インタビュー時年齢:26歳 (2021年7月)
感染時期:2020年12月
背景:首都圏在住の女性。罹患時は北海道在住で恋人(現在の夫)と同棲中。
介護関連会社で総務としてコロナ対策に関わっていたが、感染予防に対する上層部の無理解に退職し、罹患時は職業訓練校に通っていた。当時の自治体基準では、布マスクはマスク着用と認められず、会食した友人と級友2人が濃厚接触者となり学校は5日間休校に。ぜんそく持ちのため中等症者向けホテルで療養となった。その後結婚し、翌年7月に首都圏に転居、現在はデザイナーとして働いている。自身の療養体験をSNSで情報発信し、罹患者やその家族からの相談に乗っている。
プロフィール詳細
2020年12月7日、出張中だった交際相手の彼と深夜に電話中、急に具合が悪くなり熱が38度まで上がって、尋常ではないだるさに襲われた。思い返せば昼ぐらいからせきが出ていた。せきぜんそく持ちだったので、それほど気にしていなかったが「もしかしたら…」とスマホで保健所の電話番号を控えた。翌朝起きると熱は下がっていたが、まるで39度あるかのような倦怠感は続いていた。保健所に電話し、8日午後に病院でPCR検査を受け、翌9日に陽性と判断された。体調を崩す3日前に仕事で訪れた飲食店でクラスター発生の報道があったことを療養明けに知った。感染が分かる前に会った何人かが濃厚接触になった。会食した友人と、職業訓練校のクラスメイトだった。学校では授業中、布マスクを着けていたので大丈夫だと思っていたが、自治体の基準では「布マスクはマスク着用とは認められない」ということで、その結果2人が濃厚接触者となり、学校は5日間休校となった。
療養施設に移るまでの3日間、食事の支度も入所準備も一人でしなければならないのは心細かったが、出張中の彼と映像をつないで食事をしたり、母に玄関前に差し入れを置いてもらったり、まわりに支えてもらいながら気合で乗り切った。もし近くに身寄りがいなかったら…と想像し、万が一のために食料や生活必需品の備蓄は大切だと感じた。
11日、送迎車で自宅から30分ほどの療養先のホテルに案内された。せきぜんそくがあったため、中等症者用の施設だった。事前にTwitterを読み漁り、できるだけ快適に過ごせるよう集めた荷物はかなり膨らんで、担いでいくのは大変だったけれど、結果的には療養中不便を感じずに済んだ。ホテルでは映画を流し見したりして過ごしていた。2日ほどで倦怠感は軽くなったが、今度は嗅覚障害が前面に出てきた。自宅にいたときから、たとえば生ごみなど、明らかにあるはずの臭いがわからなくなりつつあった。覚えている臭いを嗅いで進行を遅らせようとしたが、次第に嗅覚がすっかりなくなってしまい、味覚だけではお弁当のおかずが肉か魚かも分からなくなってしまった。検査を受けた病院で、せき止めや解熱鎮痛剤を処方されていたので、せきはそれほどでもなかったが、煙の中で息をしているような息苦しさ(ぜいめい)が滞在7日間はずっと続いていた。肺の状態を確認するためのレントゲンを撮ってもらいたかったが、「隔離中に外来で受け入れてくれる病院はない。退所後にかかりつけ医に行ってほしい」と施設に常駐する看護師から言われた。発症から10日、それ以降は最後の72時間に発熱や重篤な呼吸困難など症状がなければ療養は解除されると言われ、17日には退所となった。
退所したその日のうちにかかりつけの呼吸器内科に電話した。いったんは予約が取れたが、後から電話で受診条件として別の入り口、待合、化粧室を使うことに加え、CT検査を受けるように告げられて困惑した。心情を汲めば、最初の条件は仕方ないとも思えたが、なぜ高額なCT検査を受けないと診てもらえないのか、納得がいかなかった。そのような条件を付けられることについて疑問に思い、法務局に相談してみたが、人権侵害とまでは言えない、病院に丁寧な対応を要請するという判断にとどまった。せめて医療の専門家は最新情報を参照し、人権に配慮した対応をしてほしいと思った。
2か月後、通っていたネイルサロンで、いつもの担当者に「この人なら話しても大丈夫だろう」と罹患したことを軽く伝えると「うちでは施術できないので、帰って」と拒否された。「もう感染力もないのに、どうして?」と尋ねても聞く耳を持ってもらえず、爪が折れない処置だけされた。言わなければよかった、と思った。報道上の罹患者数と、身の周りにいる感染者数にずれを感じるのは、こういう思いをするのを恐れて言わない人がいるからかもと思った。いつ、誰がなってもおかしくないのだから、インフルエンザのようにごく当たり前に配慮が受けられる社会になってほしい。
罹患後、Twitterやnoteで体験談を発信し始めると、フォロワーが2000人を超え、地元誌やTV局に取り上げられるようになった。視聴者の半数以上は好意的だったが「こんなにあっけらかんと話せるわけない、ウソだ」といった言葉を浴びせてくる人もいた。ただ、そんな人にも思い切って直接SNS上で丁寧に伝えると考えを改めてくれたので、当たり前だけれど、相手の気持ちを想像できるコミュニケーションが大切だと思った。
