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診断時:24歳
インタビュー時:45歳(2018年6月)
追加インタビュー時:48歳(2020年9月11日)
関東地方在住の男性。妻と子ども二人。19歳の時に潰瘍性大腸炎と診断された。しかし24歳の時に大腸の摘出手術をしたら、小腸にも潰瘍があることがわかり、クローン病と診断名が変わった。その時は大変なショックを受けたが、患者会などの活動を通して勇気をもらい、子どものころからの夢であった医者になった。病気のせいで何かを諦めるのではなく、やりたいことをやり続けたいと思っている。薬はレミケードを使っているが2019年ころからゼンタコートも時々併用している。
語りの内容
そうですね、学生時代も、まあ…、うん、医学生っていうのは、ただ、こう座学をしていればいいっていうわけではなくて、やはり5年生、6年生になりますと、えー、病院の中へ出て行って、まあ…、各科にですね、こう研修をしなくてはいけないと、卒業するときには一通り全部の科目のことを知っていなくてはいけないということがありますので、まあ5年生の間はもう本当に週替わりで今日は眼科、明日は、じ、あ、来週は耳鼻科、そのまた次は産婦人科、そんな感じでこうどんどん回っていくわけです。
で、あの…、そのときにやっぱり体、普通の人に比べればずっと不利なわけなので、はい、まあ、そのときに周りの友人たちに、あの、まあ、もう、もちろん僕が病気だということは話していましたので、そのときに、こういろいろ助けてもらって。うん。
で、まあ、そのときに感じたことが、うん、あの、病気だっていうことで何もこう、いろんなことをこう控えめに、控えめにするとか、諦めるとか、そういう必要はないなっていうのも一つなんですけど。
ただ、病気である以上、無理が利かないときっていうのは必ずあるわけなので、そのときにきちんと周りにSOSを出せるか、そして周りの援助が得られるかっていうことが大事なんだなっていうことを学んだかなと思います。
で、それで、まあ、いろいろなところを回って。で、まあ、そのときに、こう、まあ、いろいろな方から、いろいろなお話を聴いたわけですね。で、「いや、君はクローン病なんだから、うん、あの、無理は利かないから、それならば体をあまり使わない科の医師になったほうがいいんじゃないのか」って言う先生もおられれば、「いや、そこはきついときはきついときに周りに助けてもらって、やりたことをやればいいじゃないか」と言う先生、まあ、いろいろな先生のご意見がありまして。
で、結局、僕は脳外科に行ったんですね。脳外科、うん、まあ決して肉体的に楽な科ではなかったのですけれども、やはりやりたいことを諦めるっていう、それも病気を理由に諦めるっていうのが一番やりたくなかったことだったので、あえて、まあ、ちょっと大変ではありましたけれども、そちらを選んだんです。
インタビュー27
- 潰瘍性大腸炎としての治療を7年ほどやったが良くならず、大腸全摘の手術を受けることになったが、その時、小腸もやられていることが分かり、手術中にクローン病に診断名が変わった
- 医学部の研修で各科を回っている時に、病気だからと言って諦める必要はないけれど無理が利かない時にはきちんとSOSを出して周りに助けを求めることが大事だという事を学んだ
- 訪問診療で落ち込んでいる患者さんを見ると、自分も難病だが頑張っていると話すことがある。自分が医療をやるうえでクローン病の経験は一つの武器になっていると思う
- 患者会に対して「傷をなめあうようで嫌だ」という人もいるが、そうではなくてむしろ刺激しあうような場所だと言いたい
- 一昨年まで3年間は一人で訪問診療をやっていたが、自分の体調が悪くなった時にバックアップがないのはまずいということで、複数の医師がいる訪問診療専門のクリニックに就職した
- 段々悪くなってイレウス(腸閉塞)を起こすようになり、主治医と相談して手術に踏み切った。その頃は腸が短くなっていたので、最悪ストーマになることを覚悟するよう言われた
- 専門医に「クローン病の患者は他の人に比べればかかりやすい可能性はある」といわれ、 そうかなと思う一方で、感染はどれだけのウイルスを浴びるのかが問題なので、運が絡むと思う
- レミケードも6週くらいで効きが悪くなるので、最後の2週くらいはゼンタコートをかぶせて使っている。ただ、レミケードも長く使っているのでそろそろ次の薬も検討している