診断時:15歳
インタビュー時:26歳(2018年8月)
追加インタビュー時:28歳(2020年12月3日)
北海道在住の女性。一人暮らし。高校1年の時発症しすぐに診断がついて3か月入院した。大学1年から2年になる春休みに小腸の切除手術を行い、その結果大学時代は寛解が多かったが、卒業して看護師の仕事に就いてから病状が悪化し、2度目の入院の後退職勧告で夜勤のない職場に移ったが、やはり休みが多いということで退職。今は契約社員として働いている。2020年に結婚し北海道内の別の都市に引っ越しし、それに伴い仕事も主治医も変わった。
プロフィール詳細
初めは微熱が続いて病院に行ったらCRP(*1)が15と高かったので色々検査をしたが、その頃は下痢や腹痛という症状がなかったので、なかなか原因がわからなかった。最後に念のためと言って大腸カメラをやったらクローンだとわかった。
診断がついてすぐに入院して、絶食でエレンタール(成分栄養剤)、ステロイド(*2)という治療が始まり3か月で退院したが、高校時代は毎年入院していた。大学1年から2年になる春休みに小腸の狭窄部分を切除するため腹腔鏡(*3)での手術をした。術後は調子が良くなり大学時代は寛解が続いた。
しかし、卒業して看護師になると夜勤などもあり体調を崩して入院。退院後しばらくは夜勤を免除してもらっていたが、夜勤を始めるとまた悪化して入院。2度目の入院で退職勧告を受け、夜勤のない小さな病院に異動したが、そこでも勤務状態は厳しく、何度か続けて休むと、また退職勧告で辞めざるを得なかった。
今は残業のない契約社員として別の仕事をしている。収入は少なくなったが体は楽でプライベートは充実している。
クローン病と診断された時、自分はこれで治療が受けられると思ってほっとしたが、両親、特に母親は難病という言葉を聞いて、絶望してすごく悲しんでいた。父親には「お前はもう働けないから一生俺が養ってやる」などと言われ、自分の思いとは違う言葉を掛けられて、暫くは親子関係が悪くなっていたが、大学に入って一人暮らしをするようになってからは、それまで自分が両親に助けられてきたが、これからは立場が逆転して自分が両親を助けるようになるのだという意識から、父親とも普通に話ができるようになって、今は仲良くしている。
看護師の仕事を選んだことについても、昔から自分でお金を稼いで自立した生活をしたいという思いがあって、周りから看護師はきついからやめた方がいいという声もあったが、むしろ病気を抱えて仕事をするなら医療者の方が周りの理解が得られると思って看護師の道に進んだ。結果的に体が持たなくて辞めることになったが、自分の体験を生かした、患者に寄り添う看護ができていたと思うし、今後チャンスがあればまた挑戦したいとも思っている。
今結婚を考えている相手がいて、できれば将来は子どもも作りたいと考えている。今飲んでいる薬は、新しい指針(*4)でも胎児に影響が出ないとされており、病気だからと言って何かを諦めることなくこれからも色々なことにチャレンジしていきたい。
<追加インタビュー>
前回インタビューの時にはヒュミラ(*5)を使用していたが、効果が減衰してきたのでステラーラ(*6)に替えた。しかし効果が見られず病状が悪化して入院した。その後エンタイビオ(*7)を試したがこれも効果が出る前に病状悪化して再度入院した。結局ヒュミラに戻し、ステロイドとアザニン(*8)を併用して現在は寛解を維持している。
2020年になって結婚し、北海道内の別の都市に引っ越したので、仕事も主治医も変わった。新しい主治医とも、看護師さんの助けもあってうまく意思の疎通ができている。
コロナの影響もあって、まだ結婚式も新婚旅行もできていないが、早くそういうことが普通にできる環境になってほしいと思っている。
*1 CRP:炎症反応を表す血液検査の指標。正常値は0.3以下
*2 ステロイド:副腎皮質ホルモンの1つで体の中の炎症を抑えたり、体の免疫力を抑制したりする作用があり、さまざまな疾患の治療に使われている。副作用も多いため、IBDでは一般的には寛解導入に使われるが寛解維持には使わない。
*3 腹腔鏡:1センチ前後の穴を3-5か所開けて、そこから内視鏡を入れて行う術式
*4 新しい指針:厚労科研(難治性疾患等政策研究事業)「関節リウマチ(RA)や炎症性腸疾患(IBD)罹患女性患者の妊娠、出産を考えた治療指針
https://ra-ibd-sle-pregnancy.org/index.html
*5 ヒュミラ:(一般名:アダリムマブ)生物学的製剤(ヒト型抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤)
*6 ステラーラ:(一般名ウステキヌマブ)生物学的製剤(ヒト型ヒトIL-12/23p40モノクローナル抗体製剤)
*7 エンタイビオ:(一般名:べドリズマブ)α4β7を標的にした生物学的製剤
*8 アザニン:(一般名アザチオプリン)核酸合成を阻害することによる免疫調節薬
診断がついてすぐに入院して、絶食でエレンタール(成分栄養剤)、ステロイド(*2)という治療が始まり3か月で退院したが、高校時代は毎年入院していた。大学1年から2年になる春休みに小腸の狭窄部分を切除するため腹腔鏡(*3)での手術をした。術後は調子が良くなり大学時代は寛解が続いた。
しかし、卒業して看護師になると夜勤などもあり体調を崩して入院。退院後しばらくは夜勤を免除してもらっていたが、夜勤を始めるとまた悪化して入院。2度目の入院で退職勧告を受け、夜勤のない小さな病院に異動したが、そこでも勤務状態は厳しく、何度か続けて休むと、また退職勧告で辞めざるを得なかった。