Twitterではこれまで100人以上から個別に相談を受けた。自分もそうだったが、コロナにかかると罪悪感を抱いてしまい、誰にも罹患を打ち明けられない気持ちになる。このTwitterでの個別相談活動を通じて、自分でも欲しかった相談場所を作れたと思う。
感染した事は、当初彼以外に話すつもりはなかったけれど、療養期間が祖父の葬儀と重なってしまったので、親族にも伝えざるを得なくなった。すると葬儀場からオンラインでつないで、親族皆が暖かい声を寄せてくれた。濃厚接触者になってしまった友人からも優しい言葉をもらえたので、コロナに感染したことをオープンにすることにした。いったん「え?」と引かれても、大概は説明すれば理解してくれた。
一方で、コロナは関係を壊す可能性もあると感じた。友人から「せきが出る、コロナかも」と相談され、保健所への連絡と検査を勧めたところ「保健所に電話がつながらないし、旦那が大丈夫っていうから仕事に行く」と返信してきた友人とは、疎遠になった。コロナは人柄や価値観を浮き彫りにするところもあるのだろうな、と思っている。
療養期間が過ぎても1ヶ月くらい体調がすぐれず、いつもなら楽にこなせる台所仕事も休み休みにしかできなかった。フリーランスで融通が利くスケジュールだったことと今は結婚して夫となった彼の理解のおかげで、なんとかしのげた。今は、おおむね回復したけれど嗅覚異常が続いている。無臭症だったのが4月頃に異臭症に変わり、例えばニンニクのにおいが、腐った卵のようなにおいに感じられるようになった。北海道にいるときに嗅覚障害に効くという「Bスポット療法」の存在を知り受け始めていたが、鼻孔から綿棒を突っ込んで薬を塗るのでひどく痛い。上手な施術ほど炎症部にちゃんと届くから痛いと聞いた。中断したら症状が悪化したので、つらいけれど続ける方がいいと思い、近隣で受けられる医療機関を探している。
コロナに関する情報は、いわゆる「専門家のおじさんおばさん」と違って、自分のように「遊んでいそうな若者」が発信することで「若くてもコロナにかかるんだ」「意外と大変なんだ」と、若い人がコロナ感染を身近に感じてくれるのではないかと思い、あえて顔を出して発信していこうと思っている。
療養施設に移るまでの3日間、食事の支度も入所準備も一人でしなければならないのは心細かったが、出張中の彼と映像をつないで食事をしたり、母に玄関前に差し入れを置いてもらったり、まわりに支えてもらいながら気合で乗り切った。もし近くに身寄りがいなかったら…と想像し、万が一のために食料や生活必需品の備蓄は大切だと感じた。
11日、送迎車で自宅から30分ほどの療養先のホテルに案内された。せきぜんそくがあったため、中等症者用の施設だった。事前にTwitterを読み漁り、できるだけ快適に過ごせるよう集めた荷物はかなり膨らんで、担いでいくのは大変だったけれど、結果的には療養中不便を感じずに済んだ。ホテルでは映画を流し見したりして過ごしていた。2日ほどで倦怠感は軽くなったが、今度は嗅覚障害が前面に出てきた。自宅にいたときから、たとえば生ごみなど、明らかにあるはずの臭いがわからなくなりつつあった。覚えている臭いを嗅いで進行を遅らせようとしたが、次第に嗅覚がすっかりなくなってしまい、味覚だけではお弁当のおかずが肉か魚かも分からなくなってしまった。検査を受けた病院で、せき止めや解熱鎮痛剤を処方されていたので、せきはそれほどでもなかったが、煙の中で息をしているような息苦しさ(ぜいめい)が滞在7日間はずっと続いていた。肺の状態を確認するためのレントゲンを撮ってもらいたかったが、「隔離中に外来で受け入れてくれる病院はない。退所後にかかりつけ医に行ってほしい」と施設に常駐する看護師から言われた。発症から10日、それ以降は最後の72時間に発熱や重篤な呼吸困難など症状がなければ療養は解除されると言われ、17日には退所となった。
退所したその日のうちにかかりつけの呼吸器内科に電話した。いったんは予約が取れたが、後から電話で受診条件として別の入り口、待合、化粧室を使うことに加え、CT検査を受けるように告げられて困惑した。心情を汲めば、最初の条件は仕方ないとも思えたが、なぜ高額なCT検査を受けないと診てもらえないのか、納得がいかなかった。そのような条件を付けられることについて疑問に思い、法務局に相談してみたが、人権侵害とまでは言えない、病院に丁寧な対応を要請するという判断にとどまった。せめて医療の専門家は最新情報を参照し、人権に配慮した対応をしてほしいと思った。
