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診断時:19歳
インタビュー時:38歳(2018年3月)
関東地方在住の女性。一人暮らし。18歳の時に下痢が続き大学病院へいったらすぐにクローン病と診断された。その後専門病院に移り治療を続けたが、狭窄があり、3回手術をして30代中半の時にストーマも造っている。病気のため大学も何年か遅れて入学し、20代後半になって仕事を始めたが、病気のことは隠して就職した。今の職場でも管理職の人には言ってあるが周りの人には病気のことは話していない。ただ、仕事の内容から、病気が仕事の支障にはなっていない。
語りの内容
―― じゃあ、(発病した原因は)特にこれだっていうような心当たりは、ご自分ではないということですね。
うーん。食事ですかね(笑)。食事は、あると思います。あの、ちゃんとした食事は食べてなかったですね。
―― でも、こう朝夕はご自宅で食べておられたんじゃないんですか?
これも言いにくいんですが(笑)、作ってくれる家族がいなかったので自分でやりなさいみたいな家族だったんですよね。なので、もう面倒くさいんで朝早いし、学校は。で、コンビニ食とか、そういうので済ませてしまっていたっていうのがあって。
中学までは給食という存在があったんですけれども、高校からはそれが全くなくなり、お弁当も作らなきゃいけなかったんですけど作ってくれなかったので、働いていたので。で、なので、まあ放置だったんですよね。それが、まあコントロールできるようなちゃんとした子どもじゃなかったので、高校生にもなって(笑)。その不規則な生活はありますね。うん。あと楽しくなっちゃって遊んで過ごしていましたね、友達と(笑)。
―― 親御さんは、そのことに対して自分を責めるとか、そういうことにはならなかったわけですね。
全然ならないです、ならない(笑)。すごいんですけどハートが強いのか、逆に私が責めていましたね。こんなことになったのはって言うんですけども、どっちかというと、あの、うーん、そこを何とか見ないようにする人なので(笑)。まあ、母がそうなので逆にハートは強くて、うん、やっていっている感じですかね、まあ。
それでも申し訳ないのか、さすがに入院するとっていう感じですね。何とか、うん。まあ、お金は出してくれるっていう感じですかね、あとは。お金をこう渡して「頑張って生きていきなさい」って言うような感じなので、うーん(笑)。その、家庭環境になると、まあ、あれなんですけど、何とも言えないような。まあ、実は母子家庭なので、まあ、ここも。で、父はいるんですけれども離れていまして、悪い人ではないんですけど父も心配もしてくれていたんですけど、まあお金は出してくれる(笑)、お願いをすればというような家庭で育っていたので、もう自由でしたけど。
インタビュー23
- 他の患者さん(特に若い女性)に思うことは、諦めないでほしいということ。職業でも結婚や出産でも、今はもう色々な方法もあるので諦める必要はないということ(音声のみ)
- その医師は若い患者に対して「医者になれ」とよく言う。「死ぬほど勉強すればなんにでもなれる」と。後ろ向きの言葉ではなく希望を与える言葉がうれしかった(音声のみ)
- 患者会に行くと、手術の話や仕事や恋愛などで挫折した話も聞き、病気による苦悩を目の当たりにすることもある。病気を受け入れる準備ができていないと辛いこともあるかもしれない(音声のみ)
- 母子家庭で母親が食事を作ってくれなくて外食ばかりになったことが、発症の原因だと思う。お金は出すけれど後は「自分で頑張って生きていきなさい」という家庭環境だった(音声のみ)
- 昔からの友人は病気のことも理解してくれて、結婚式の料理でもわざわざ特別料理を頼んでくれたりした。最近の友達にはあまり病気のことは話していないがそれほど困ることはない(音声のみ)
- 障害者手帳を持っているとストーマの代金について補助金がでる。この補助金は直接現金が支給されるのではなくストーマの代金から控除される形になる(音声のみ)
- においや音をコントロールするのは大変で抑うつっぽくなった。ストーマ専門のナースに聞いたり患者同士で相談したが、女性にとってボディーイメージが崩れることは辛かった(音声のみ)
- 最初の手術は小腸と大腸のつなぎ目の切除、2回目は胃と十二指腸を繋ぐ幽門と直腸の切除で大腸ストーマも造った。3回目は大腸に穴が開いて緊急オペとなり、小腸ストーマになった(音声のみ)
- ステロイドは入院している時に別の病気の人が使って重篤な副作用が出たのを見てしまったので使いたくなかったが、医者に言われて少しは使ったことがある(音声のみ)