診断時:15歳
インタビュー時:40歳(2017年8月)
関東地方在住の女性。一人暮らし。中学3年で確定診断が出てから、30歳までステロイドによる治療を続けていた。その間ムーンフェイスなど、ステロイドによる副作用に苦しめられたが、10年前にステロイドを止めてレミケードを使い始めてから劇的に良くなった。入院は7回したが、手術の経験はない。最初の会社では通院などで配慮はしてくれたが、それでもキャリアアップは難しいと思ったので大学教員に転職した。
プロフィール詳細
中学2年の時に全身に蕁麻疹が出来たり、胃の調子が悪くなったりといった異変を感じて病院に行ったが、田舎の病院だったので診断がつかず、「受験のストレスでしょう」と片付けられてしまった。さらに中学3年の11月頃になると夕方に高熱がでるようになり、食事も喉を通らなくなり、体重もどんどん減ってしまった。さすがにこれはおかしいということで東京の大きな病院で診察を受けたところ、最初は膠原病を疑われたが、入院検査の結果クローン病と診断が下りた。しかし当時はまだ中学生だったので、主治医は私が二十歳になるまで、難病であるということは極力言わないようにしていたので、クローン病についてよくわかっていなかった。
ステロイド(*1)による治療のおかげで高校入学前に退院して、高校時代は入院することなく過ごせた。大学時代は2~3回入院したがなんとか卒業して、一般の会社の事務職として就職した。その後、思う所があって会社を辞めて勉強し直し、現在は大学の教員をしている。
その転職をした頃、今から10年ほど前の30歳の頃に新しい薬、レミケード(*2)が出て、これを試したら劇的に効いて現在まで使い続けている。お陰で時々調子が悪くなることはあるが手術をしたり入院したりするほど悪化せずに来ている。最近少しレミケードの効きが悪くなったような気もするが、あまり先のことは考えないようにしている。
高校大学時代はずっとステロイドを使っていたので、その副作用に悩まされていた。ムーンフェイスだとか、毛深くなるであるとか、ニキビだとか、ステロイドの典型的な副作用で、見た目が全く変わってしまって、中学の時の友達に「えっ誰?」とか「太ったね」とかいわれるのが、思春期の女子としてはとても辛かった。結婚も考えたことはあるが、相手から強く子どもを望まれたことや、子どものリスクが心配で躊躇してしまった。
就職活動では病気のことを隠さずに活動していたので、なかなか決まらなかったが、最初に勤めた会社には病気のことをある程度説明して採用されたので、通院するときなどにも理解を示してくれた。それでも自分の楽しみのために有給休暇を使ったことは一度もなく、残業をしないために時間中は必死で働いた。そしてそれなりに成果を出しても、なんとなく人と違う劣等感みたいなものにずっと苛まれていた。自分のなかで病気がなければそれなりに上にも行きたいし、もっとバリバリやりたいという思いもあったが、自分の夢や気持ちと自分の実際の体の状態が常にバラバラであることが、なかなかうまく受け入れられなかった。
しかし、今はいい薬も出てきているので、この病気になった若い人には、やりたいことをあきらめないでやってほしいし、そういうことのために若い人をサポートすることもやっていきたいと思っている。
*1 ステロイド:副腎皮質ホルモンの1つで体の中の炎症を抑えたり、体の免疫力を抑制したりする作用があり、さまざまな疾患の治療に使われている。副作用も多いため、IBDでは一般的には寛解導入に使われるが寛解維持には使わない。
*2 レミケード(一般名:インフリキシマブ)生物学的製剤(抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤)
ステロイド(*1)による治療のおかげで高校入学前に退院して、高校時代は入院することなく過ごせた。大学時代は2~3回入院したがなんとか卒業して、一般の会社の事務職として就職した。その後、思う所があって会社を辞めて勉強し直し、現在は大学の教員をしている。
その転職をした頃、今から10年ほど前の30歳の頃に新しい薬、レミケード(*2)が出て、これを試したら劇的に効いて現在まで使い続けている。お陰で時々調子が悪くなることはあるが手術をしたり入院したりするほど悪化せずに来ている。最近少しレミケードの効きが悪くなったような気もするが、あまり先のことは考えないようにしている。