2か月後、通っていたネイルサロンで、いつもの担当者に「この人なら話しても大丈夫だろう」と罹患したことを軽く伝えると「うちでは施術できないので、帰って」と拒否された。「もう感染力もないのに、どうして?」と尋ねても聞く耳を持ってもらえず、爪が折れない処置だけされた。言わなければよかった、と思った。報道上の罹患者数と、身の周りにいる感染者数にずれを感じるのは、こういう思いをするのを恐れて言わない人がいるからかもと思った。いつ、誰がなってもおかしくないのだから、インフルエンザのようにごく当たり前に配慮が受けられる社会になってほしい。
罹患後、Twitterやnoteで体験談を発信し始めると、フォロワーが2000人を超え、地元誌やTV局に取り上げられるようになった。視聴者の半数以上は好意的だったが「こんなにあっけらかんと話せるわけない、ウソだ」といった言葉を浴びせてくる人もいた。ただ、そんな人にも思い切って直接SNS上で丁寧に伝えると考えを改めてくれたので、当たり前だけれど、相手の気持ちを想像できるコミュニケーションが大切だと思った。
Twitterではこれまで100人以上から個別に相談を受けた。自分もそうだったが、コロナにかかると罪悪感を抱いてしまい、誰にも罹患を打ち明けられない気持ちになる。このTwitterでの個別相談活動を通じて、自分でも欲しかった相談場所を作れたと思う。
感染した事は、当初彼以外に話すつもりはなかったけれど、療養期間が祖父の葬儀と重なってしまったので、親族にも伝えざるを得なくなった。すると葬儀場からオンラインでつないで、親族皆が暖かい声を寄せてくれた。濃厚接触者になってしまった友人からも優しい言葉をもらえたので、コロナに感染したことをオープンにすることにした。いったん「え?」と引かれても、大概は説明すれば理解してくれた。
一方で、コロナは関係を壊す可能性もあると感じた。友人から「せきが出る、コロナかも」と相談され、保健所への連絡と検査を勧めたところ「保健所に電話がつながらないし、旦那が大丈夫っていうから仕事に行く」と返信してきた友人とは、疎遠になった。コロナは人柄や価値観を浮き彫りにするところもあるのだろうな、と思っている。
療養期間が過ぎても1ヶ月くらい体調がすぐれず、いつもなら楽にこなせる台所仕事も休み休みにしかできなかった。フリーランスで融通が利くスケジュールだったことと今は結婚して夫となった彼の理解のおかげで、なんとかしのげた。今は、おおむね回復したけれど嗅覚異常が続いている。無臭症だったのが4月頃に異臭症に変わり、例えばニンニクのにおいが、腐った卵のようなにおいに感じられるようになった。北海道にいるときに嗅覚障害に効くという「Bスポット療法」の存在を知り受け始めていたが、鼻孔から綿棒を突っ込んで薬を塗るのでひどく痛い。上手な施術ほど炎症部にちゃんと届くから痛いと聞いた。中断したら症状が悪化したので、つらいけれど続ける方がいいと思い、近隣で受けられる医療機関を探している。
コロナに関する情報は、いわゆる「専門家のおじさんおばさん」と違って、自分のように「遊んでいそうな若者」が発信することで「若くてもコロナにかかるんだ」「意外と大変なんだ」と、若い人がコロナ感染を身近に感じてくれるのではないかと思い、あえて顔を出して発信していこうと思っている。
インタビュー14
- 嗅覚障害がなかなか治らず無臭症が良くなってきたころに、異臭症が出た。ハヤシライスを食べた時、ひどいにおいが口と鼻に充満してしばらく残り続けるので本当につらかった
- 嗅覚異常の治療として Bスポット療法を受けていた。とても痛いのは炎症部分に薬を塗っているからだと思う。引っ越ししたので、首都圏でも受けられる病院を探している
- 療養が明けてからも1ヶ月くらい、何となく身体の調子が悪いのが続いていた。いつもやっている調理で1時間の立ち作業やブログの執筆もつらく、休み休みだった
- 発症直後のだるさがぬけると同時に嗅覚異常が出始めた。においを嗅いで進行を遅らせようとしたが、療養先に着く頃には、においがほぼわからなくなっていた
- 発症した夜、8度以上の熱が出た。翌日には6度台に下がったが、だるさと寒気がひどかった。毛布にパジャマ2枚、暖房を最高にしてギリギリしのげるくらいだった
- せきは、せき止めを飲んでいたのでそこまでひどくなかったが、煙の中で息をしているような、息を吸いづらい感覚が療養期間が終わるまでずっと続いていた
- SNSでの発信がメディアに注目され顔を隠してテレビにも出たりした。否定的な反応もあったが、今は顔を出して私みたいな若者でも大変な思いをしたんだと同世代に伝えたい
- 隔離解除後にかかりつけ医にレントゲンの予約を入れると、一般患者とは別の入り口や待合室、手洗いを使うように言われ、併せてCT検査も受けないと診察できないといわれた
- 感染の2か月後にネイルサロンで感染したことを話したら施術を断られた。身の回りに感染者を見かけないのは、こうした差別を恐れて話さない人もいるからだと知ってほしい
- コロナにかかったことに罪悪感があり、家族にも言わないでおくつもりだったが、祖父の葬儀があったので言わざるを得なくなった。参列した親戚からは優しい言葉をもらえた