インタビュー時年齢:64歳 (2021年2月)
感染時期:2020年4月
背景:首都圏在住の女性。コールセンター勤務。1人暮らし。
38~39度の熱が続き保健所に電話してもなかなかつながらず、病院でPCR検査を受けたのは発症から6日目。肺炎の所見があったが、検査結果が出るまで入院はできないと家に帰された。3日後に呼吸困難になり救急車を呼んだ時には血中酸素飽和度は80%台だった。感染症専門病院に入院、一時は気管切開して人工呼吸器を使っていた。5日ほどでようやく熱が下がり、さらに1週間ほどで2回連続PCR陰性となり退院。だが頻脈やせきなどの症状は続いており、後遺症に理解がない職場なのがつらい。
プロフィール詳細
2020年4月初め、37.5度を超える熱が出たので会社に電話をして翌日は出社できないと伝えたが、翌日には熱が39度まで上がったので、かかりつけ医を受診。歩いて行って汗をかいたからか、受診時には熱が下がっていたため、風邪だろうと言われ、解熱剤をもらって帰宅したが、薬を飲んでも熱は下がらなかった。翌日には保健所に電話をしたがなかなかつながらず、つながっても「PCR検査はそんなに簡単に受けられるものではない」と言われて、そのまま自宅で様子を見るように言われた。
その後も1日2~3回保健所に電話をかけ続け、最初に発熱してから6日目にようやくかかりつけの病院でPCR検査を受けられることになった。この時はかなり衰弱して歩くことができず、タクシーを利用するしかなかったが、運転手がマスクをしておらず心配だった。病院ではPCR検査のほか、レントゲンとCTを撮って、「明らかに肺炎の症状が認められるが、この病院はコロナ対応ではないため入院させることはできない。とにかく早く救急車を呼んでください」と言われ、しばらく吸入をしたあと家に帰されてしまった。
帰宅後、また保健所に電話をして、入院できる病院を探してもらったが、見つからなかった。自宅療養中は息苦しくて水も飲めないような状態が続き、一人暮らしなので誰の手も借りずに頑張っていたが、検査の3日後の朝、耐えきれずに救急車を呼んだ。救急車が到着したときには血中酸素飽和度は80%台とかなり危険な状態になっていた。自宅マンションのエントランス前に止められた救急車の中で問診を受け、PCR検査の結果待ちであることを伝えたが、搬送先が見つからず、3人の救急隊員が3時間ずっと電話をかけ続けて、ようやく一度断られた感染症専門病院に受け入れてもらえることになった。その晩、PCR検査陽性という結果が出た。
病院では二重扉の陰圧室の個室に入り、鼻口をおおうマスクから酸素を強制的に送り込んで呼吸を補助するような人工呼吸器を装着した。一時的に気管切開して(喉に穴をあけて)人工呼吸器を使ったこともあった。意識がもうろうとしていたので、当時のことは記憶が定かではないところもあるが、入院から5日目くらいにようやく熱が下がり、食事がとれるようになった。さらに5-6日すると人工呼吸器が簡易的なものに代わり、大部屋に移るように言われた。
PCR検査を受けて2日続けて陰性の結果が出たら、いきなり「本日夕方までに退院してください」と言われた。まだふらふらして息をするのも苦しいのに、夜に一人暮らしの部屋に帰るのは無理だと思い、押し問答の末、何とか翌朝まで置いてもらった。帰宅後はひたすら寝ていて、食事も5月半ばまでコンビニのレトルトでしのいだ。
5月末の退院後検査の頃になっても息苦しさは続き、105-110/分の頻脈になっていた。頻脈は8か月後の今でも続いている。退院後、6月には職場復帰するつもりだったが、右腕が上がらなくなり、字も書けないほど痛くなって、仕事に戻れなくなった。ただ、この痛みは夏ごろには普通の五十肩のような症状に変化した。また、ぜんそくの持病もあるせいか、せきが止まらなくなることがあるが、このせきはぜんそく発作のときのせきともコロナのせきとも違うと思う。コロナにかかっていたときのせきは「痛い」せきだった。
さらに嗅覚や味覚の障害もあるが、他の症状に比べてさほど気にならないので、特に医療機関で診てもらってはいない。それでも退院後いろいろな不調で様々な病院にかかり、医療費がかさんでいる。後遺症なのかどうかもわからないし、どこに相談したらいいのかわからない。
職場には7月下旬から出勤したが、コールセンターなので電話対応中にせきが出ると相手に失礼になってしまう。そのため、つらい時は休むようにしていたら、8~9月は半分も出勤できなかった。10月から徐々に体調も良くなってきたが、後遺症に対する職場の理解がなく、休みたいというと「また休むの?」と嫌な顔をされる。現在の体調を考えるとコールセンターの仕事はもう諦めたほうがいいのかもしれないと思う。
コロナ体験から何か得たものがあるかと聞かれたら、何もないとしか言えない。国のコロナ対策については全くなっていないと思う。自分の時は第1波のときで保健所もパニック状態だったのだとは思うが、同じ都内の保健所でももっとましな対応をしていたところもあったと聞く。ただ、医療者に対しては感謝の言葉しかない。
その後も1日2~3回保健所に電話をかけ続け、最初に発熱してから6日目にようやくかかりつけの病院でPCR検査を受けられることになった。この時はかなり衰弱して歩くことができず、タクシーを利用するしかなかったが、運転手がマスクをしておらず心配だった。病院ではPCR検査のほか、レントゲンとCTを撮って、「明らかに肺炎の症状が認められるが、この病院はコロナ対応ではないため入院させることはできない。とにかく早く救急車を呼んでください」と言われ、しばらく吸入をしたあと家に帰されてしまった。
