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診断時:15歳
インタビュー時:40歳(2017年8月)
関東地方在住の女性。一人暮らし。中学3年で確定診断が出てから、30歳までステロイドによる治療を続けていた。その間ムーンフェイスなど、ステロイドによる副作用に苦しめられたが、10年前にステロイドを止めてレミケードを使い始めてから劇的に良くなった。入院は7回したが、手術の経験はない。最初の会社では通院などで配慮はしてくれたが、それでもキャリアアップは難しいと思ったので大学教員に転職した。
語りの内容
まあ産めないわけではないと、あの、お医者さんからは言われていますけれども、それも個々の患者さんによって相当違うので私の場合はちょっと、私の主治医の先生はうーん、まあ、リスキーではあるよねっていうような、年もその頃そんなに20代とかではなかったので。そういうこともあるし。あとはまあ、飲んでいる薬も免疫系の薬なので、子どもへの影響がちょっとわからないということは前からいわれていたので、あまりこう若い頃から、あまり子どもをもつ家庭というイメージが自分のなかにそもそも期待していなかったのかもしれないですけど、あまりなくて、なので別にそのことですごく落ち込んだりはしてないんですけど、そういうものかと思ってたんですけれど。そういう相手にすごく求められると逃げたくなると。(笑)そういうことはありましたね。自分の病歴(注:病気のこと)を勝手に調べられるのはちょっといやだったかなって思います。
ま、できれば授かればと勿論思ったことはありましたけれども、結構その時点でもう30超えてましたし、あとはやはり仕事がやっぱりあの、大事な時期だったので、そこで普通の健康な人のように仕事との両立っていうのは多分無理だろうと。(本人注:最初の主治医の先生に大学時代から「仕事と育児の両立は期待しないように」といつも言われ続けてもいた)場合によっては入院して管理しなければならなくなると思うので、そうなると多分全部キャリアがなくなってしまうだろうと思ったので、そこでかなり悩みましたけど、やっぱり今は折角仕事がうまくいきそうな時期なので、そこは、自分はそっちを取るべきではないかと思って。まあ、それが正しかったのかはよくわからないですけども…子どもよりは仕事の方が自分である程度コントロールできる。頑張ればある程度結果が出る。子どもってやっぱり、別にクローン病の方に限らず、私は基本的に授かり物だと思っていますから、そこはやっぱり、そこに賭けるのは、うーん決心がつかなかったですね。
…やっぱりまあ、ただ結婚してあの二人の生活っていうだけであれば、特に、特段大変っていうことは思わないと思うんですけども、やっぱり、あの、出産と育児っていうことが入ってくると、うーん、そうですね、・・ま、体力的な面で、うーんと、どうしても普通の人よりは、ないかなっていう風に思うので、ま、例えばすぐに疲れるとか、それから、うーんと、やっぱりその免疫系の薬であるとか、あとレミケードみたいなものを打っているので、どうしても感染し易かったりするので、そういう意味でも何かしょっちゅう何かに感染したり、何か風邪ひいたりとか、何かそういうことをするので、そんな状態なので、それで、えーと、ね、子どもを育てるっていうのはなかなか大変だろうなっていう風に思いましたね。
インタビュー01
- 中学3年の夏に腹痛や下痢、体重減少が始まった。数か月後には毎日40度の熱が出るようになり、近医から都内の大きな病院を紹介され、クローン病の診断がついた(音声のみ)
- 地図状舌といって、ベロに地図状のクレーターみたいなものがたくさんできたが、レミケードを使ったとたん消えた(音声のみ)
- 病気になって自分の理想が叶わなくなり、いつの頃からか「病気が嫌い」から「自分が嫌い」に変わってしまった。病気と自分が切り離せなくなってしまったのかもしれない(音声のみ)
- 教科書に載っていない症状を訴えるとすぐにメンタルの問題にする先生がいて、それが嫌で、言えなくなり、先生の期待するような症状を言うように気を使っていた(音声のみ)
- 最初の主治医が病気のことばかり気にするのは良くないと患者会を勧めなかったので、あまり関わらずに来たが、今後機会があれば若い人の役に立ちたいと思っている(音声のみ)
- 結婚を考えるお付き合いをしたこともあるが、相手が子供を望んだり、その親が病歴を調べたりすることがあって、話が進まなかった(音声のみ)
- もともと裕福な家庭ではなかったし、がつがつ稼ぐような仕事は体力的にできないので、今は生活できているが将来の不安はある(音声のみ)
- 一般企業の場合有給を取らないと病院にも行けないし、それが評価にも影響するので、もう少し裁量度合いの高い自由な形で働きたかったのと、元々研究職に興味があったので、転職した(音声のみ)
- 中学時代は病名もわからなかったので、症状があっても我慢して友達にも先生にも言えなかったが、高校に入って病名が分かり、先生に病気のことを伝えられて気持ちが楽になった(音声のみ)
- 病気を抱えて結婚して子どもを産むとなると、仕事を続けるのは難しいだろうと思い、今は仕事を取るべきと考えた(音声のみ)
- 二十歳になって難病だということを聞かされたが、「難病患者」というイメージと自分の間に乖離があった。体調はすごく悪いけれど自分が難病患者であるという実感はなかった(音声のみ)
- 中3のときに診断がついたが、医師から詳しく知らされておらず、診断と自分の状態が結びついていなかった。ただ目の前の受験や学校生活をどうやって乗り切っていくかを危惧していた(音声のみ)