※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
診断時:25歳
インタビュー時:49歳(2017年8月)
追加インタビュー時:52歳(2020年8月24日)
関東地方在住の男性。一人暮らし。診断がつく2~3年前から症状があったが、激痛で緊急入院するまでクローン病とはわからなかった。退院後も1年ほど食事を一切とらずエレンタールだけで過ごした。その甲斐あってかその後はそれほど重症化せず、2回狭窄部の拡張手術を受けたが、今は寛解を維持している。今でも朝はエレンタールだけだが、昼と夜は、油ものなどに気を付けながら食事をしている。2020年5月直腸にがんの疑いがあるということで直腸の切除と人工肛門の造設手術を行った。
語りの内容
―― 今は働いてらっしゃる環境は割と少人数のところで、みなさんが病気のことを知ってらっしゃる。だけどこう初めて会う人とかでそのご自分の病気のことをどういう時には話される、あるいはどの範囲くらいの人までなら、に話すのかといったあたりはどうですか。
えー、なかなかちょっとあいまいになるんですが、あのー、こう、スポット的にたまにしか会わない人には話さずに。例えば年に1回だけ、何人かで会って食事をするっていう、全員が日常的に会っているわけではなくて、本当にもう年に1~2回しか会わないような人にはもう言わずにおいたり、あるいは、わりとこう会った時に長い付き合いになる、あるいはもう食事を共にする機会が多いとかっていう人にはまあ、折を見てっていうか、何回目かに会った時に言ったりします。そこは非常にあの、線引きとしてはあいまいなんですが、その時に自分がこの人には言っておいたほうがえー、いいのかなと思った人には、ま、初対面というよりは何回か、2~3回会った後に言ったりします。
インタビュー05
- 25歳のころに下痢がひどくなって、ある朝我慢できない腹痛で近所の国立病院に行ったら、そのまま入院となり、数日後に内視鏡検査でクローン病だと判明した
- 長い間両親と3人で暮らしていたので、病気になってから両親はとても心配してくれた。途中ぎくしゃくしたこともあったが、今では母親には感謝している
- どこまで病気のことを話すかは、長い付き合いになりそうか、食事を一緒にする機会が多くなるかどうかで決め、2~3回会った後に話すようにしている
- 医療費の助成制度はなくなったら困るけれど、他にも患者が社会で活躍できるような就労に関する補助の仕方も考えてほしい
- 本屋で働いていた時は、絶食中は外から見てわかったので仕事でも配慮があったが、絶食がなくなってからは全く配慮がなくなってしまったので退職することにした
- 病気を告知して就職活動をしたが、なかなかうまくいかなかった。病気を開示しての就職活動は正直かなり厳しいと思うが、長く働きたかったら隠さずに就職活動したほうがいいと思う
- 拡張術というのは開腹して広げるものと、ブジ―という鉄の棒で広げるという方法がある。自分は両方やったがいずれも腸閉塞の状態で緊急におこなったもの
- 絶食期間中にはテレビや雑誌で飲食店の情報を集め、食べられるようになったら全部行こうと思っていたが、油ものが多かったので、実際にはほとんど行けなかった
- 当初はステロイドを5年くらい使っていたが、イムランが出てからはイムランに切り替えて20年くらい続けている
- 「コロナを怖がってクローンの治療を中断すべきではない」と主治医から言われた。しかし病状が安定している人ならリモート受診もできると言われた
- がんの確定診断が出たわけではなかったので、相当悩んだが最終的には手術をすることを決断した
- 転移の可能性は残っているが、結果的に手術をしてがんのリスクを低減できたのはよかった
- がんの疑いが強いという段階で手術することには抵抗があった。特に直腸を摘出する場合ストーマになるという事が大きかった。がんのリスクとストーマ造設で心が揺れていた
- 実際にストーマを造ることになった時は相当悩んだが、人工肛門を造設している人が多いことを知って、自分だけではないと感じ、心の負担が軽くなった