今は残業のない契約社員として別の仕事をしている。収入は少なくなったが体は楽でプライベートは充実している。
クローン病と診断された時、自分はこれで治療が受けられると思ってほっとしたが、両親、特に母親は難病という言葉を聞いて、絶望してすごく悲しんでいた。父親には「お前はもう働けないから一生俺が養ってやる」などと言われ、自分の思いとは違う言葉を掛けられて、暫くは親子関係が悪くなっていたが、大学に入って一人暮らしをするようになってからは、それまで自分が両親に助けられてきたが、これからは立場が逆転して自分が両親を助けるようになるのだという意識から、父親とも普通に話ができるようになって、今は仲良くしている。
看護師の仕事を選んだことについても、昔から自分でお金を稼いで自立した生活をしたいという思いがあって、周りから看護師はきついからやめた方がいいという声もあったが、むしろ病気を抱えて仕事をするなら医療者の方が周りの理解が得られると思って看護師の道に進んだ。結果的に体が持たなくて辞めることになったが、自分の体験を生かした、患者に寄り添う看護ができていたと思うし、今後チャンスがあればまた挑戦したいとも思っている。
今結婚を考えている相手がいて、できれば将来は子どもも作りたいと考えている。今飲んでいる薬は、新しい指針(*4)でも胎児に影響が出ないとされており、病気だからと言って何かを諦めることなくこれからも色々なことにチャレンジしていきたい。
<追加インタビュー>
前回インタビューの時にはヒュミラ(*5)を使用していたが、効果が減衰してきたのでステラーラ(*6)に替えた。しかし効果が見られず病状が悪化して入院した。その後エンタイビオ(*7)を試したがこれも効果が出る前に病状悪化して再度入院した。結局ヒュミラに戻し、ステロイドとアザニン(*8)を併用して現在は寛解を維持している。
2020年になって結婚し、北海道内の別の都市に引っ越したので、仕事も主治医も変わった。新しい主治医とも、看護師さんの助けもあってうまく意思の疎通ができている。
コロナの影響もあって、まだ結婚式も新婚旅行もできていないが、早くそういうことが普通にできる環境になってほしいと思っている。
*1 CRP:炎症反応を表す血液検査の指標。正常値は0.3以下
*2 ステロイド:副腎皮質ホルモンの1つで体の中の炎症を抑えたり、体の免疫力を抑制したりする作用があり、さまざまな疾患の治療に使われている。副作用も多いため、IBDでは一般的には寛解導入に使われるが寛解維持には使わない。
*3 腹腔鏡:1センチ前後の穴を3-5か所開けて、そこから内視鏡を入れて行う術式
*4 新しい指針:厚労科研(難治性疾患等政策研究事業)「関節リウマチ(RA)や炎症性腸疾患(IBD)罹患女性患者の妊娠、出産を考えた治療指針
https://ra-ibd-sle-pregnancy.org/index.html
*5 ヒュミラ:(一般名:アダリムマブ)生物学的製剤(ヒト型抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤)
*6 ステラーラ:(一般名ウステキヌマブ)生物学的製剤(ヒト型ヒトIL-12/23p40モノクローナル抗体製剤)
*7 エンタイビオ:(一般名:べドリズマブ)α4β7を標的にした生物学的製剤
*8 アザニン:(一般名アザチオプリン)核酸合成を阻害することによる免疫調節薬
インタビュー29
- 病気になったことで諦めなきゃいけないこともあるかもしれないけれど、道は一つではないので、遠回りしてもやりたいと思っていることは、いつかはできると思うので諦めないでほしい
- 検査の説明をするときなどは、より具体的に説明することができることもある。また仕事をしている患者さんで辞めようかと悩んでいたりする人には相談に乗ってあげることもできる
- 今同病の人と繋がっているのは主にTwitterで、お互いつぶやきが見れるようになっているのは40人くらいいる。また、オフ会もあるのでそこで同病の人を紹介してもらうこともある
- 患者会に入ると何らかの役割を与えられてしまうのは面倒という思いもあって入るのを躊躇している。SNSで得られる情報は確実ではない場合もあるので、鵜呑みにはできない
- 両親は難病という言葉を聞いて絶望感を抱いた。母親からは「そんな体に産んでごめんね」と言われたが、慰められるっていうよりもすごく傷ついた記憶がある
- 父には「働くのは無理だから一生養ってやる」といわれ、親との間に確執が生まれたが、一人暮らしをするようになってから何となく軟化してきた
- 看護師の仕事は体力的に続けられなかったので、無理の少ない臨時職員として保健師に転職した。今の仕事は定時で終わるので収入は減ってしまったが、体力的には楽である
- 高校は入学して1か月で入院してしまったが、学級委員長の子が気にかけてくれて、その子のグループに入ることができ、病気のことも色々聞いてくれたので話しやすかった
- 診断がついたのが高校1年の5月で、夏まで入院していたので「不登校」じゃないかといううわさまで出た。その後も毎年入院して、点滴の針を刺したまま学校に行ったこともあった
- 将来子どもはほしいと思っているので、今飲んでいる薬を飲みながら妊娠しても大丈夫かと心配していたが、最近薬を継続しても大丈夫だという指針(注)が出たようなので少し安心している
- コロナで精神的に追い詰められて自殺者が増えている。IBDの患者も感染への不安を抱え陰鬱として過ごしている方もいると思うので、そういう人への支援が必要だと思う
- ヒュミラの効きが悪くなったので、ステラーラとエンタイビオを試したが効果が出るまで待てずに、今はまたヒュミラと免疫調整剤のアザニンとステロイドというフルバージョンでやっている