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診断時:18歳
インタビュー時:31歳(2018年5月)
関東地方在住の女性。夫と二人暮らし。18歳の時に痔ろうがきっかけでクローン病と診断され、治療を続けながら保育の短大を卒業し、子どもに見せる演劇の道に進んだ。しかし、旅演劇の仕事は過酷で5年間頑張ったが下血や腹痛、貧血が激しくなり、また自分でもやり切ったと思って退団し、その後栄養士の資格を取って保育園の栄養士になった。今病状が安定しているのは、レミケードとエレンタールを中心にした食事療法のお陰だが、2年前に結婚したことも大きく影響していると思う。
語りの内容
やっぱ、当時10代の女子だったので人にも言えないし。だから、そのときはもう自分は彼氏も絶対今後できないし、絶対結婚もできないしってすごいこう、悲観的にすごい思ってました。
―― それは、あのクローン病と診断された後、そういう。
そうです。もうクローン病の一番の原因が食事とストレスって言われたので、でも原因不明。原因不明だけど食事とストレスって言われて、そんなの生きていく上で欠かせないことだし、元々こう、しん、心配症な子だったのでストレスなんてこの先どれだけあるんだろうって思ったら、もう怖くなっちゃって。だから、短大も行くのやめようかなって思ってましたね、そのとき、こう社会に出るのが怖くなっちゃって。
治らない、原因不明っていうのが、もう私、それが最初ショック過ぎて毎日泣いてたんですけど。でも自分の努力、食事と(笑)、もう精神的なコントロールをね、頑張ってると、よくなることもある、人もいるっていうことを本当に伝えたいなって思います。
―― そうすると、その、まあ難病というふうにね、いわれていますけれども、その難病っていうイメージ、「難病」っていう言葉に対するイメージっていうのは、こう変わってきましたかね。
うん。難病って言うと、いまだに「え?」ってされるんです。そんなに元気なのに難病なの、そんなに明るいのに難病なの?って思われるのがむしろ私の人生なんです(笑)。得? 得ぐらいに思っていますね。普通の人の発言よりもちょっと何ですか、重みになるじゃないですか、私の背景が実は難病ですっていう。
だから、うん、難病って最初はもう本当に絶望的な言葉だったんですけど、全てを諦めさせる言葉だったんですけど、今は、難病を持ってからの夢、自分の夢、病気とは関係ないとこの夢があれば、うん、明るいものにもなるなって思います。
インタビュー24
- 中学生のころからよくお腹が痛くなった。高3の冬に痔ろうがなかなか治らず、大きい病院を紹介してもらい、クローン病が疑われた。その後大腸カメラなどの検査で確定診断がついた
- 自然食をたくさん食べて、炎症の部位につまり、その夜涙が出るほどの腹痛をもよおし嘔吐した。病院に着いたら便が出たので、完全な閉塞ではなかったようだが、その時の辛さは忘れられない
- 高校時代はネガティブな性格だったが、母もつらい気持ちであることを知り、心理学の勉強をして、ポジティブな言葉を意識して使い、自分で自分の心をコントロールするようにした
- 大きな病院で、対応が非常に冷たかった。家の近くに転院予定で、レミケードの注射を元の病院でもう1回だけお願いしたら、「それは都合のいい話」と断られてすごく怒った
- 母親が「自分の娘が病気になって普通のご飯さえ食べられないのに何もできないっていうのは本当に辛いんだ」と言って泣いた時に、本当は支える側のほうが辛いんだということに気が付いた
- 学校に行けなくて休んでいた時家に来てくれた友達が、行こうとしていた大学の受験をやめて自分と同じ短大に行く、「あなたの力になる」とまで言って、泣いてくれたことがすごく嬉しかった
- 保育園の就職面接では病気のことを詳しく聞かれて、自分も正直に答えた。子どもが好きで料理が好きだという大前提があったので、病気を乗り超えて採用されたと思っている
- 最初はエレンタールだけだったが、数年前からエネーボという経腸栄養剤を併用している。エレンタールは完全消化状態で、エネーボは半分消化されたもの
- レミケードは22歳の頃に始めて、副作用もなく効きが悪くなることもなく現在まで続けている。しかし同時に、エレンタールを含めた食事療法もやっているので、寛解を維持できていると思っている
- 難病という言葉は最初絶望的な言葉で社会に出るのも怖かったが、今ではそんなに明るいのに難病なの?と言われる。難病はむしろ自分の人生にとって得ぐらいに思っている