帰宅後、また保健所に電話をして、入院できる病院を探してもらったが、見つからなかった。自宅療養中は息苦しくて水も飲めないような状態が続き、一人暮らしなので誰の手も借りずに頑張っていたが、検査の3日後の朝、耐えきれずに救急車を呼んだ。救急車が到着したときには血中酸素飽和度は80%台とかなり危険な状態になっていた。自宅マンションのエントランス前に止められた救急車の中で問診を受け、PCR検査の結果待ちであることを伝えたが、搬送先が見つからず、3人の救急隊員が3時間ずっと電話をかけ続けて、ようやく一度断られた感染症専門病院に受け入れてもらえることになった。その晩、PCR検査陽性という結果が出た。
病院では二重扉の陰圧室の個室に入り、鼻口をおおうマスクから酸素を強制的に送り込んで呼吸を補助するような人工呼吸器を装着した。一時的に気管切開して(喉に穴をあけて)人工呼吸器を使ったこともあった。意識がもうろうとしていたので、当時のことは記憶が定かではないところもあるが、入院から5日目くらいにようやく熱が下がり、食事がとれるようになった。さらに5-6日すると人工呼吸器が簡易的なものに代わり、大部屋に移るように言われた。
PCR検査を受けて2日続けて陰性の結果が出たら、いきなり「本日夕方までに退院してください」と言われた。まだふらふらして息をするのも苦しいのに、夜に一人暮らしの部屋に帰るのは無理だと思い、押し問答の末、何とか翌朝まで置いてもらった。帰宅後はひたすら寝ていて、食事も5月半ばまでコンビニのレトルトでしのいだ。
5月末の退院後検査の頃になっても息苦しさは続き、105-110/分の頻脈になっていた。頻脈は8か月後の今でも続いている。退院後、6月には職場復帰するつもりだったが、右腕が上がらなくなり、字も書けないほど痛くなって、仕事に戻れなくなった。ただ、この痛みは夏ごろには普通の五十肩のような症状に変化した。また、ぜんそくの持病もあるせいか、せきが止まらなくなることがあるが、このせきはぜんそく発作のときのせきともコロナのせきとも違うと思う。コロナにかかっていたときのせきは「痛い」せきだった。
さらに嗅覚や味覚の障害もあるが、他の症状に比べてさほど気にならないので、特に医療機関で診てもらってはいない。それでも退院後いろいろな不調で様々な病院にかかり、医療費がかさんでいる。後遺症なのかどうかもわからないし、どこに相談したらいいのかわからない。
職場には7月下旬から出勤したが、コールセンターなので電話対応中にせきが出ると相手に失礼になってしまう。そのため、つらい時は休むようにしていたら、8~9月は半分も出勤できなかった。10月から徐々に体調も良くなってきたが、後遺症に対する職場の理解がなく、休みたいというと「また休むの?」と嫌な顔をされる。現在の体調を考えるとコールセンターの仕事はもう諦めたほうがいいのかもしれないと思う。
コロナ体験から何か得たものがあるかと聞かれたら、何もないとしか言えない。国のコロナ対策については全くなっていないと思う。自分の時は第1波のときで保健所もパニック状態だったのだとは思うが、同じ都内の保健所でももっとましな対応をしていたところもあったと聞く。ただ、医療者に対しては感謝の言葉しかない。
インタビュー08
- 自分は地下鉄通勤だったが、ドアツードアで1時間くらいなのでその間で感染したのかと思う。夏ごろまでマスクが入手困難でマスクをしていない人も結構いた(音声のみ)
- 発症直前に行った歯科医院に電話で感染を伝えた。これまでも濃厚接触者や感染者が出ると予約延期の連絡があったので今回もそうしたのだろうと申し訳なく思った(音声のみ)
- これまでにも大きな病気をして命が危ないことが結構あった。今回のことで、自分に大きな変化はなかった(音声のみ)
- 身体を動かすことが辛く、月の半分も出勤できない状態が数か月続いた。申し訳ないとは思うが、こうした仕事に差し障る後遺症があると職場に理解してもらいたい(音声のみ)
- どうにかたどり着いたかかりつけ医で、肺炎を起こしているといわれた。すぐ入院先を見つけてもらうようにと言われたが見つからず、耐えきれずに救急車を呼んだ(音声のみ)
- 処方された解熱剤は効かなかった。発熱から2週間、ようやく熱が下がり始めた。回復する人は「最初の発熱から2週間ほどで下がり始める」と医師に言われた(音声のみ)
- ぜんそく持ちだが、コロナのせきはぜんそくのものとは違って、痛くてどこかにつかまっていないとつらいほどだった(音声のみ)
- 血中酸素濃度が低く救急車で呼吸器をつけられた。隊員が3時間かけて探してくれた病院に運ばれたときは自力で呼吸できなかった。自分が重症だったと後で知った(音声のみ)
- 後遺症は普通の保険診療になるので、医療費がかなりかかっている。仕事も昨年は3分の1くらいしか働いていなかったので、収入も減って大変だった(音声のみ)
- 退院1か月後の検診時に脈拍が高いと言われ、「肺が本調子ではないから」と言われて納得していたが、9か月経っても高いままで後遺症なのかどうかもわからない(音声のみ)
- 退院後1カ月くらいで右腕が痛くて上がらなくなった。後遺症の可能性もあるらしいが、とにかく痛みが強くて出勤もできず、家事も普通にできなかった(音声のみ)
- 搬送時に長時間エントランスにいたので、退院後同じマンションの人に「実は」と感染したことを話したが「全然知らなかった」と言われ、差別的な対応もなかった(音声のみ)
- 妹には症状の出始めからLINEで様子を伝えていたが、近所に住む弟夫婦と結婚式を控えた姪にはうつすことを恐れてコロナで動けないということは伝えなかった(音声のみ)