※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時年齢:52 歳 (2021年3月)
感染時期:2020 年10 月
背景:罹患時首都圏在住の男性。会社員。単身赴任中。
せきや微熱のため会社を休み在宅で仕事をしていたが、38度を超す熱が出たため発熱外来を受診した。レントゲンを撮ると既に肺が真っ白だった。最初に紹介された病院では血中酸素濃度が80%を切ることもあり、より高次の病院に転院することになったが、チューブが折れて酸素が吸入できていなかったことが判明。転院先ではICUに入ってレムデシビルの投与を受けたが、気管挿管することはなく、数日後には一般病室に移った。退院後は順調に回復し、後遺症もなく職場復帰している。
語りの内容
――会社のほうの対応というか、ご自身が陽性っていう話をする前ですよね、多分。どの段階で会社のほうには「これはあやしい」っていう話が行ったんですか。
これはもう14日の休んだ時点で、もう疑陽性っていうか、とにかく出社停止で様子見るっていうようなルーティンではあったので、そこに従いましたね。で、16日に、本当に発熱で入院っていうような形になったときに、もうそれになったというか、「ああ、やばい」ということで。16日の日ですよね、大騒ぎしたっていう感じですかね、はい。
――でも、本当にその、職場の方たちが出社停止になるとか、あるいはその、分かんないですけど、取引先の方とかにも連絡がいくっていうことになったと思うんですけど、それは会社のほうで全部対応をされた感じですか。それとも…。
もう全部会社でやってましたね、はい。そこは、もうできあがってるので。
――職場絡みでもう少しお伺いしたいのは、戻った場合…ときに、職場の皆さんの反応はどんな感じでしたか。
ええとですね、まず「びっくりした」っていうのと、あとは「後遺症どう?」っていうようなところで、「もう絶対無理しないでくださいね」って言われましたね。職場で、ほかの部署で出た人は、私よりも全然重症というか、味覚障害もいまだに残っているような感じで、咳き込むような感じなんですけど、私、今こうしゃべってる間で一度も咳き込んではいないと思うんですよね。なので、なんていうんでしょうね、比較的症状的に後遺症もなく。
会社は本当に、初めてかな、会社の人にこんなに温かくしてもらえると思わなかったですね。
会社側の配慮っていうのは相当厚いと私は思ってます。すごい助けてもらいました。うん。よかったですね、そこは。
インタビュー10
- 寒い屋外で仕事をした数日後、軽くせきが出始めた。味覚障害もなかったので風邪薬を飲んでやり過ごしていたが、37.2度の熱が出たので会社を休んだ(音声のみ)
- 初期症状は風邪より軽い感じで、無症状に近い。気づかずに撒き散らすのは無症状の若者たちだと思っていたが、自分も無症状世代だったことに驚いた(音声のみ)
- コロナは夜の街で感染するものというイメージが強かった。今のように飛沫のシミュレーションなどはなかったから、昼間だったら大丈夫という意識があった(音声のみ)
- 部下8名が濃厚接触者と判断されPCR検査を受けた。初診料の自己負担分は自分に負担させてほしいと伝えたが、「明日は我が身なので」と遠慮された(音声のみ)
- 今夜がヤマと言われてもさほど苦しくなくて、人はこんなにあっさり死ぬものかと思った。ヤマを越えたときには周囲に対して「感謝しかない」という心境になった(音声のみ)
- 入院時の血中酸素濃度は86%ほどで、ひどい肺炎と言われた。ヤマ場と言われたときは、考え事をすると酸素を使うと思ったので、極力頭を使わないようにした(音声のみ)
- インフルに比べれば発熱は大したことはなく、2日ほどで下がったが、とにかくへとへとで、歩くのもやっとなほどのものすごい倦怠感に襲われた(音声のみ)
- 社内で感染事例があり、陽性と分かる前から出勤停止で様子を見るというルーティンができていた。復帰後も会社の配慮が手厚くあって、ありがたかった(音声のみ)