インタビュー時年齢:52 歳 (2021年3月)
感染時期:2021年1月
背景:関西圏在住の男性。介護ヘルパー。1人暮らし。
37.5度の熱が出たので会社の指示で仕事を休み、保健所に連絡して翌日PCR検査を受けた。次の日陽性の結果が判明した時には熱は下がっていた。ホテル療養を勧められたがすぐには空きがなく、3日間自宅療養したのちホテルに移って4泊5日過ごした。自宅に戻って会社から送られてきたPCR検査キットで陰性を確かめて、5日後に職場復帰した。自分が担当していた利用者さんは濃厚接触者になり迷惑をかけてしまったが、誰も発症しなくて本当によかったと思う。
プロフィール詳細
2021年1月初旬、午後から介護ヘルパーの仕事に出かける予定だったが、体温が37.5度あったので、会社から2日間は休むように言われた。自分ではいつもの風邪だろうと思っていたが、保健所に電話をかけて高齢者や障害者などハイリスクの人に接する仕事であることを伝えると、翌日PCR検査を受けるよう指示があり、2日後には陽性の結果が出た。
その時点では熱は下がっていたので、ホテル療養を勧められたが、空きがなかったのでとりあえず自宅で療養することになった。一人暮らしなので食事は冷凍食品などを食べつないで、3日間自宅で過ごし、ようやくホテルに入所できた。ホテルでは4泊5日過ごした。その間はホテルに駐在している看護師が、毎日2回容体確認の電話をかけてきたが、ずっと平熱を保ったままで風邪の症状も治まっていた。ただ、自宅療養中に気づいた何を食べても味が薄い、臭いもしないという症状は、1週間から10日ほど続いた。
発症から10日間の隔離期間が終了した時点で、保健所からは社会復帰してもいいと言われたが、本当に仕事に戻っていいのか不安だった。診断を聞いた時にも、利用者さんを感染させていないか心配で仕方がなかった。保健所からは発症の2日前から仕事を休むまでに介助を担当した利用者が濃厚接触者に当たるといわれたが、当てはまった3人の方々は幸いにも全員PCR検査で陰性の結果が出たのが救いだった。後日、濃厚接触者として2週間の外出禁止になった利用者さんたちに、迷惑をかけたことを詫びたが、責められることもなく、気遣う言葉をいただいた。
職場復帰については会社と相談の上、隔離解除から10日後とし、その前に会社から送られてきたPCR検査キットを使って陰性を確認してから、仕事に戻った。ただ、濃厚接触者になった方々以外で担当していた利用者さんには、不安を与えないために、復帰後も自分がコロナに感染したことは言わないように、と会社からの指示があった。初めは利用者さんに嘘をつくようで嫌だと思ったが、友人から「陽性だったと言われたら、利用者さんも安心して介助が受けられないだろう」と言われ、それもそうだと納得した。
会社は規模の大きい事業所なので、コロナ感染に対するリスク管理もしっかりしていて、利用者に感染者や濃厚接触者が出た場合に防護服を着て介助に入る講習なども受けていた。仕事がら、もともと感染には気を付けていて、年末も会食することなどなかった。感染源として思い当たるのは、喫茶店やスーパーでひどい咳をしている人がそばにいて気になったことくらいだ。職場に復帰してからは、マスクを二重にしたり、アルコール消毒の回数も増やしたりして、より感染に気を付けるようにしている。変異種もあるというので、再びかからない保証はないと保健所からも言われている。日本でも外国のようにもっと積極的にPCR検査をして、早く陽性者を特定して隔離する政策をとるべきだと思う。
その時点では熱は下がっていたので、ホテル療養を勧められたが、空きがなかったのでとりあえず自宅で療養することになった。一人暮らしなので食事は冷凍食品などを食べつないで、3日間自宅で過ごし、ようやくホテルに入所できた。ホテルでは4泊5日過ごした。その間はホテルに駐在している看護師が、毎日2回容体確認の電話をかけてきたが、ずっと平熱を保ったままで風邪の症状も治まっていた。ただ、自宅療養中に気づいた何を食べても味が薄い、臭いもしないという症状は、1週間から10日ほど続いた。
発症から10日間の隔離期間が終了した時点で、保健所からは社会復帰してもいいと言われたが、本当に仕事に戻っていいのか不安だった。診断を聞いた時にも、利用者さんを感染させていないか心配で仕方がなかった。保健所からは発症の2日前から仕事を休むまでに介助を担当した利用者が濃厚接触者に当たるといわれたが、当てはまった3人の方々は幸いにも全員PCR検査で陰性の結果が出たのが救いだった。後日、濃厚接触者として2週間の外出禁止になった利用者さんたちに、迷惑をかけたことを詫びたが、責められることもなく、気遣う言葉をいただいた。
職場復帰については会社と相談の上、隔離解除から10日後とし、その前に会社から送られてきたPCR検査キットを使って陰性を確認してから、仕事に戻った。ただ、濃厚接触者になった方々以外で担当していた利用者さんには、不安を与えないために、復帰後も自分がコロナに感染したことは言わないように、と会社からの指示があった。初めは利用者さんに嘘をつくようで嫌だと思ったが、友人から「陽性だったと言われたら、利用者さんも安心して介助が受けられないだろう」と言われ、それもそうだと納得した。
会社は規模の大きい事業所なので、コロナ感染に対するリスク管理もしっかりしていて、利用者に感染者や濃厚接触者が出た場合に防護服を着て介助に入る講習なども受けていた。仕事がら、もともと感染には気を付けていて、年末も会食することなどなかった。感染源として思い当たるのは、喫茶店やスーパーでひどい咳をしている人がそばにいて気になったことくらいだ。職場に復帰してからは、マスクを二重にしたり、アルコール消毒の回数も増やしたりして、より感染に気を付けるようにしている。変異種もあるというので、再びかからない保証はないと保健所からも言われている。日本でも外国のようにもっと積極的にPCR検査をして、早く陽性者を特定して隔離する政策をとるべきだと思う。
インタビュー09
- 年明けの仕事帰り、熱っぽい感じがしてまっすぐ帰宅した。翌日の午前中もだるく、昼に検温したら37度5分あり、会社と保健所に連絡して翌日検査を受けた(テキストのみ)
- 感染の2か月前から飲みに行ってないので、思い当たる節があるとしたら資格試験の勉強をしていた喫茶店やスーパーでせきしている人がすぐそばに来たことぐらい(テキストのみ)
- 陽性と言われた時はかなりショックだった。自分は絶対大丈夫と思ったが、付き合いの長い利用者さんが感染していたらどうしようというのが重くのしかかった(テキストのみ)
- コロナ感染はかなりの重みのある出来事で人生の教訓にしなければと感じたが、他の人にうつすことなく順調に回復したので、だんだん普通に戻ってしまった(テキストのみ)
- 隔離終了後、翌日から働いていいと言われたが不安だった。会社と相談して休みを伸ばし、民間のPCR検査で陰性を確認してから復帰することになった(テキストのみ)
- 陽性と分かった後、濃厚接触の利用者から連絡をもらった。「気にしないで」「陰性だったよ」と言ってくれたが、迷惑をかけてしまったという思いは強かった(テキストのみ)
- 唯一の家族である兄には陽性になったと伝え、療養中もLINEでやり取りしていた。あとは職場の上司と一番親しい友人に伝えて、それ以外には伏せておいた(テキストのみ)