診断時:19歳
インタビュー時:54歳(2018年3月)
九州地方在住の男性。一人暮らし。高校2年の時に痔ろうの手術をし、一旦良くなって復帰したが、19歳の時に大量下血と体重減少で病院に行ったらクローン病と診断された。その後大腸も小腸も半分以上切除したが、病気だからと言ってベッドに逃げ込むのではなく、むしろ普通の人の何倍も努力をしなければいけないという思いで今まで仕事をしてきた。今は老人ホームの園長として働きながら、ライフワークである患者会の活動を精力的に行っている。
プロフィール詳細
19歳でクローン病が発症したのは、高校生のころ競輪選手になるという夢が直前で絶たれたことによる、大きな精神的ショックが直接の原因だと自分では思っている。最初に発症してから3年間くらいは毎年3回くらい入院して、一度入院すると3か月くらい絶食とステロイドそしてIVH(中心静脈栄養療法)(*1)による治療が続いた。その頃は将来像が描けなくて死んでしまおうと思ったり、寛解期には酒浸りになったりと体にはよくないことばかりを繰り返していた。
しかし、22歳の時に大手企業に就職ができて、6年間その職場で正社員として働くことができたのがきっかけで考え方や生き方が変わった。そこでは病気のことを隠して働いていたので、相当無理をして働いたが、どうしても入院せざるを得ない状態に何度かなってしまい、その間4回入院して開腹手術も2回経験している。その会社は成果主義の会社だったので、自分のノルマさえ達成していれば、解雇はされなかったが、入院のたびに管理職から平職に降格されて悔しい思いを何度もした。その後老人ホームに転職し、現在はその園長を務めている。
病気の方は度重なる手術で、小腸も大腸も大半を切除しており、排便のコントロールは難しくなっているが、肌が弱いためにストーマ(人工肛門)にはしていない。また、栄養や水分の吸収も難しいので栄養補助剤も一時使っていたが、今は食事だけで何とか栄養を確保している。そのため間食は頻繁に行い、水分も常に常備してこまめに飲むようにしている。
最近は生物学的製剤(*2)などいい薬がでてきているので、きちんと治療すれば普通の人と同じような日常生活を送れるようになってきた。従って、わざわざ病気をカミングアウトしなくても働けるようになったかもしれないが、できれば病気のことを開示して働く方がいいと思う。
また病気だから働けないという人がいるが、病気だからこそ人の倍も努力しなければいけない。そうすることで周りの人たちが色々な配慮をしてくれるようになる。まして、病気を理由にベッドに逃げ込むようなことはしてはいけない。勿論本当に具合が悪くなったら早めに病院に行って、適切な治療をしてもらうことも大事。そして、寛解の時はしっかり仕事をして、自分の目標や夢に向かって行ってほしい。
*1 IVH:高カロリーの栄養輸液を体内の中心に近い太い静脈から継続的に入れる方法
*2 生物学的製剤:レミケード、ヒュミラなどの抗TNFα製剤
しかし、22歳の時に大手企業に就職ができて、6年間その職場で正社員として働くことができたのがきっかけで考え方や生き方が変わった。そこでは病気のことを隠して働いていたので、相当無理をして働いたが、どうしても入院せざるを得ない状態に何度かなってしまい、その間4回入院して開腹手術も2回経験している。その会社は成果主義の会社だったので、自分のノルマさえ達成していれば、解雇はされなかったが、入院のたびに管理職から平職に降格されて悔しい思いを何度もした。その後老人ホームに転職し、現在はその園長を務めている。
病気の方は度重なる手術で、小腸も大腸も大半を切除しており、排便のコントロールは難しくなっているが、肌が弱いためにストーマ(人工肛門)にはしていない。また、栄養や水分の吸収も難しいので栄養補助剤も一時使っていたが、今は食事だけで何とか栄養を確保している。そのため間食は頻繁に行い、水分も常に常備してこまめに飲むようにしている。
最近は生物学的製剤(*2)などいい薬がでてきているので、きちんと治療すれば普通の人と同じような日常生活を送れるようになってきた。従って、わざわざ病気をカミングアウトしなくても働けるようになったかもしれないが、できれば病気のことを開示して働く方がいいと思う。
また病気だから働けないという人がいるが、病気だからこそ人の倍も努力しなければいけない。そうすることで周りの人たちが色々な配慮をしてくれるようになる。まして、病気を理由にベッドに逃げ込むようなことはしてはいけない。勿論本当に具合が悪くなったら早めに病院に行って、適切な治療をしてもらうことも大事。そして、寛解の時はしっかり仕事をして、自分の目標や夢に向かって行ってほしい。
*1 IVH:高カロリーの栄養輸液を体内の中心に近い太い静脈から継続的に入れる方法
*2 生物学的製剤:レミケード、ヒュミラなどの抗TNFα製剤
インタビュー20
- 「病気だから助けて」ではなくて「病気でも努力してるから助けてくれる」わけであり、甘えることからは卒業しないといけない。また、仕事をする上で自分の限界を把握することも大事
- 病気についての情報がほとんどない中、病気が理由で就労していない人でも、自分の経験をもとに、困っている仲間にアドバイスすることで社会に貢献できると考え、2000年に患者会を立ち上げた
- インターネットに情報が溢れ新薬も開発される中で、患者会の必要性が薄れているようにも見えるが、行政や学校や職業団体にお願いをするためには必要な組織だと思う
- 患者会を立ち上げた時に新聞に取り上げられたが、子どもが学校でいじめられて、家内からも「あなたが患者会なんかするから、家族は惨めな思いをする」といわれた
- 高齢化社会の中でこれからますます医療費が増えることは確実で、その中で難病の医療費助成制度も対象疾患を増やしていくためには軽症者がはずれるのはやむを得ないこと
- 努力をすることで会社に対して貯金ができて、体調を崩した時にその貯金が使える。しかし、長期に休むと平に戻ってしまうのはし方ないと思っていたが、最近はいい薬ができて状況は変わった
- 就職する際に、自信をもって仕事ができるのであれば病気のことは言わなくてもいいが、不安がある人は話しておいた方がいい。ただし、10年間も寛解を維持している人が病気の話をする必要はない
- 腸の長さが普通の人の十分の一しかないところで、必要な栄養分を吸収するっていうことは腸にとってもチャレンジだと思う
- 始めのころは、将来像が描けずにポンコツになってしまったようで、死んでしまおうかと思った。しかし「大変な病気だが一緒に治療していこう」という医師の言葉で治療に前向きになれた