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診断時:19歳
インタビュー時:54歳(2018年3月)
九州地方在住の男性。一人暮らし。高校2年の時に痔ろうの手術をし、一旦良くなって復帰したが、19歳の時に大量下血と体重減少で病院に行ったらクローン病と診断された。その後大腸も小腸も半分以上切除したが、病気だからと言ってベッドに逃げ込むのではなく、むしろ普通の人の何倍も努力をしなければいけないという思いで今まで仕事をしてきた。今は老人ホームの園長として働きながら、ライフワークである患者会の活動を精力的に行っている。
語りの内容
患者会を立てようと言ったのは西暦2000年なんですね。自分もそこそこ会社の中でも立場ができてきて、まあ、ちょっとした作業は部下がいたので任せられるし、こう自分の中でもスキルがそこそこできてきた。まあ、保健所とのお付き合いがあったり、えー、福祉課の人とのお付き合いがあったり、ま、なんだろ、横のネットワークがそれなりに持っていたので、だから当時その、入院仲間ですね、IBD患者たくさん入院してましたので、当時20~30人に声をかけたら、合計私を含めて20人の方が病歴10年以上の人たちですね、賛同してくれて。で、患者会を作ろうと。で、自分たちはね中には就労してない人もいたし、もう入退院繰り返ししすぎて、オペをしすぎてね障害者手帳持ってる人もいたし。でも自分はポンコツではない。あの、社会に貢献できる一人になりたい。今発症した人たちがね、困ってる時に助言、アドバイスができたらね、自分は本望だと。みんながね共感してくれたので。
それを目標に患者会を作ったっていうのがね、ま本当のところなんですね。だから、家族にも相談はしましたけど、みんな仲間がいたからやれたっていうところですね。はい。
―― えー、この17年、18年間くらいでこうなんか変わってきたみたいなことってありますが、患者会のありかたっていうか。
ずーと以前っていうのはその、えー、病気に対する情報がほとんどない。薬もないっていう中で最新治療って名がつけばね、大量の患者さんたちが勉強会に来てたんですよ。もう入りきれないくらい会場に。だからその、本当にこう、もう、ちょっとしたことにもすがりつきたいっていう、その欲望っていうんですかね、があったと思うんですね。
ただ、インターネットがこう台頭してきて、だれでもその重要な情報を手にできる。今では製薬会社も同じようなホームページをたくさん作ってて、いつでもチョイスできる。最新治療だって覗ける。かえって逆に言えば個人で作られたブログがね、あの極端な例も多くて、えー、患者さんたちが迷ってしまうところもある。なんかそういうのも何かこうなんだろ環境がねすごく変わったな。
で、その、…一番僕は驚いたのはやはり、薬のこう、…向上ですね。薬がこうどんどんどんどん開発されてきた。だって、オペするしかなかった、最終手段がオペするしかなかった人達が、オペしなくなった。オペしなくてよくなった。しかも入院しなくてよくなってきた。っていうのはですね、患者にとって一般就労でいいし、カミングアウトする必要もないし、なんだろ、日常気をつけてさえいればね、普通の人なんですよね。だからそれで、しかも、最新情報がネットで得られるんであれば、まあ患者会いらないのかなって思うくらいですね。
インタビュー20
- 「病気だから助けて」ではなくて「病気でも努力してるから助けてくれる」わけであり、甘えることからは卒業しないといけない。また、仕事をする上で自分の限界を把握することも大事
- 病気についての情報がほとんどない中、病気が理由で就労していない人でも、自分の経験をもとに、困っている仲間にアドバイスすることで社会に貢献できると考え、2000年に患者会を立ち上げた
- インターネットに情報が溢れ新薬も開発される中で、患者会の必要性が薄れているようにも見えるが、行政や学校や職業団体にお願いをするためには必要な組織だと思う
- 患者会を立ち上げた時に新聞に取り上げられたが、子どもが学校でいじめられて、家内からも「あなたが患者会なんかするから、家族は惨めな思いをする」といわれた
- 高齢化社会の中でこれからますます医療費が増えることは確実で、その中で難病の医療費助成制度も対象疾患を増やしていくためには軽症者がはずれるのはやむを得ないこと
- 努力をすることで会社に対して貯金ができて、体調を崩した時にその貯金が使える。しかし、長期に休むと平に戻ってしまうのはし方ないと思っていたが、最近はいい薬ができて状況は変わった
- 就職する際に、自信をもって仕事ができるのであれば病気のことは言わなくてもいいが、不安がある人は話しておいた方がいい。ただし、10年間も寛解を維持している人が病気の話をする必要はない
- 腸の長さが普通の人の十分の一しかないところで、必要な栄養分を吸収するっていうことは腸にとってもチャレンジだと思う
- 始めのころは、将来像が描けずにポンコツになってしまったようで、死んでしまおうかと思った。しかし「大変な病気だが一緒に治療していこう」という医師の言葉で治療に前向きになれた