診断時:20歳
インタビュー時:49歳(2017年10月)
東北地方在住の男性。両親と3人暮らし。発症は幼少の頃と思われるが、診断がつかなかったため中学1年の頃から病院にかかっていなかった。20歳の時に体重が26キロくらいで、ふらふらになって大学病院に担ぎ込まれ、ようやくクローン病の診断がついた。その後病院で内科治療を始めたが、結局4回ほど手術をして小腸の大部分と大腸を切除してストーマとなり、また栄養摂取が困難になったため、在宅IVH(中心静脈栄養)をしている。現在は病状も落ち着いているので、主に在宅で仕事をしている。
プロフィール詳細
1~2歳の頃から自家中毒になったり熱を出したりで脆弱な子どもだった。小学校3年の頃、長期に熱を出して病院で診てもらったが診断がつかなかったため、その後は漢方や自然療法、そして宗教に頼って、病院にはあまり行かなかった。
しかし20歳の時に体重が26キロまで減ってふらふらになって大学病院に担ぎ込まれた。その時医者には「生きているのが不思議なくらいの栄養状態」と言われた。そこでクローン病の確定診断を受け、絶食でエレンタールという食事療法を中心の治療を3か月くらいして退院したが、寛解になったわけではなく、状態は悪いまま退院した。
その頃は病院でなかなか診断がつかなかったり、やっとついたら難病で一生治りませんとか言われ、そのため病院不信があって4年くらい病院に行かず家で過ごしたが、どうしてもまた体調が悪くなって病院に行った。その時点ではもう手術するしかない状態だったので、大腸の大半と小腸の大部分を切除する手術を行った。その2年後くらいにお腹に膿瘍ができたので、再度手術をして膿を出すとともにIVH(中心静脈栄養)(*1)のポートを入れて、当時はまだ珍しかった在宅IVHで栄養補給を始めた。在宅でIVHを行う場合は感染症になりやすいので消毒など気を付けなければならないが、栄養補給の手段としては有効なので今でも続けており、自宅にいるときはほとんど24時間行っている。
その後平成14年にはストーマ(人工肛門)を作った。大腸、小腸を切除しているので便が水様便になったこともあり、トイレが頻回になり、お尻回りの状態が悪くなったので自分から主治医にお願いしてストーマを作ってもらった。現在小腸は80センチくらいしか残っていないので障害者手帳を持っている。
仕事は一般枠で就職したことはなく、障害者枠で雇用され、主に在宅で仕事をしてきた。ただ3年前に弁当屋の事業を引き継いでやりだしたがうまくいかず撤退して、現在はまた在宅勤務をはじめたところ。
発病した当初、自分は親の影響もあって、漢方や自然療法、あるいは宗教に頼ってしまったがまったく治らなかった。今は新たに患者になった人に対して、専門病院の標準治療を受けるべきということを伝えている。
*1 IVH:中心静脈栄養、鎖骨の下あたりから中心静脈にカテーテルをいれて高カロリーの輸液を投入する栄養療法で、一般的には入院している時に行う
しかし20歳の時に体重が26キロまで減ってふらふらになって大学病院に担ぎ込まれた。その時医者には「生きているのが不思議なくらいの栄養状態」と言われた。そこでクローン病の確定診断を受け、絶食でエレンタールという食事療法を中心の治療を3か月くらいして退院したが、寛解になったわけではなく、状態は悪いまま退院した。
その頃は病院でなかなか診断がつかなかったり、やっとついたら難病で一生治りませんとか言われ、そのため病院不信があって4年くらい病院に行かず家で過ごしたが、どうしてもまた体調が悪くなって病院に行った。その時点ではもう手術するしかない状態だったので、大腸の大半と小腸の大部分を切除する手術を行った。その2年後くらいにお腹に膿瘍ができたので、再度手術をして膿を出すとともにIVH(中心静脈栄養)(*1)のポートを入れて、当時はまだ珍しかった在宅IVHで栄養補給を始めた。在宅でIVHを行う場合は感染症になりやすいので消毒など気を付けなければならないが、栄養補給の手段としては有効なので今でも続けており、自宅にいるときはほとんど24時間行っている。
その後平成14年にはストーマ(人工肛門)を作った。大腸、小腸を切除しているので便が水様便になったこともあり、トイレが頻回になり、お尻回りの状態が悪くなったので自分から主治医にお願いしてストーマを作ってもらった。現在小腸は80センチくらいしか残っていないので障害者手帳を持っている。
仕事は一般枠で就職したことはなく、障害者枠で雇用され、主に在宅で仕事をしてきた。ただ3年前に弁当屋の事業を引き継いでやりだしたがうまくいかず撤退して、現在はまた在宅勤務をはじめたところ。
発病した当初、自分は親の影響もあって、漢方や自然療法、あるいは宗教に頼ってしまったがまったく治らなかった。今は新たに患者になった人に対して、専門病院の標準治療を受けるべきということを伝えている。
*1 IVH:中心静脈栄養、鎖骨の下あたりから中心静脈にカテーテルをいれて高カロリーの輸液を投入する栄養療法で、一般的には入院している時に行う
インタビュー10
- 小学校のころは、症状としては発熱だけで、下痢や腹痛はなかったのでお腹の検査はせずに血液検査、骨髄穿刺をやった。最終的に診断がついたのは20歳のときだった
- 宗教に頼って、しばらく病院に行かない時期もあったが、24歳の頃にラジオのパーソナリティーに影響を受け、宗教に対する考えが変わって病院での治療に戻った
- 10年前に障害者雇用でベンチャー企業に就職して在宅で7年間勤務した。会社にはこちらができることを伝えて、会社のほうでそれに合った仕事を切り出してもらっている
- 診断名を告げられた時は、診断名が分かってよかったという気持ちと難病で治らないという絶望的な気持ちの半々だった
- 通常在宅でIVHをやる場合は皮膚の下にポートをいれるのだが、自分は感染症にかかりやすいので普通にカテーテルを入れて2か月に1度くらい交換している
- 在宅IVHをやっているが、カテーテル感染することがあり、最初のころはカテーテルを抜いていたが、最近は抗生剤を使って抜かずに済ませることもある