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診断時:20歳
インタビュー時:49歳(2017年10月)
東北地方在住の男性。両親と3人暮らし。発症は幼少の頃と思われるが、診断がつかなかったため中学1年の頃から病院にかかっていなかった。20歳の時に体重が26キロくらいで、ふらふらになって大学病院に担ぎ込まれ、ようやくクローン病の診断がついた。その後病院で内科治療を始めたが、結局4回ほど手術をして小腸の大部分と大腸を切除してストーマとなり、また栄養摂取が困難になったため、在宅IVH(中心静脈栄養)をしている。現在は病状も落ち着いているので、主に在宅で仕事をしている。
語りの内容
―― …ご両親は、最初にその、まあ、異変があったときに、その病気のこととか、あるいは、まあ、診断されたときにですね、病気のことを調べられたりとかしましたか。
うーん、ちょっとそこら辺聞いてないですけども、してない、そんなに詳しくはしてないと思うんでね。多分、先生からのほうの説明を少し詳しく聞いたぐらいで、多分まだ自分が、えー、クローン病と診断された辺りっていうのは、情報源という情報源はなかったと思うので、はい、先生から話を聞いて。
―― ご自分は何か、当時はまだインターネットない頃でしたか。
ああ、はい。ないですね。はい。
―― どういう形で調べたりとかされました。
ああ、調べてはないですね。結局、自分、小さいときから病気だったので、先生からの、えー、診断を告げられたときに関しては、まあ、うーん、診断はついたのは良かったけれども、結局治る病気じゃない、治療法も分かんないっていうことで、えー、……何でしょう。半分、半分良かったっていうのと、まあ、半分はちょっとやっぱり、誰でも難病って聞くと、えー、感じると思うんですけど、まあ、絶望というか、要するに、うん、なんで、ショックがありましたね。はい。
情報、情報調べるっていうとこまでいかなかったですね。ただ、恵まれていたのは、当時、結構同病の患者さんがいたので、そういう人たちと話をして、うん、いろいろと話を聞けたっていうことぐらいですかね。
インタビュー10
- 小学校のころは、症状としては発熱だけで、下痢や腹痛はなかったのでお腹の検査はせずに血液検査、骨髄穿刺をやった。最終的に診断がついたのは20歳のときだった
- 宗教に頼って、しばらく病院に行かない時期もあったが、24歳の頃にラジオのパーソナリティーに影響を受け、宗教に対する考えが変わって病院での治療に戻った
- 10年前に障害者雇用でベンチャー企業に就職して在宅で7年間勤務した。会社にはこちらができることを伝えて、会社のほうでそれに合った仕事を切り出してもらっている
- 診断名を告げられた時は、診断名が分かってよかったという気持ちと難病で治らないという絶望的な気持ちの半々だった
- 通常在宅でIVHをやる場合は皮膚の下にポートをいれるのだが、自分は感染症にかかりやすいので普通にカテーテルを入れて2か月に1度くらい交換している
- 在宅IVHをやっているが、カテーテル感染することがあり、最初のころはカテーテルを抜いていたが、最近は抗生剤を使って抜かずに済ませることもある