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インタビュー時年齢:26歳 (2021年7月)
感染時期:2020年12月
背景:首都圏在住の女性。罹患時は北海道在住で恋人(現在の夫)と同棲中。
介護関連会社で総務としてコロナ対策に関わっていたが、感染予防に対する上層部の無理解に退職し、罹患時は職業訓練校に通っていた。当時の自治体基準では、布マスクはマスク着用と認められず、会食した友人と級友2人が濃厚接触者となり学校は5日間休校に。ぜんそく持ちのため中等症者向けホテルで療養となった。その後結婚し、翌年7月に首都圏に転居、現在はデザイナーとして働いている。自身の療養体験をSNSで情報発信し、罹患者やその家族からの相談に乗っている。
語りの内容
で、最初はすごく体がだるかったんですけれども、1日2日くらいすると、まだ起き上がれる状態にはなったので、比較的症状は軽いほうだったと思います。ただ、だるさがだんだんよくなってくるのと反対に、途中で嗅覚異常が出始めまして。確かホテルに行く前日、12月10日の夜にちょっとゴミまとめておかなきゃと思って、夜中にゴミをまとめる作業をしてたんですけれども。ま、何日も生ゴミとか置いてしまったのでちょっと臭いするかなと思ったんですけど、あんまり臭いが分かんなくて。そんなわけないと思って、いろんな調味料とかワインとか開けて、臭いを確認したんですけど、やっぱり臭いが分からなくなり始めていたんですよね。で、そこからは小まめにワインとかの臭いを確認して、嗅覚がどのくらい失われてるのか、少しでも進行を遅らせられないかとか、頑張ってました。でも結局ホテルに着く頃にはほとんど臭いが分からなくなってしまって。お弁当を食べても肉なのか魚なのかよく分かんないみたいなことがあったりとかして、そこは結構つらいところではありました。
嗅覚異常になって、やっぱり食事の楽しみがすごく減ってしまうというか、むしろ何食べてるか分からない、なんか変なもちゃもちゃしたものを口に入れるっていうのは、割と苦痛ではありました。ただ、私の場合は味覚、味はあったので、例えば梅干しとかの甘酸っぱさは分かるんですよね、臭いが分からなくても。なので、そういうふうに、これはおいしくまだ食べられるなとか、これはおいしく食べづらいなとかっていうものを自分の中で見つけていって、なるべくおいしく食べられるようにっていう工夫は、ホテルでも療養後もしていました。
インタビュー14
- 嗅覚障害がなかなか治らず無臭症が良くなってきたころに、異臭症が出た。ハヤシライスを食べた時、ひどいにおいが口と鼻に充満してしばらく残り続けるので本当につらかった
- 嗅覚異常の治療として Bスポット療法を受けていた。とても痛いのは炎症部分に薬を塗っているからだと思う。引っ越ししたので、首都圏でも受けられる病院を探している
- 療養が明けてからも1ヶ月くらい、何となく身体の調子が悪いのが続いていた。いつもやっている調理で1時間の立ち作業やブログの執筆もつらく、休み休みだった
- 発症直後のだるさがぬけると同時に嗅覚異常が出始めた。においを嗅いで進行を遅らせようとしたが、療養先に着く頃には、においがほぼわからなくなっていた
- 発症した夜、8度以上の熱が出た。翌日には6度台に下がったが、だるさと寒気がひどかった。毛布にパジャマ2枚、暖房を最高にしてギリギリしのげるくらいだった
- せきは、せき止めを飲んでいたのでそこまでひどくなかったが、煙の中で息をしているような、息を吸いづらい感覚が療養期間が終わるまでずっと続いていた
- SNSでの発信がメディアに注目され顔を隠してテレビにも出たりした。否定的な反応もあったが、今は顔を出して私みたいな若者でも大変な思いをしたんだと同世代に伝えたい
- 隔離解除後にかかりつけ医にレントゲンの予約を入れると、一般患者とは別の入り口や待合室、手洗いを使うように言われ、併せてCT検査も受けないと診察できないといわれた
- 感染の2か月後にネイルサロンで感染したことを話したら施術を断られた。身の回りに感染者を見かけないのは、こうした差別を恐れて話さない人もいるからだと知ってほしい
- コロナにかかったことに罪悪感があり、家族にも言わないでおくつもりだったが、祖父の葬儀があったので言わざるを得なくなった。参列した親戚からは優しい言葉をもらえた