※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
診断時:15歳
インタビュー時:26歳(2018年8月)
追加インタビュー時:28歳(2020年12月3日)
北海道在住の女性。一人暮らし。高校1年の時発症しすぐに診断がついて3か月入院した。大学1年から2年になる春休みに小腸の切除手術を行い、その結果大学時代は寛解が多かったが、卒業して看護師の仕事に就いてから病状が悪化し、2度目の入院の後退職勧告で夜勤のない職場に移ったが、やはり休みが多いということで退職。今は契約社員として働いている。2020年に結婚し北海道内の別の都市に引っ越しし、それに伴い仕事も主治医も変わった。
語りの内容
父親に「もう、おまえは働くのは無理だと思うから、一生俺が養ってやる」と言われて、それもちょっとその確執の原因の一つではあるんですけれど(笑)。そう言われたのが、に対してすごく何で諦めるんだよみたいな気持ちがあったので、それがずっと心に残っていて自分でそのお金を稼ぐ仕事を続けながら自立した生活を続けるっていうところにすごく私はこだわっていて。
―― その、(ご両親との)確執が溶けてきたっていうのは何かきっかけがあるんですか。
やっぱり親元を離れて自分で、その独り暮らしを始めて…、自分でコントロールできるってなったときに手を離れられた解放感…、もあって、ちょっと何か、何でしょうね、自分の気持ちが落ち着いたっていうか。
離れてみると…、何でしょう、他の人もそうかもしれないんですけど、独り暮らしして離れてみると、両親のその親として支援してくれていたのが客観的に見えたのもあるし…、何かすごく久しぶりに会ったら、あ、年取ったみたいなのも(笑)、両親に対して感じて…。
何か守ってもらってたものが守らなきゃいけなくなったっていうか、何かちょっと立場が変わったかなっていうのを感じて。何かあんまりその…、自分が話さないとか、ずっとけんか腰じゃないですけど、でいるような感じにしててもこの先何も生まないなって思ったので普通、普通にっていうか。最初の頃はやっぱり話すことにすごく抵抗があったりだとかもしましたけれど、何となく軟化していきました(笑)。
インタビュー29
- 病気になったことで諦めなきゃいけないこともあるかもしれないけれど、道は一つではないので、遠回りしてもやりたいと思っていることは、いつかはできると思うので諦めないでほしい
- 検査の説明をするときなどは、より具体的に説明することができることもある。また仕事をしている患者さんで辞めようかと悩んでいたりする人には相談に乗ってあげることもできる
- 今同病の人と繋がっているのは主にTwitterで、お互いつぶやきが見れるようになっているのは40人くらいいる。また、オフ会もあるのでそこで同病の人を紹介してもらうこともある
- 患者会に入ると何らかの役割を与えられてしまうのは面倒という思いもあって入るのを躊躇している。SNSで得られる情報は確実ではない場合もあるので、鵜呑みにはできない
- 両親は難病という言葉を聞いて絶望感を抱いた。母親からは「そんな体に産んでごめんね」と言われたが、慰められるっていうよりもすごく傷ついた記憶がある
- 父には「働くのは無理だから一生養ってやる」といわれ、親との間に確執が生まれたが、一人暮らしをするようになってから何となく軟化してきた
- 看護師の仕事は体力的に続けられなかったので、無理の少ない臨時職員として保健師に転職した。今の仕事は定時で終わるので収入は減ってしまったが、体力的には楽である
- 高校は入学して1か月で入院してしまったが、学級委員長の子が気にかけてくれて、その子のグループに入ることができ、病気のことも色々聞いてくれたので話しやすかった
- 診断がついたのが高校1年の5月で、夏まで入院していたので「不登校」じゃないかといううわさまで出た。その後も毎年入院して、点滴の針を刺したまま学校に行ったこともあった
- 将来子どもはほしいと思っているので、今飲んでいる薬を飲みながら妊娠しても大丈夫かと心配していたが、最近薬を継続しても大丈夫だという指針(注)が出たようなので少し安心している
- コロナで精神的に追い詰められて自殺者が増えている。IBDの患者も感染への不安を抱え陰鬱として過ごしている方もいると思うので、そういう人への支援が必要だと思う
- ヒュミラの効きが悪くなったので、ステラーラとエンタイビオを試したが効果が出るまで待てずに、今はまたヒュミラと免疫調整剤のアザニンとステロイドというフルバージョンでやっている