※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
診断時:14歳
インタビュー時:24歳(2017年12月)
追加インタビュー時:27歳(2020年8月31日)
九州地方在住の男性。両親と三人暮らし。中学1年の頃から腹痛と下痢が続き、中学2年の時にクローン病の診断が出た。高校時代はずっと腹痛に悩まされていた。大学生になると腹痛は治まったが時々下血をするようになり、就職の面接の時にも2年続けて大量下血で入院してしまい、現在まで定職についていない。最近はレミケードにアザニンも併用しているが、それでも時々下血があるので手術も検討している。その後同じ場所に炎症を繰り返したため、2018年10月に小腸の半分くらいを切除した。薬はレミケードからステラーラに変え、現在はヒュミラを使用している。
語りの内容
―― 中学生のころに、ま、調子が悪くなったということなんですけれども、その、学校の先生とか友達には何かこう話しをしました?自分の病気のことで。
あ、それは勿論しました。あのー、…実は伯母も同じ病気で、やっぱ母がその身近で見てきてるから、親身に、余計親身になってくれて、こういうのはすぐ先生とかに言ったほうがいいだろうということで学校の先生にも、もう母と一緒に行きましたし、その、毎学年、あの、中高大と言いに行きましたし、もう、僕も別に病気とか別に隠す気もないというか、隠さないほうが円滑に友達関係も進むから、もう、言ってましたね。
―― そうするとその学校で何かその、特別に配慮してもらったりとかっていうこともあったんですか。
ああ、ありました、それは勿論。例えばトイレの近い教室だったりとか廊下側の席だったりとかもありましたし、あのー、保健室では寝かせてもらえる時間も勿論他の生徒に比べて多かったし、あのー、栄養剤をさっき、先ほど言ったラコールとかエレンタールとか飲んでたので、それも置かせてもらったり、保健室の冷蔵庫を使わせてもらったりとか、あとまあ、そうですね、もう、自分が何も言わずにトイレに立っても何も言われないみたいなのもありましたね。
―― そういう意味ではそうですね、すごく楽だったでしょうね。お友達はどうでした?お友達にもその自分の病気のことは話しされました?
それは勿論そうですね。もう、みんないい、俺は本当運がいいというか巡り合わせがいい感じで、まあ、本当になにも邪険に扱う友達とかもいなかったので、本当にいい学生生活だったなと思います。
インタビュー15
- レミケードを打っていても突然に下血することがある。前兆としては胃もたれとか胸やけのような状態に近いものがあるが、それも当日にでるので本当に困る
- 大学2年の時に痔ろうの手術をして膿を出したが、いまでも少しずつ膿がでるような穴が開いている
- 今までの友達には病気のことを全部話してきたので特に問題ないし、これからも病気のことを理解してくれない人とはかかわらないつもりだ
- 中高大と学年が上がるごとに母が学校の先生に話して配慮してもらっていたので、自分も友達に病気のことは隠さず話していた。友達に恵まれていて本当にいい学生生活だった
- 保健室の先生には痔ろうの状態を診てもらったり、保健室で(ガーゼの)付け替えもやらせてもらっていた。学校ではこれ以上の手助けはないというくらいだった
- 中学の時は体育祭も参加したが、高校の時は全部見学だった。また、修学旅行の時は事前に旅館に電話して特別食を用意してもらっていた
- 小学校まで食べることが大好きなこどもだったので、食べられなくなったことが本当にショックだった。病気になってからは食べられるものを探して色々試した
- レミケードは最初良く効いたが、効きが悪くなってきたので免疫調整剤のアザニンを合わせて使うようになった。又最近はレミケードを4週間置きにやっているので調子がいい
- レミケードの効果が減衰してきたとき、血球除去療法を2年間くらいやったが、効果はあったんじゃないかと思う。また貧血があったのでフェジンという鉄分を補給する薬も飲んでいた
- 免疫抑制剤を使っているとコロナになったら一瞬で悪化するのではないかという怖さがある。一方かかりにくいという話もあり、いろいろな説があってよくわからない
- 通っている病院がコロナの受け入れ先になったのを聞いてちょっと不安があったが、その病院の担当医を信頼していたし、対策は徹底されていたので、そこに入院することにした
- コロナ禍の中での入院生活は、院内のコンビニにも行けず、必要な品が手に入らない不便さもあったが、やはり両親にも見舞いに来てもらえず、本当に隔離されている感じで淋しかった
- 高校生のころヒュミラを勧められたが自己注射がいやでレミケードにしたことがあったが、最近は注射器の形も性能もよくなったみたいで今は抵抗がない