、ホテルやタクシー利用で通勤負担を軽減するなどして乗り切った(テキストのみ)
- 療養先から戻ると、だるさや体の痛みは一旦落ち着き、仕事が出来るまでになったが、再開して数日で微熱、頭痛がひどくなり薬を飲まずにはいられなくなった(テキストのみ)
- 療養中辛かったのは頭痛・体の痛みと睡眠障害。気分の波もあり普段気にならないような隣室の音が気になった。身体の痛みはインフルのときのようだった(テキストのみ)
- 退所後家に帰って、だるさや体の痛みは一旦落ち着き、普通に仕事ができるくらいにまでなった。だが3日目くらいから微熱やひどい頭痛が出始めた(テキストのみ)
- ひどい頭痛が続きかかりつけ医に相談したが耳鼻科受診を勧められるだけだった。後遺症について情報収集したが、症状が多岐に渡り、確定的なものはなかった(テキストのみ)
- 高齢な両親には心配かけないよう職場復帰してから話したが、あえて話したのは両親が体調の変化を感じた時にすぐに言ってもらいたかったからだ(テキストのみ)