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診断時:19歳
インタビュー時:29歳(2018年7月)
関東地方在住の男性。妻と二人暮らし。中学の頃から下痢や腹痛の症状があったが、受験などのストレスでしょうと言われ、なかなか診断がつかず大学1年の時に初めてクローン病の診断がついた。その後は食事療法とエレンタールとヒュミラでほぼ寛解が続いている。現在勤務医として病院で働いているが、学生時代自分が患者として過ごしてきた時の気持ちを忘れないように意識している。これからはSNSなどを通じて若い患者とのネットワークを作っていきたいと考えている。
語りの内容
そうですね。大学時代はそこの患者会に、まあ度々参加して、えー、その中でちょっと問題点も、まあ見つかってですね。
活動している中心的な方が比較的こう中年ぐらいの方が多くて、まあ、私のクローン病っていうのは20代前半ぐらいが発症のピークで、若い方が患者さんとしては発症から日が浅い方は多いはずなんですけれども、そういった人はほとんど出てこないという状況がありました。
で、そういう人と、まあ、私としては同年代の人と話がしてみたいっていうことで、えー、まあ、そういう団体をちょっと患者会とは別で、まあ、立ち上げるっていうようなことをしていました。
具体的な方法としては、まあ、当時もうインターネットがしっかり、いろんなこうSNSとかがあったので、まあ、そこで、えー、知り合った方だとか、あるいは患者会で相談電話を受けていて、まあ、10代、20代の方からの相談がきた場合は、まあ、私のほうにつないでもらって、えー、一度集まりましょうっていうようなことで、まあ、そういった集まる企画をしていました。
―― それは今でも続けておられるんですか?
えーと、私がいた大学の場所からは、今はもう離れてしまったので、定期的な集まり自体はもうやっていないんですけれども。
ただ、まあ、そのときに、あの、知り合ったメンバーというのは今でもこう、あの、SNSとかではつながっているので、まあ、何かあれば連絡したりとかですね、えー、相談したりということはグループ内でも、それから個々人でも、まあ、できるような状況にはなっているので、まあ、私はそれでいいのかなというふうに思っています。
インタビュー28
- 中学2年の頃から下痢が始まって高校3年の頃には通学電車のトイレに毎日入らなければならないような状態になった。いくつものクリニックに行ったがいつも受験のストレスでかたづけられてしまった
- 中学2年くらいから下痢の症状はあったが、頻度が増えるにしたがって腹痛も出始めた。お腹の右下の部分が痛くなったので盲腸かと思ったこともあった。また夏場には脱水症状にもなった
- 自分が病気であるということをまず割り切って認めたうえで、色々なことができるということに気付いてほしい。そのためにも同病の人を見つけて仲間を作ることが大事だと思う
- 医師としての仕事もしながら患者としての活動もしていきたい。特に小中学生も含めた若い人たちに対してSNSのようなものを立ち上げて何かサポートできないかと考えている
- 自分が医療行為をする時に普段から気を付けているのは、自分が医療者側に行きすぎないように、患者の立場や気持ちを忘れないようにしている
- 始めは患者会というものに抵抗があったが、同じエレンタール(成分栄養剤)を飲みながら話ができたことで、自分が患者であることを認め、前向きな考えに変わった
- 患者会の一つの問題として、中心で活躍している人が中年で、若い人がほとんどでてこないということがある
- 指定難病としての医療費助成制度があるのでとても助かっている。ヒュミラという薬はとても高額なのでこの助成制度がなければとても使えないくらいのもの
- 医療系の大学に進学したので、先輩には理解してもらえたが、入学したばかりの同級生にはわかってもらえず、食事に一緒に行けないことをネガティブに捉えられてしまっていた。
- 大学受験の時も試験中にトイレで時間ロスがあって、現役の時は失敗した。しかし翌年合格した大学の試験の時だけは不思議と調子が良くて試験時間中にトイレに行かずに済んだ
- 治療として飲み薬は出たが一番苦労したのは食事だった。何が良くて何が悪いかわからなかったので、最初は試行錯誤して自分に合う食事を探すのに2~3年かかった
- 病名を聞いて母はショックを受けていたが、自分は5~6年も病名が分からなかったので、病名がわかり初めて説明してくれる先生に出会えたとほっとした気持ちの方が大きかった