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診断時:20歳
インタビュー時:55歳(2017年12月)
追加インタビュー時58歳(2020年8月21日)
関西地方在住の男性。妻と子ども一人。高校の修学旅行の最中に激しい腹痛と高熱を出して発症したが、なかなか診断がつかなかった。やっと診断がついても病気を受け入れることができずに、きちんとした治療をしないで過ごしていた。しかし東京の病院でエレンタールを教わり、それからきちんとした治療を始めた。手術も3回やりストーマも造ったが、今では子どもにも恵まれ、仕事も順調で前向きに病気と向き合って生活している。2019年に原因不明の高熱が続いて脳に腫瘍ができていることがわかった。クローン病と同じ自己免疫疾患らしく、薬物療法によって何とか症状が落ち着いたが、その薬のおかげかクローン病の方も症状が治まっている。
語りの内容
―― 最初ストーマに、まあ、当然かもしれないけど抵抗があって、で、その、お母さまが、に対して、なんかお母さまがいるときにストーマをするのは、っていうお話がちらっと出たんですけど、それはどういう意味なんでしょうか。
そうですね、やっぱり、僕は母親に対してはもう看病から何からすごい世話になったので、もしかして、もちろん母とはストーマの話はなんにもしてませんけれども、で、ストーマになったら、まあ、やっぱりそんなんなったら悲しむんちゃうかなと思う気持ちと。まあ、あと自分がやっぱりストーマはしたくないという一つの心の言い訳にもなって、両方で、ま、母親のいるうちは、まあちょっと、母がたまたま、あのー、だいぶ体調ちょっと下がりかけのときに肺がんになりまして、で、なんやかんやで、ま、1年足らずでですね、ぱっとなくなってしまったので。
ま、そのころちょうどストーマにどうしようかな思うけど、まあ、母親の看病もせないかんし、もうそのとき父親も亡くなって1人っ子ですので。で、まあなんか、母親の看病しながらすぐ横のトイレでも何回もこう往復しながら、まあ、生きてる間はまだええかなっていうようなところで、あの。
ほんとは、あの、医学的にはまだセーフやけども日常生活が大変つらいという中で、の、はざまにいたのでほんとに、その、グレーゾーンみたいな形なんがずっと続いている一つの、しないほうの言い訳に母親を使ってるっていうのか、まあ、一つの理由にしてるっていうのはありました。
インタビュー16
- 新興宗教や民間療法に頼り、治すことだけにとらわれていたときはつらかった。結局1人ではどうにもできず、病気に向き合っている人の話を聞いて、初めて受け入れることができた
- 最近はインターネットで情報がとれるので患者会の会員数は減っている。しかし交流会にはたくさん集まるので、やはりネットではわからない生の声を聞きたいという人は多いのだと思う
- サラリーマンになっても飛ばされたら終わりだとの思いがあって、また鑑定士の仕事にも興味があったし、不動産関係では最も上の資格だったので不動産鑑定士の資格を取った
- サラゾピリンを飲んでいた時に精子を測ったら少ないことがわかったので、それからペンタサにきりかえたら精子の数も戻っていて子どもを作ることができた
- 肛門の手術のあとしばらくは勃起不全があったが、数か月で次第に回復した。ストーマが性生活に影響あるかと聞かれれば、確かに最初は気になったが慣れてしまえば問題なかった
- 絶対にストーマにしなくてはならない状況ではないものの、QOLを考えるとしたほうがいい状況で、ストーマにしたら母親が悲しむかもしれないということを言い訳に先送りしていた
- 3回目の手術は小腸を少しと大腸の5分の4を切除して同時にストーマを造った。また、麻酔があまり効かなくて術後も3日くらいは痛くて眠れなかった
- ステロイドに関してはパルス療法といって一度に大量のステロイドを投入することもやったが、副作用はそれほどひどいものは出なかった
- 初期のころはまだ重症ではなかったせいか、難病と言われたら自分はそれに立ち向かうヒーローになったように感じた。数年かかって病名がついて戦う相手がようやくわかった
- 肺や血液の病気ではないので、かかりやすさは変わらないが、かかった時は防御壁(免疫力)が弱いので注意しないといけない。しかしこれも諸説あるので、正しい恐れ方をしないといけない
- クローン病を体験したことによってコロナの問題も客観的に見ることができていると思う。コロナ対策でも100%を目指すのではなく、自分で対処できる事とできないことを見極めることが大事