高校大学時代はずっとステロイドを使っていたので、その副作用に悩まされていた。ムーンフェイスだとか、毛深くなるであるとか、ニキビだとか、ステロイドの典型的な副作用で、見た目が全く変わってしまって、中学の時の友達に「えっ誰?」とか「太ったね」とかいわれるのが、思春期の女子としてはとても辛かった。結婚も考えたことはあるが、相手から強く子どもを望まれたことや、子どものリスクが心配で躊躇してしまった。
就職活動では病気のことを隠さずに活動していたので、なかなか決まらなかったが、最初に勤めた会社には病気のことをある程度説明して採用されたので、通院するときなどにも理解を示してくれた。それでも自分の楽しみのために有給休暇を使ったことは一度もなく、残業をしないために時間中は必死で働いた。そしてそれなりに成果を出しても、なんとなく人と違う劣等感みたいなものにずっと苛まれていた。自分のなかで病気がなければそれなりに上にも行きたいし、もっとバリバリやりたいという思いもあったが、自分の夢や気持ちと自分の実際の体の状態が常にバラバラであることが、なかなかうまく受け入れられなかった。
しかし、今はいい薬も出てきているので、この病気になった若い人には、やりたいことをあきらめないでやってほしいし、そういうことのために若い人をサポートすることもやっていきたいと思っている。
*1 ステロイド:副腎皮質ホルモンの1つで体の中の炎症を抑えたり、体の免疫力を抑制したりする作用があり、さまざまな疾患の治療に使われている。副作用も多いため、IBDでは一般的には寛解導入に使われるが寛解維持には使わない。
*2 レミケード(一般名:インフリキシマブ)生物学的製剤(抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤)
インタビュー01
- 中学3年の夏に腹痛や下痢、体重減少が始まった。数か月後には毎日40度の熱が出るようになり、近医から都内の大きな病院を紹介され、クローン病の診断がついた(音声のみ)
- 地図状舌といって、ベロに地図状のクレーターみたいなものがたくさんできたが、レミケードを使ったとたん消えた(音声のみ)
- 病気になって自分の理想が叶わなくなり、いつの頃からか「病気が嫌い」から「自分が嫌い」に変わってしまった。病気と自分が切り離せなくなってしまったのかもしれない(音声のみ)
- 教科書に載っていない症状を訴えるとすぐにメンタルの問題にする先生がいて、それが嫌で、言えなくなり、先生の期待するような症状を言うように気を使っていた(音声のみ)
- 最初の主治医が病気のことばかり気にするのは良くないと患者会を勧めなかったので、あまり関わらずに来たが、今後機会があれば若い人の役に立ちたいと思っている(音声のみ)
- 結婚を考えるお付き合いをしたこともあるが、相手が子供を望んだり、その親が病歴を調べたりすることがあって、話が進まなかった(音声のみ)
- もともと裕福な家庭ではなかったし、がつがつ稼ぐような仕事は体力的にできないので、今は生活できているが将来の不安はある(音声のみ)
- 一般企業の場合有給を取らないと病院にも行けないし、それが評価にも影響するので、もう少し裁量度合いの高い自由な形で働きたかったのと、元々研究職に興味があったので、転職した(音声のみ)
- 中学時代は病名もわからなかったので、症状があっても我慢して友達にも先生にも言えなかったが、高校に入って病名が分かり、先生に病気のことを伝えられて気持ちが楽になった(音声のみ)
- 病気を抱えて結婚して子どもを産むとなると、仕事を続けるのは難しいだろうと思い、今は仕事を取るべきと考えた(音声のみ)
- 二十歳になって難病だということを聞かされたが、「難病患者」というイメージと自分の間に乖離があった。体調はすごく悪いけれど自分が難病患者であるという実感はなかった(音声のみ)
- 中3のときに診断がついたが、医師から詳しく知らされておらず、診断と自分の状態が結びついていなかった。ただ目の前の受験や学校生活をどうやって乗り切っていくかを危惧していた(音声のみ)