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診断時:28歳
インタビュー時:50歳(2017年11月)
追加インタビュー時:53歳(2020年8月22日)
中部地方在住の男性。妻と二人暮らし。28歳の時に発症したが、最初の1年くらいは軽症で軽く考えていた。しかし1年後に悪化し3か月入院。その後も入退院を繰り返していたが、40歳のころ瘻孔(ろうこう)で緊急手術となり小腸の3分の1を切除した。次の手術で大腸の大半も切除したが、レミケードを使い始めてからは調子がよくなった。レミケードは4年ほどで効きが悪くなったが、ヒュミラに切り替えてこの5年ほどは寛解状態が続いている。その後もヒュミラを使い続けていてほぼ寛解状態が続いている。
語りの内容
―― でその、クローン病というふうに診断されたときに難病というような言い方はお医者さんはされましたですか。
はい。あの、非常に、ま、当時としては珍しい、あの、患者の少ない病気ということをまず聞きました。で、治療といっても今は完治する手段方法がないので、えー、難病という形で、あの、一生付き合っていかなければならないというような、そういう話を聞きました。
―― で、それを聞いてどういうふうに思われました?
正直、ま、ショックでしたね。あのー、やはり、なぜ自分がこういう病気になっちゃったんだとか、ま、これから先どうなってしまうのだろうとか、ま、最初は不安ばかりよぎりました。でも、その、悩んでても始まらないというですか、その状況に自分を対応させていかなければならないなということを少しずつこう、気が付くようになり。あの、ま、最初は自分なりに、やってたんですけども、ま、これも患者会に出入りすることによって、その、先輩患者であり同じ病気の人たちからいろんな方法、やり方なんかをこう聞くことによって、で、どんどん、どんどん考え方、視野が広がっていきました。
―― その、具体的に例えば、その、言われて励まされた言葉みたいな何かありますか。
そうですね、あの、言葉じゃないんですけれども、私より4つ年が上の、ま、先輩患者がおりまして非常にアクティブな方で、あの、いろんな活動をしている、ま、山にも登りますし、あの、ボランティア活動なんか、他のボランティア活動なんかも一生懸命している。ま、そういう人を間近に見て、え、一緒に行動することによって、あの、やはり、やればできるじゃんみたいなそういう気持ちにはなりました。
インタビュー11
- 自分たちのように何十年も病気と一緒に生きてきた人間が弱っているところを若い人に見せたくないのでまず自分たちが元気を見せていこうと思う
- 患者会では顔を合わせることで生の情報が得られる。自分の患者会は人数も少なく年1回の医療講演会程度の活動だが、個人的に他の患者会と交流を持っている
- 二人の男の子がいるので体調が悪くても家庭サービスには努めていた。キャンプなどにも食事を工夫しながらよく出かけた
- 医療費や病院へ行く交通費などの負担はある。また病気でなかったら仕事でももっとできたかもしれないという思いもあるが、致命的な経済的マイナスというのは感じたことはない
- 発症して10年目にいつもと違う次元の腹痛があり、緊急入院したら腸管から中のものが漏れていると言われて緊急手術となり、小腸の3分の1を切除した。その2年後には大腸の全摘もした
- 最初はレミケードを使っていたがその後ヒュミラに変えて今でも使っている。ヒュミラは自己注射で2週間に1回自分で注射している
- 医師から「今は完治させる手段がなく一生付き合っていかなければならない」と説明を受け、ショックで不安ばかりだったが、先輩患者を見て自分もやれるという気持ちになった
- コロナは恐ろしいと怖がっていてもだめで、感染防止と普通の生活の両立を図らなければならない。それはクローン病の治療と社会生活の両立と同じ