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診断時:24歳
インタビュー時:45歳(2018年10月)
九州地方在住の女性。夫と二人暮らし。24歳の頃、腹痛と体重減で病院に行ったらクローン病と診断された。そのまま入院して2か月ほど絶食と点滴で寛解になり退院した。その後、保育士の資格は取ったものの諦めて事務の仕事をしていた。28歳で結婚を機に退職し専業主婦をしていたが、1冊の本がきっかけで、やりたかった編み物を習い始め、保育士の仕事もしながら編み物教室を開いた。そのころ大腸の狭窄がひどくなり手術をして大腸を全摘し、ストーマ(人工肛門)を造った。おかげで食事も少し食べられるようになり、今は元気に生活している。
語りの内容
―― で、まあ、最初に、そのクローン病だというふうに、お医者さんから言われたときはどんな感じでしたか。
私は、ほっとしました。病名が付いたことが安心して。その心の病だと思い込んでいたんで、自分でこれ以上どう頑張っていいかも分かんないし、どうし、何をどうしていいか分かんなかったんですけど、ちゃんと病名が付いたので私のせいじゃなかったみたいな感じで安心したんですけど、家族はもうショックだったみたいですね。
―― そのときはあれですか、ご両親とご一緒だったんですか。
あ、そうですね。家族は主人、あ、えーと、両親と一緒に住んでました。
―― お母さまとか、どんなふうにおっしゃいました?
私には直接何も言わないんですけど、妹はいるんですけど、妹に話してたときに、もうオイオイ泣いてたみたいで、後から聞いた話ですけど、自分を責めたみたいなんですね。自分の、う、産み方がじゃないけど(笑)、何かそう思ったみたいですけど、私の前では、もう元気に「何とかなるよ」って言って明るく振る舞ってました。
まあ、父には話してなかったんですよね。そういうのが理解できる性格のタイプじゃなか、ないので、今でもですけど、こう、よわ、それこそ母を責めるような感じなので、もう誰も、さ、話さなかったです(笑)。娘が入院してても気にもしない人なので、今も多分分かってないと思います(笑)。
インタビュー34
- 病気になる前は完全に受け身で誰かに言われた通りに生きてきた気がするけれど、病気になって、いろいろな本を読んでから、自分の思い方でどうにでもなるということに気付いた
- 母親は、私には直接何も言わなかったけれど、自分を責めて泣いていたという話を妹から聞いた。父がそういうことを責めるタイプの人だったので、父には病気のことは話していなかったと思う
- 一旦寛解になってから務めた会社の採用面接の時は病気のことは話さなかった。勤務時間が夕方からだったので日中病院に行くことができたし、仕事の上でも問題なかった
- 腸管皮膚ろうという、腸壁が皮膚に癒着して穴が開きそこから腸液がでてくるという合併症がストーマのすぐ横にできてしまい、ストーマの袋を調節するのに苦労した
- 最初にストーマの話を聞いたときは一晩泣いたが、付けている人は世の中にたくさんいるし、何とかなると思ってすぐ受け入れた。経験者の話やビデオを見て納得して手術に臨んだ