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診断時:14歳
インタビュー時:24歳(2017年12月)
追加インタビュー時:27歳(2020年8月31日)
九州地方在住の男性。両親と三人暮らし。中学1年の頃から腹痛と下痢が続き、中学2年の時にクローン病の診断が出た。高校時代はずっと腹痛に悩まされていた。大学生になると腹痛は治まったが時々下血をするようになり、就職の面接の時にも2年続けて大量下血で入院してしまい、現在まで定職についていない。最近はレミケードにアザニンも併用しているが、それでも時々下血があるので手術も検討している。その後同じ場所に炎症を繰り返したため、2018年10月に小腸の半分くらいを切除した。薬はレミケードからステラーラに変え、現在はヒュミラを使用している。
語りの内容
――コロナとの関連で、通院ができなくなったりとか、診察の回数が減ったりとか、そういう何か影響っていうのはありましたですか。
そうですね。僕が行ってる病院自体が、何か、一応、コロナの受け入れ地になってて、まあそれを聞いたときに、「おお」と思ったんですね。じゃあ、ちょっと怖いなっていうのが、正直な感想があって、でも、もう、そこの先生をやっぱり信頼、そのクローン病を診てくれる先生としてはやっぱ信頼してますし、やっぱそこの先生じゃないと嫌だなっていう気持ちがあったんで、まあその病院にかかって入院もしたんですけど、その、やっぱり入院の病棟も、何て言うんですかね、エレベーターで上がっていって、まあその病棟に入るんですけど、そのエレベーターから病棟に入るときに、やっぱり自動ドアみたいなのがしてあって、普段はそこも、いつでも開いてるみたいな感じなんですよね。消灯の時間までは出入りできますよみたいな、誰でも出入りできますよみたいな状態なんですけど、普通は。
でも、やっぱコロナの期間なんで、もうずっと鍵が閉まってて、もう入院患者さんも外に出れないし、お見舞いの人も全く入ってこれないっていうような形を取ってあって、もう何かほんとにコロナに対して徹底、徹底してある病院だったんで逆に安心できるなとは思いました、入院中に、はい。
――あと、コロナのために、その、通院回数を減らしたりとか、何かリモート診断になったりとか、そういうことはなかったですか。
あ、それはなかったですね。(2020年8月追加インタビュー)
インタビュー15
- レミケードを打っていても突然に下血することがある。前兆としては胃もたれとか胸やけのような状態に近いものがあるが、それも当日にでるので本当に困る
- 大学2年の時に痔ろうの手術をして膿を出したが、いまでも少しずつ膿がでるような穴が開いている
- 今までの友達には病気のことを全部話してきたので特に問題ないし、これからも病気のことを理解してくれない人とはかかわらないつもりだ
- 中高大と学年が上がるごとに母が学校の先生に話して配慮してもらっていたので、自分も友達に病気のことは隠さず話していた。友達に恵まれていて本当にいい学生生活だった
- 保健室の先生には痔ろうの状態を診てもらったり、保健室で(ガーゼの)付け替えもやらせてもらっていた。学校ではこれ以上の手助けはないというくらいだった
- 中学の時は体育祭も参加したが、高校の時は全部見学だった。また、修学旅行の時は事前に旅館に電話して特別食を用意してもらっていた
- 小学校まで食べることが大好きなこどもだったので、食べられなくなったことが本当にショックだった。病気になってからは食べられるものを探して色々試した
- レミケードは最初良く効いたが、効きが悪くなってきたので免疫調整剤のアザニンを合わせて使うようになった。又最近はレミケードを4週間置きにやっているので調子がいい
- レミケードの効果が減衰してきたとき、血球除去療法を2年間くらいやったが、効果はあったんじゃないかと思う。また貧血があったのでフェジンという鉄分を補給する薬も飲んでいた
- 免疫抑制剤を使っているとコロナになったら一瞬で悪化するのではないかという怖さがある。一方かかりにくいという話もあり、いろいろな説があってよくわからない
- 通っている病院がコロナの受け入れ先になったのを聞いてちょっと不安があったが、その病院の担当医を信頼していたし、対策は徹底されていたので、そこに入院することにした
- コロナ禍の中での入院生活は、院内のコンビニにも行けず、必要な品が手に入らない不便さもあったが、やはり両親にも見舞いに来てもらえず、本当に隔離されている感じで淋しかった
- 高校生のころヒュミラを勧められたが自己注射がいやでレミケードにしたことがあったが、最近は注射器の形も性能もよくなったみたいで今は抵抗がない